論文ID: 2405
ニホンオオカミは1905年に奈良県東吉野村で捕獲された個体を最後に、現在では絶滅種とされている。主な餌動物はシカであったと考えられているが、その他の詳しい生態は分かっていない。本研究では、ニホンオオカミと食性が近いポーランドのオオカミ(主にシカ類とイノシシを捕食)に関する捕食や代謝のパラメータ値を参考に、ニホンオオカミが1年間に捕食する餌動物(ニホンジカとイノシシ)の個体数とそのために必要な面積を推定するための枠組的なモデルを構築した。オオカミには性的二型があることから、メスとオスの体重をそれぞれ15と20 kgと設定した。このモデルを奈良県における餌動物の生息密度(ニホンジカ8.8、イノシシ6.1;単位:個体 km−2)に応用したところ、1年間に必要なエネルギー量のうちニホンジカから75%、イノシシから25%摂取していると推定された。これらのエネルギーを摂取するために捕食する餌動物は、ニホンオオカミのメス1個体当たり、ニホンジカを18個体(オスでは23個体)とイノシシを6.4個体(オスでは8.1個体)に相当した。ニホンオオカミ1個体がこれらの餌動物を捕食するために必要な面積は17–22.2 km2と推定された。モデルをニホンジカの生息密度(埼玉県:5.2、兵庫県:18.6)の異なる他地域にも応用したところ、必要な面積は10.1–42.2 km2となり、ポーランドに生息するオオカミ1個体当たりの行動圏(14.1–54.2 km2)に近い面積であった。
The Japanese wolf (Canis lupus hodophilax), a subspecies of the gray wolf (Canis lupus), is considered extinct because the last capture, a young male, was reported in Higashi-Yoshino Village, Nara Prefecture in 1905. The Japanese wolf is presumed to have preyed mainly on deer, but little is known about its ecology, including its food requirements and home range. We constructed a theoretical framework to estimate the number of prey animals consumed by an individual Japanese wolf and the home-range area required to meet its energy demands, based on the predation habits, energy requirements, and prey availability of extant gray wolves in Poland, which prey on deer and wild boars. Taking sexual dimorphism into consideration, we set body mass at 15 and 20 kg for female and male individuals, respectively, and the density levels of prey animals to those of Nara Prefecture (8.8 and 6.1 individuals km−2 for sika deer and wild boars, respectively). The model estimated that 75% and 25% of the total energy requirements of Japanese wolves would have been obtained by consuming sika deer and wild boars, respectively, corresponding to a yearly diet of 18 deer and 6.4 boars for a single female wolf, and 23 deer and 8.1 boars for a single male wolf. The home-range area required for a single wolf to meet its energy demand was estimated to have been 17–22.2 km2. We then applied the model to other prefectures with different densities of sika deer (5.2 and 18.6 individuals km−2 in Saitama and Hyogo, respectively), and determined required home-range areas of 10.1–42.2 km2, which were comparable to that estimated for a single gray wolf in Poland (14.1–54.2 km2).
ニホンオオカミCanis lupus hodophilaxは、明治時代まで日本の本州、四国および九州に生息しており、ユーラシア大陸や北米に広く分布するオオカミCanis lupusの亜種である(Endo 2015; Segawa et al. 2022; Gojobori et al. 2024)。ニホンオオカミは、オオカミのなかでは小型で、胴に対して四肢や耳が短いことが特徴である(今泉 1995; 環境省 2022)。ニホンオオカミは農業の害獣であるニホンジカCervus nipponやイノシシSus scrofaの天敵だったことから益獣とみなされていた(千葉 1995)。しかし、江戸時代(18世紀)には、海外から侵入した狂犬病が流行したことや(源 2007)、家畜を襲う害獣としてみなされるようになりヒトによって駆除されたことから、ニホンオオカミは著しく生息数を減らした(平岩 1992; ウォーカー 2009)。1905年に奈良県鷲家口(現在の東吉野村)で最後の個体が捕獲されて以来、生息に関する情報はなく、現在では環境省のレッドリストで絶滅種となっている(環境省 2020)。
ニホンオオカミは多くの謎を残して絶滅したため、現在では解析手法の発展とともに、骨から抽出されたDNAを基にした遺伝系統学的な研究や(Segawa et al. 2022; 寺井 2023; Gojobori et al. 2024)、骨格標本を基にした形態学的な研究によって(鈴木・佐々木 2023)、生物学的な特徴が解明されてきている。その一方で、ニホンオオカミは主にニホンジカを捕食していたと考えられているが(Endo 2015)、詳しい生態はほとんど解明されていない。本研究では、ニホンオオカミの捕食に関する生態を推定するために、海外に生息するオオカミの文献を参照した。
現存するオオカミの主な捕食動物はウシやシカ、イノシシなど偶蹄目の動物である(Jędrzejewski et al. 2012; Liu and Jiang 2003)。オオカミの主な捕食対象は地域によって異なり、北米ではシカ科(オジロジカOdocoileus virginianusとヘラジカAlces alces)や齧歯目ビーバー科のビーバーCastor canadensis(Fritts and Mech 1981; Fuller 1997)、ポーランドではシカ科(ヘラジカ、アカシカCervus elaphus、およびノロジカCapreolus capreolus)とイノシシ科のイノシシ(Jędrzejewski et al. 2012)、中国ではウシ科ウシ属のヤクBos grunniens(Liu and Jiang 2003)、キルギスではウシ科ヒツジ属のアルガリOvis ammonである(Jumabay-Uulu et al. 2013)。日本にかつて生息していたニホンオオカミの餌動物に関しては、日本ではニホンジカとイノシシが野生に生息しており、歴史資料からニホンオオカミがこれらの野生動物を捕食対象としていたことが記述されていることから(菱川 2018)、本研究では、同じくシカ科とイノシシ科の動物を主な捕食対象とするポーランドのオオカミの生態学的文献を参照して、ニホンオオカミの捕食に関した生態を推定することを目的とした。ポーランドに生息するオオカミの餌動物は、特にシカ(アカシカとノロジカ)に対する依存度が高く、餌動物全体の70–85%を占める(Głowaciński and Profus 1997)。シカに次いで、イノシシへの依存度が高い(10–20%)。その他にもノウサギLepus europaeus(2–5%)や齧歯類(2–3%)も捕食する。本研究では、モデルを簡略化するためニホンオオカミの餌動物は主にニホンジカとイノシシと仮定した。
ニホンオオカミが生息していた19世紀以前のニホンジカの生息密度に関しては、遺伝学的な手法を用いた最近の研究により過去10万年の個体数変動が明らかにされ、ニホンジカの個体数は人間による捕獲圧の高かった明治時代には減少したものの、現在の個体数は過去最大だった時期(ニホンジカの1世代を4年とした場合、約200–400年前:17–19世紀ごろ)の水準まで増加していると推定された(Iijima et al. 2023)。農作物被害に関する江戸時代(18世紀)から現在までの文献調査を基に推定したニホンジカの個体数も同様の変動を示しており、個体数は江戸時代に多かったが明治時代後期には減少し、1980年ごろから再び増加に転じて、2000年ごろに江戸時代の水準にまで回復したと推定された(小山ほか 2010)。イノシシについては、東北北部を除く本州、四国と九州に分布している(Kodera 2015)。分布域内におけるニホンジカとイノシシの生息密度は、地域(県ごとや広域ブロックごと)によって異なり、また同一地域内でも標高や植生などの環境が異なることから生息密度に濃淡が見られる(環境省 2015, 2024)。本研究では近畿地方(主に奈良県)を舞台にニホンオオカミの捕食生態に関する推定を行なったが、かつてこの絶滅種は日本中に生息していたことから、他の地域にも応用できるように極力単純な枠組的モデルを構築してニホンオオカミの捕食生態の推定を行なった。そのため、餌動物であるニホンジカやイノシシの密度は県単位の個体数と森林面積を基に算出した。また、食肉目の動物は妊娠期や授乳期など成長段階によって代謝が変化するが(National Research Council 2006)、特定の成長段階や性別を対象にせず、代謝は単純に体重に依存するとした。
ニホンオオカミの捕食生態を推定するにあたって、ニホンオオカミの体重(W、単位kg)に依存した1日に必要とするエネルギー量(Eday、kcal)を求め、そこから1年間(365日)に必要なエネルギー量(Eyr=365×Eday、kcal)を算出した。Edayは草食動物以外の野生哺乳類の総エネルギー消費量であるFMR(field metabolic rate、kcal d−1)から導出した(Głowaciński and Profus 1997):
![]() | (1) |
ニホンオオカミは、1年間に必要なエネルギー量Eyrを満たすため、餌動物であるニホンジカ(deer)とイノシシ(boar)を捕食する。ニホンジカとイノシシは一般に生息密度が異なり、オオカミのそれぞれの餌動物に対する好みも異なる。これらを考慮して餌種iに対する捕食割合(r)を求めるために(シカ:i=D、イノシシ:i=B)、餌選択指数(D)の式を用いた(Jacobs 1974):
![]() | (2) |
ここで、piは全ての餌動物の生息個体数に対して種iが占める割合である。選択指数は−1から1の間の値を取り、D<0は負の選択性、D>0は正の選択性を表す。Jędrzejewski et al.(2000)では、捕食される餌動物の生物量を基に求めた捕食割合rと研究対象地域に生息する餌動物の観察個体数を基に求めた生息個体数割合pから選択指数Dが推定されている。式(2)を基に、餌種iに対する捕食割合が得られる:
![]() | (3) |
オオカミが餌動物を捕食するにあたっては、幼獣(young)と成獣(adult)で捕食割合が異なることが知られている(Jędrzejewski et al. 2000)。ニホンオオカミ1個体がEyrを満たすために捕食する種iの個体数をni、種iの幼獣(j=y)と成獣(j=a)に対する捕食割合をgijとすると、次の式が成り立つ。
![]() | (4) |
ここで、Mijは餌動物の体重、ejは可食部の割合、cは可食部のうち消費される割合、fiは餌動物から得られる単位体重当たりのエネルギーである。式(4)より、1年間に捕食する種iの個体数は、次の式から得られる。
![]() | (5) |
餌種iの個体群において、幼獣と成獣の割合がそれぞれsiyとsia、オオカミの捕食による死亡率がmiとすると、種iのオオカミの捕食による幼獣と成獣の死亡率(mij)については、次の式が成り立つ。
![]() | (6) |
種iにおいて、捕食される幼獣と成獣の比については次の式が成り立つ。
![]() | (7) |
式(6)と(7)から、種iにおけるオオカミの捕食による幼獣と成獣の死亡率は、次の式で求められる。
![]() | (8) |
単位面積当たりのニホンオオカミに捕食される種iの個体数(σi、単位ind km−2)は次の式によって求められる。
![]() | (9) |
ここで、diは餌種iの生息密度、miはオオカミの捕食による餌種iの死亡率である。ニホンオオカミ1個体が1年間に必要とするエネルギー量を満たすため、餌種iをni個体捕食するために必要な面積(Ai)は次の式で求められる。
![]() | (10) |
ニホンオオカミの体重(W)は、文献によってやや異なるが、15 kgから20 kgだったと推定されている(丸山ほか 2007; 今泉 2014)。オオカミは性的二型であることが知られているため(Hillis and Mallory 1996)、本研究ではニホンオオカミが1日に必要とするエネルギー量を計算するための体重をメスで15 kg、オスで20 kgと設定した。ポーランドのオオカミの餌動物に対する選択指数(D)は、シカで0.34、イノシシで−0.34である(Jędrzejewski et al. 1992)。本研究では、ニホンオオカミのニホンジカに対する選択指数をDD=0.34、イノシシに対する選択指数をDB=−0.34と設定した。単位面積に生息する餌動物の個体数の割合(p)については、奈良県に生息する個体数を基に推定した。奈良県の2000年におけるニホンジカの推定生息数は25000個体であった(奈良県 2022a)。奈良県の面積は3691 km2であり(奈良県 2013)、森林率は77%であることから(林野庁 2007)、ニホンジカの生息密度(dD)を8.8個体 km−2と設定した。イノシシの生息密度(dB)については6.1個体 km−2とした(奈良県 2022b)。それぞれの生息密度から、ニホンジカについてはpD=0.59、イノシシについてはpB=0.41となった。
ポーランドにおけるオオカミによって捕食された餌動物の死体の解析から、捕食された個体のうち、アカシカでは成獣に49%、幼獣に51%依存し、イノシシでは成獣に32%、幼獣に68%依存していた(Jędrzejewski et al. 2000)。本研究では、これら成獣と幼獣に対する捕食割合(gij)を、ニホンオオカミの餌動物であるニホンジカとイノシシに適用した。ニホンジカの体重に関しては、近畿地方環境事務所より提供を受けた「大台ヶ原ニホンジカ個体数調整捕獲個体データ(2002–2004年)」を参照し、1歳以上の個体の平均体重40.6 kgを成獣の体重(MDa)、1歳未満の個体の平均体重15.2 kgを幼獣の体重(MDy)と設定した。イノシシに関しては、成獣の体重(MBa)を59 kg、幼獣の体重(MBy)を13.6 kgと設定した(安部 1986)。偶蹄類の全体重に対する非食部と非消化部(骨、毛、胃など)を除いた可食部の割合(ej)は、幼獣で90%、成獣で75%とした(Głowaciński and Profus 1997)。可食部のうち、食べ残しが9%で、消費される割合(c)は91%とした(Jędrzejewski et al. 2000)。餌動物を消費することによって得られるエネルギー(fi)は、シカで1863 kcal kg−1、イノシシで1753 kcal kg−1とした(Głowaciński and Profus 1997)。
ニホンジカの個体群における幼獣(1歳未満)の割合(sDy)については26.2%とした(環境省 2018)。イノシシの個体群における幼獣の割合(sBy)については41%とした(和歌山県 2022)。ポーランドに生息するアカシカの個体群におけるオオカミの捕食による死亡率は平均で12%、イノシシの個体群におけるオオカミの捕食による死亡率は平均で6%である(Jędrzejewski et al. 2002)。本研究では、これらの値をオオカミの捕食によるニホンジカとイノシシの死亡率(mi)と設定した。
ニホンオオカミが1日に必要とするエネルギー量(Eday)は、式(1)から、メスで2450 kcal d−1、オスで3140 kcal d−1と推定された。1年間のエネルギー量(Eyr)については、メスで0.895×106 kcal yr−1、オスで1.147×106 kcal yr−1となった。ニホンオオカミの餌動物に対する依存率(ri)は、式(3)から、ニホンジカでは0.75、イノシシでは0.25と算出された。
ニホンオオカミ1個体が1年間に必要とするエネルギー量を満たすために捕食する餌動物の個体数(ni)は、式(5)から、メスではニホンジカが18個体とイノシシが6.4個体、オスではニホンジカが23個体とイノシシが8.1個体と算出された。ニホンオオカミ1個体がこれらの餌動物を捕食するために必要な面積(Ai)は、ニホンジカについてはメスの場合に17 km2、オスの場合に21.8 km2と推定され、イノシシについてはメスの場合に17.4 km2、オスの場合に22.2 km2と推定された。捕食される餌動物の幼獣と成獣の内訳は、gijの値から、メスが捕食するニホンジカ18個体のうち幼獣が9.2個体と成獣が8.8個体、イノシシ6.4個体のうち幼獣が4.32個体と成獣が2.03個体となり、オスが捕食するニホンジカ23個体のうち幼獣が11.7個体と成獣が11.3個体、イノシシ8.1個体のうち幼獣が5.53個体と成獣が2.6個体となった。オオカミの捕食による死亡率(mij)は、式(8)から、ニホンジカの幼獣で23.4%と成獣で8%、イノシシの幼獣で10%と成獣で3.3%と推定された。
ニホンオオカミは明治時代中期まで日本の本州以南に生息していたが(菱川 2018)、奈良県で約100年前に捕獲された個体を最後にニホンオオカミの捕獲例や信憑性の高い目撃情報はない。本研究では、海外に現存するオオカミの中でニホンオオカミと食性が最も近いと考えられるポーランドのオオカミに関する生態学知見を基に枠組的なモデルを構築し、ニホンオオカミが近畿地方に生息していたとの仮定を置いて、1年間に必要なエネルギーを満たすために捕食する餌動物の個体数とその面積を推定した。オオカミの行動圏は餌動物の密度に依存することが知られており(Jędrzejewski et al. 2007)、実際に日本国内においてもニホンジカやイノシシの生息密度は地域によって異なる。生息密度が異なることによって、ニホンオオカミが1年間に捕食する餌動物の個体数や、そのために必要とする面積にどのような変化を生じるかを比較するために、第二種特定鳥獣管理計画等で県内のニホンジカとイノシシの両方の生息個体数が確認できる他の地域(埼玉県と兵庫県)にモデルを応用した。埼玉県では奈良県と比較するとニホンジカ(5.2個体 km−2)とイノシシ(2.1個体 km−2)の生息密度が低く、兵庫県ではニホンジカは高密度(18.6個体 km−2)であるのに対してイノシシは低密度(2.8個体 km−2)である。埼玉県における生息密度は、ニホンジカの生息数(6181個体、2007年;埼玉県 2024a)とイノシシの生息数(2574個体、2009年;埼玉県 2024b)、および森林面積(1198 km2;埼玉県 2024c)を基に推定した。兵庫県においては、ニホンジカの生息数(106000個体、2002年;兵庫県 2024)とイノシシの生息数(15956個体、2002年;松本ほか 2014)、および森林面積(5700 km2;松本ほか 2014)を基に推定した。埼玉県にモデルを応用した場合、ニホンオオカミの捕食個体数と必要面積は、メスについては、ニホンジカが20個体でそのために必要な面積は32.3 km2、イノシシについては4.2個体で面積は32.9 km2となった。オスについては、ニホンジカが25.6個体で面積は41.4 km2、イノシシについては5.4個体で面積は42.2 km2となった。兵庫県に応用した場合、メスについては、ニホンジカが22.4個体でそのために必要な面積は10.1 km2、イノシシについては1.7個体で面積は10.3 km2となった。オスについては、ニホンジカが28.8個体で面積は12.9 km2、イノシシについては2.2個体で面積は13.1 km2となった。奈良県、埼玉県と兵庫県のいずれにおいても、ニホンジカとイノシシに対する必要面積はほぼ等しくなった。
オオカミの行動圏について、ポーランドにあるビャオビエジャの森では、個体に装着された発信機付きの首輪から得られる位置情報を基にした解析が行なわれており、狭いときには7個体の群れで99 km2(1個体当たり14.1 km2)、広いときには5個体の群れで271 km2(1個体当たり54.2 km2)を利用していた(Okarma et al. 1998)。この森における餌動物の生息密度は、シカ(アカシカとノロジカ)については6.5–11個体 km−2、イノシシについては2.1–4.6個体 km−2である(Jędrzejewski et al. 2000)。これら餌動物の分布はモデルを応用した3県における生息密度とほぼ同じであることから、本研究で推定されニホンオオカミ1個体当たり10.1–42.2 km2という面積は、絶滅動物であるため検証不可能であるが、大きく逸脱した値ではないであろう。オオカミは群れで行動することから、群れに属する個体が生きていくのに必要な面積が実際の行動圏となる(Okarma et al. 1998)。ビャオビエジャの森では、群れの個体数は4–8個体で、平均値は6個体と報告されている(Jędrzejewski et al. 2000)。1個体当たりの餌動物の捕食個体数(ni)とそのために必要な面積(Ai)を基に、群れの個体数や構成に対応した行動圏を推定することが可能である。例えば、メスとオスが3個体ずつから成る合計6個体の群れを想定した場合、奈良県のような餌動物の生息密度の環境では、ニホンジカを123個体とイノシシを43.5個体捕食する必要があり、この群れの行動圏は116–119 km2と算出される。同様に、埼玉県のような環境では221–225 km2(ニホンジカ137個体とイノシシ29個体)、兵庫県のような環境では69–70 km2(ニホンジカ154個体とイノシシ11.7個体)と算出される。ニホンオオカミに対して推定されたこれらの行動圏は、群れの個体数や餌密度などの環境条件に多少の違いはあるが、ビャオビエジャの森で報告された5–7個体の群れの行動圏(99–271 km2)と比較しうる値であろう。
ニホンオオカミのニホンジカとイノシシに対する餌の選択性に関して、ポーランドにおけるオオカミのシカ(アカシカとノロジカ)とイノシシに対する選択指数を引用した。ポーランドのオオカミが主食とするアカシカはニホンジカと同じシカ属Cervusであり、オオカミが現存する海外の他の地域餌動物に比べると分類群的に近縁である。オオカミに捕食された成獣と幼獣のアカシカ個体の平均体重は69 kgと報告されており(Jędrzejewski et al. 2000)、ニホンジカに対して設定した体重(成獣40.6 kg、幼獣15.2 kg)と比較すると大型である。イノシシに関しては、捕食された成獣と幼獣の個体の平均体重は44.1 kgと報告されており(Jędrzejewski et al. 2000)、本研究でイノシシの成獣に設定した体重(59 kg)に比べると軽いが、幼獣に設定した体重(13.6 kg)とイノシシの幼獣に対する捕食割合(gBy=0.68)を考慮すると(59×0.32+13.6×0.68=28.1 kg)、ポーランドのオオカミは大型のイノシシ個体を捕食している。ポーランドに生息するオオカミの平均体重(メス38.4 kg、オス44.2 kg; Głowaciński and Profus 1997)はニホンオオカミ(15–20 kg)と比較して餌動物と同様に大型であり、捕食者と被食者の相対的な体の大きさの観点からは、ポーランドにおける選択指数(D)を適用したのは妥当であろう。
本研究で構築したモデルは、他の地域や環境条件に応用しやすいよう、なるべく単純でたたき台的なモデルとした。餌動物であるニホンジカやイノシシの生息密度は地域(県単位)で異なり(例えば、環境省 2015)、同じ地域の中においても広葉樹林や針葉樹林、人工林、暖温帯林や冷温帯林などの植生、標高や市街地の有無などの影響を受けて生息密度は異なる(例えば、環境省 2024)。ここでは餌動物の生息密度は県単位ごとに巨視的な観点から推定を行なったが、特定の植生や標高に対しても、その条件に相当する生息密度などのパラメータ値を用いれば、このモデルはより微視的な観点での推定に応用可能である。餌動物の体重についても、本研究では幼獣と成獣に対して一定値を仮定したが、季節によって変化し、特に幼獣では生まれた年の夏季から翌年夏季の1年間で30 kg以上増加することが報告されている(白石ほか 1996)。餌動物の体重は、季節とともに生息地域に依存することから、餌動物の幼獣と成獣の体重をその地域や季節を代表する値に設定することにより、時空間的に微視的な推定を行なうことが可能である。オオカミに関しても、体の大きさや繁殖行動、季節などによってエネルギー需要や行動範囲が変化する(Głowaciński and Profus 1997; Okarma et al. 1998)。ここでは、繁殖活動に関わっていない個体を1年間おしなべて見たときの値として推定したが、パラメータの改変を施すことによって(例えば、式(1))、特定の季節や繁殖行動(妊娠など)に応用することも可能であろう。絶滅種の生態は、直接観察することは不可能であり、骨格標本や毛皮などの遺物からの推測に限られる。近年、生態系に対する人為的な影響が強まる中、多くの種が絶滅の危機にさらされている(環境省 2020)。絶滅危惧種を保全するにあたっては、絶滅した種の生態に関する情報は重要な知見となりうる。本研究はニホンオオカミに関する生態学的な知見がほとんどない現状の中で萌芽的なモデルを構築し、今後は動物行動学や生理学的といった様々な観点からこのモデルを個々の詳細な条件に合うよう応用したり改良したりすることによって、絶滅種に対しても生態学が発展することを期待する。
本稿の執筆にあたり、森林総合研究所九州支所の安田雅俊氏と編集委員長の永光輝義氏から貴重な助言を頂きました。奈良教育大学の松井淳氏には奈良県の野生動物に関する情報を提供して頂きました。環境省近畿地方環境事務所の西野敦氏と一般財団法人自然環境研究センターの千葉かおり氏には奈良県大台ケ原におけるニホンジカ捕獲個体の体重と年齢に関するデータを提供して頂きました。これらの方々に感謝申し上げます。