サービソロジー
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特集:サービスデザインの世界を俯瞰する ~アカデミアの観点より~
インタビュー記事:ことのデザイン
須永 剛司木見田 康治
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2017 年 3 巻 4 号 p. 16-20

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1. はじめに

本記事では,東京藝術大学・須永剛司教授へのインタビューを紹介する.インタビューでは,須永教授に「ことのデザイン」についてご紹介頂いた.ことのデザインとは,対象を「もの」から「人々がその中で行為する出来事,自己を包含する活動として捉える“こと”」へ拡張したデザインのあり方(須永1997; 須永,永井 2000)を示す.この「もの」ではなく「自己を包含する活動」をデザインの対象として捉える視点は,サービスデザインにおいても重要な示唆を与えるものである.本記事では,「ことのデザイン」とその具体的な事例,ことのデザインやサービスデザインの学問に必要なことについて紹介する.

2. インタビュー:ことのデザイン

2.1 ことのデザインとは

木見田 ことのデザインについてお教え下さい.

  • ●   デザインは,ものと人間の関係を制御・規定する

須永教授(以下敬称略) ことのデザインが重要であることに気付いたきっかけは,出来事という概念に出会ったときです.デザインの仕事をする中で,「デザインの本当の対象は何なのか?」という問いがずっとありました.デザインの仕事はものの形を描くことであると学校で教わり,仕事でも皆そう思ってデザインをやっていました.そこでは,家具や工業生品の形を描くなど,人工物が対象となります.描いているのはその形であることは間違いないと思う一方で,違和感がありました.人工物の形を決める論拠は2つあります.ハーバート・サイモンの主張です(Herbert 1999).1つは,例えば自動車のエンジンの大きさが,デザインされるボンネットの高さと形状を決めるように,人工物の内部環境がその外形を規定します.しかし,デザイナーは,内部環境のみを論拠に自動車の形を決めてはいません.もう1つの論拠が,人工物の外部環境である人間側の要因にあります.外部環境を見ているがゆえに,デザインの対象問題を人工物とのみ捉えることへの違和感でした.人間がかかわり合うからものに形を与える.そこから,デザインの対象問題の中心にあるのは「もの」ではなく,実は「関係」なのだという見解が生まれました.デザイン問題を「ものと人間の関係」とし,その関係を制御し規定することがデザインすることだと捉えることができたのです(図1中).

図1 デザインが形を与える対象の階層(須永 199720002015)

  • ●   人とものの協働としての出来事をデザインする

その後,さらに人工物とそれを使う人との良い関係だけがデザインの対象ではないと考えるようになりました.例えば,自動車のインテリアデザインでは,回しやすいハンドルの位置や,座席の高さ,見やすいインパネなどはとても大事なデザイン問題です.これらは,人工物と人間の関係の制御に関わる問題です.しかし,もう1つ人々が求めているのは,運転しやすい自動車だけではなく,走っている車と運転している自分が歩行者から美しく見えることです.自動車のスタイリングデザインでは,車と運転する人の関係だけではなく,その人が車を運転していることを,他者が美しいと感じるようにも形や色をつくっています.そう考えると,デザインは,人工物とユーザーの関係だけではなく,当該ユーザー以外の人々をも対象にしているのです.特に,自動車のデザインは後者を強く意識しています.これは,デザインの対象を出来事として捉えているということです.ドライバーと自動車が協働して「原宿や表参道を走る」という出来事を起こします.この出来事そのものがデザインの対象なのです.自動車がどのような形や音で走っていたら美しいのか,どのように停車したらその風景に収まるのかなど,そこに起きる出来事の全体が自動車を形づくるための要件になります.このように,出来事,つまり「ことのデザイン」が重要であると考えるようになりました(図1右).

2.2 ことのデザインに関する事例

木見田 ことのデザインに関する事例をご紹介下さい.

  • ●   オンデマンド配信が生んだ出来事

須永 長野冬季オリンピックで,各競技のビデオ・オンデマンドをつくるという仕事に関わりました(須永,石田 1998)(図2).オリンピックの競技がテレビで放送される仕組みを利用して,サーバに蓄積された映像を選手が宿舎に帰って直ぐに観られるようなサービスをデザインしたのです.今ではスマホで直ぐに観ることも可能でしょうが,当時そういう社会インフラはなかった.その中で,「選手がどうやって映像を観るのか」ということをデザインの問題として重視しました.種目によって,掛ける日数や競技の流れが異なり,金・銀・銅メダルの出し方も違う.その中で,1つのインタフェースによってそれぞれの選手が望む競技映像を観るためにはどのようにすれば良いかを考えました.また,出来事という観点で,一番難しかったことは天候による競技スケジュールの変更です.スケジュール通りにオンデマンドサービスをつくっても,天候によって試合が延期になることがあります.オリンピックゲームという出来事が,天候によりダイナミックに変化すること踏まえサービスをつくりました.

結果的な話にはなりますが,このオンデマンドサービスの利用において,出来事がそこに生まれていると感じた場面があります.このサービスは一般市民にも公開され,駅や公民館に映像を観る端末が設置されていました.あるスケート競技の終了後に長野駅の端末に列ができていました.端末の前で彼らは,観客席を撮した映像の中の自分が映ったシーンを繰り返し観ていたのです.こんな出来事を生み出すことは,競技の内容や端末のインタフェースとは別次元のデザインの問題です.オンデマンドが可能にした出来事は人々が自らつくり出す豊かな経験なのだと感じました.

図2 競技記録ビデオ・オンデマンド:選手と市民のための長野オリンピック(須永,石田 1998)

  • ●   看護における感情を表現し共有する

現在は,看護業務における新しい情報システムのデザインに取り組んでいます.現状の電子カルテシステムは,看護師たちが一番大事だと感じていることを記録し共有できる道具になっていない.それを彼らの仕事を受け止める道具,大事なことを支える道具にするために,看護のマインドを探りそれらを彼ら自身が共有できる仕事の形を,まずはつくろうとしています(須永他 2013).

木見田 看護において大事なこととは何でしょうか.

須永 看護の仕事は,看護の学問で定義された要素で組織化されています.それらフォーマルな業務が情報システムに実装されている.しかし,実際の看護は定義されてない多くのことにも支えられています.それらは,患者さんやその家族への思いなど,感情を伴った営みです.これは,業務として行う検査や処置とは異なるものとみなされている.こういった感情が業務を支えている一方で,現在の電子カルテや情報システムにそれらを積極的に記載する項目立てはない.また,電子カルテに記載されたことが遂行された業務であるという管理の視点もある.その背景には,形式化された知識でつくり上げられた仕組みで合理的に物事が進むという認識があります.しかし,実際にはそれで上手く行かないことは多い.認知と感情という2つの側面を考えた場合,認知的な側面のみで業務を定義しシステムをつくることには限界があります.情動や感情などの側面がいかに業務を支えているかを見つけ出し明示することが必要だと気付いたのです.そのため,看護師たちと共同する取り組みを行い,いくつか例も見出されています.例えば「退院する患者さんを見送ったら,患者さんとその家族が振り返って頭を下げて下さり,それがとても嬉しかった」などです.

看護師たちは,患者さんとの関係づくりとそれを包む感情をとても大事にしています.そこに看護という仕事の意味と価値を自覚している.そんな感情を同僚と共有することも実はとても大事なことです.共有することで,「自分たちの仕事ってこういうものだったよね」と再確認できる.それを看護師たちは「看護の心」と呼んでいます.看護の心はフォーマルな業務だけを追っていたのでは捉えることができません.また,このような感情の共有を通じて,看護の質を高めることができるという現場の期待もあります.そのため,どうすれば看護師たちがそれぞれの感情を表明し共有する機会を持てるのか,そして,そこに看護という仕事のアイデンティティがいかに形成されるのかを明らかにする取り組みを行っています.

2.3 誰がことをデザインするか

木見田 ことのデザインは誰が行うのか,プロフェッショナルデザイナーの役割は何かお聞かせ下さい.

  • ●   その当事者たちによるデザインが出来事への主体性を生む

須永 この問いは,私にとっても重要な課題です.先ほどの看護業務のデザインの中で得た答えの1つは,看護師たちにしかそのデザインはできないというものです.私自身は,看護師たちのデザイン行為にデザイナーがどのように関わることができるかを探っている所です.今,看護師たちが新しい業務をつくり出す方法それ自体をつくること,そういったメタデザインの視点が重要であると考えています.看護師たちには自分たちがデザインしているという自覚は無いかもしれませんが,彼ら彼女らのデザインをサポートし促進する試みをいろいろやっています.

木見田 看護師さんたちにしかデザインできない理由は何でしょうか.

須永 感情表現が大事であるということはわかってきたのですが,現実には看護業務の中で感情を表現する時間を確保することは難しい.かつては帰宅前の控室で先輩と後輩が話すなど,思いを表明し共有する時間があったそうです.しかし,現在は業務管理が厳しく,そういう対話の時間をつくりたくてもそれを確保できない.そんな状況下で,何とか表現活動を看護業務の中に組み込もうと考えたときに,その方法は看護師にしか見つけられません.彼ら彼女らがデザインしない限り,現場に実装され得る解は見つからないというのがわれわれの見解です.看護師たちが自ら見出し,設計し,テストして,自分たちがつくったものだと確信することで,その出来事の受け入れと継続的な運用,さらに改変という営みが可能になります.「私たちも仕事をデザインしていいんだ」という認識をもてることがとても大切です.それが芽生える瞬間に,デザインすることと,デザインされた出来事に対する主体性が生まれます.そのとき,デザインの問題設定は,プロがデザインしてあげるという次元を超えるのです.

  • ●   デザイナーの役割はデザインする場をつくること

外側からデザインの知恵を提供するデザイナーの役割は,当事者たちが主体的にデザインする仕組みと場をつくることです.場をつくるとは,物理的な設備を揃えるだけではなく,当事者たちのマインドセットや向かう姿勢を育むことです.看護のプロジェクトでは,このような場をつくる方法として「表現ワークショップ」を実施しています.このワークショップでは,業務を説明するのではなく表現します.具体的には,看護師たちが,聴診器など,いつも業務で使っているものをスケッチし,描いた絵をお互いに見せながら,描きながら気づいたことを語ります(図3図4).看護の仕事を物語るのです.そこに生まれる表現はとても力を持っています.例えば,聴診器を描いたある新人看護師が,「これは去年,看護学校でもらったものです.この病院でこの聴診器を使って頑張りたいと思います」と語りました.自分が使っているものを見つめ,その意味を感じとり,感じたことを語り,同僚がそれを傾聴し共有する.このように,説明で固められた業務の世界に表現を持ち込むことが,看護師たちを,表現できる,自分たちもつくれると考える人たちに変えていきました.大切なのは,表現することの中に生まれる感情の価値を認め他者と共有することです.これにより,集団として自分たちの看護はこういうものだという確信が生まれ,主体的な場が形成されるのです.

図3 看護師たちのスケッチ(須永他 2013)
図4 スケッチを集合させた物語表現,アプリZuzieは須永CRESTの成果物(須永 2013

2.4 ことのデザインの学問

木見田 ことのデザインを学として取り組むときに必要なことは何でしょうか.

  • ●   説明だけでなく表現の世界をも受け入れる

須永 実践としてのデザインを教育することで,社会に出て活躍するデザイナーが育っている一方で,デザインに関する体系的な知は明らかになっていない.デザインを駆動している知恵を明らかにしたいという想いはあります.デザインすることもまた,当然ですが,人間の知性が駆動しています.そこにはたらく知を明示し体系化するデザイン学に貢献したいと考えています.そのためには学の拡張が必要です.説明と表現という2つの世界を考えた場合に,既存の学問は説明することを中心に体系化されており,「表現」を除外してきた印象があります.しかし,デザインする営みを学問にするためには,「説明」というストラテジーにのみ固執しないという前提が必要になります.自然科学では説明できることでその構築は可能です.しかし,人間や社会を対象とするデザインの学問では,そこに生み出されること,常に変化すること,つまり表現を包含することが重要になります.そこに芸術の営みが参加する新たな学をつくる面白さがあるのです(須永 1991).

  • ●   クリエイティブな知識を教えると,クリエイティブな人材は育たない

1つの面白さは,明らかにした知恵を,学び手に教えることで良いデザイナーは生まれないという事実です.クリエイティブを生む知恵を明らかにしたい一方で,そこに見出された知恵をデザインの学び手に教えると,彼らはその知恵のユーザーになります.ユーザーは自分のクリエイティブを決して生み出しません.知恵は,見出すことと教えることの間に二律背反を生じさせます.それを乗り越えるためには,知恵やメソッドを明らかにすることと同時に,それらがいかに活用されるのかを考える学の形が必要となります.例えば,表現の世界の一部が明らかにされることにより,その世界がさらに広がることを理想とします.それを可能にするには,見出すことと教えることの「順序」を考えることが重要になります.既にクリエイティブができるデザイナーたちがいて,彼らに,彼らがやっているやり方を「方法」として体系的に提示するのです.そのとき初めて彼らがその体系から新たな表現の可能性を手に入れること,そして自身のクリエイティブを拡張することが生まれます(須永,永井 2014).

こういった「発達」としての拡張性を大切にする学であれば,アカデミアと実践者が繋がるはずです.説明することに閉じてしまうことは,知識の積み上げという学にはなりますが,その知識が説明している事象を既に実践している人々はその学に入ってきません.明らかにするだけではなく,実践者たちがその知恵を自らの実践を省察する力として手にすることが大事です.それによって彼らがさらに育つ,そういう発達し拡張するフレームワークを持つ学をつくりたいと思います.そういう学をつくることと,社会の中に知恵を使い実践を知るというマインドセットを形成していくこと,両者をセットにすることでそれは可能になると考えています(須永 2015).

識者紹介

  • 須永 剛司

東京藝術大学 美術学部 デザイン科教授,京都大学デザインスクール特任教授.学術博士.筑波大学大学院でデザインと認知科学の学際領域を学ぶ.スタンフォード大学HCIプログラムを経て1998年に多摩美大で情報デザイン学科開学,2015年より現職. 2006年度須永CREST代表,1999年度未来開拓学術研究推進事業,情報知財の組織化とアクセスの感性的インタフェースプロジェクトに参加.

著者紹介

  • 木見田 康治

首都大学東京 システムデザイン学部 知能機械システムコース・助教.博士(工学).2011年首都大学東京大学院システムデザイン研究科博士課程修了.東京理科大学工学部第二部経営工学科・助教を経て,2013年より現職.主としてサービス工学,Product-Service Systems,設計工学の研究に従事.11年日本機械学会設計工学・システム部門奨励業績表彰受賞.

参考文献
  •   Herbert, A, S. 高宮晋他訳 (1999), システムの科学. パーソナルメディア.
  •   須永剛司,石田修二(1998),長野オリンピック競技記録ビデオ・オンデマンド(作品)http://www.shinmai.co.jp/feature/olympic/199706/97061102.htm, last accessed on Dem. 12, 2016.
  •   須永剛司 (1991).デザイナーのイメージ(第2章),箱田裕司編,イメージングー表象・創造・技能ー.サイエンス社,pp.12-39.
  •   須永剛司 (1997).出来事のデザインと人工物の「かたち」.吉川弘之監修,田浦俊春他編,新工学③ 技術知の射程,東京大学出版会.
  •   須永剛司,永井由美子 (2000).情報デザイン:情報に形を与えること.情報処理学会誌,41 (11),pp.1258-1263.
  •   須永剛司,小早川真依子,山田クリス孝介,渡辺健太郎, 新野佑樹,西村拓一 (2013).Co-designプロジェクトが自発的に回ること -社会を形づくるデザインに向けて-.人工知能学会誌, 28(6), pp.886-892.
  •   須永剛司,永井由美子 (2014),実践するデザイナーのデザイン知とはなにか? .デザイン学研究特集号,日本デザイン学会, 21-3(83), pp.2-12.
  •   須永剛司 (2015), 芸術のデザインからデザイン学を展望する.計測と制御, 54 (7), pp.462-469.
 
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