表現型の種内変異に対する研究者の興味は、生態学はもとより分類学・遺伝学・進化生物学といったマクロ生物学の発展と常に共にあった。本稿では、特に海産腹足類を対象とした研究に焦点を絞り、1930年代から現在に至るまでの各時代の研究者が貝殻形態の種内変異をどのように捉え、対象種が示すパターンの理解に織り込んできたかを概説する。生物学的種概念や新体系学の提唱、集団遺伝学と総合進化説の確立といった、現代生物学像へと直結する重要な概念が次々に登場した時代にあっても、軟体動物学の種分類は主に貝殻形質の観察に基づいて進められていた。本稿の前半では、貝殻形態に著しい種内変異を示すMonetaria属のタカラガイについて、個体発生を中心とした生態的特徴を踏まえた上で、激動の1930年代ドイツにおいて進められた種分類と種内分類の内容とその思想的背景を簡単に紹介する。その上で、Ernst Mayrによって提唱された生物学的種概念に準拠する分類がなされるためには、その根拠形質の示す特徴が表現型可塑性の産物でないことが必要であり、それを確認するためには飼育実験の実施が必要であることを強調する。後半では、タマキビ(Littorina属)とチヂミボラ(Nucella属)の貝殻形態に見られる種内変異と捕食者(カニ)に対する誘導防御の関係を明らかにするべく、北米や北欧の研究者によって精力的に進められた一連の研究を振り返る。これらの系は、海産腹足類を対象とした飼育実験が生物現象の理解に大きく貢献した好例であり、生態学の見地からも情報の整理と再評価が必要な内容だ。最後に、野外で観測された表現型分散が問題となった場合に、それに対する寄与として遺伝(G)と環境(E)の影響を定量的に切り分けることは、分類学において生じる上述のような問題だけでなく、自然選択に対する進化的応答を考える上でも重要であることを強調したい。