2019 年 5 巻 4 号 p. 10-15
国内外のワークプレイスにおけるウェルビーイングを巡る動きが盛んだ.ウェルビーイングという言葉は,様々な意味に解釈されているが,これまで企業が認識していた「健康」との違いは「幸福」という身体を越えた精神的な部分にまで言及している点にある.ワークプレイスの文脈で言えば,働く人々が身体の状態はもちろんのこと,人間関係や働き方,精神的な面においても健やかで,人間らしい生活を送れているという状態を目指している.本稿では,国内外のワークプレイスにおけるウェルビーイングに関する実践とその課題や今後の方向性について論じたい.
ワークプレイスにおいて,ウェルビーイングはどのような扱われ方をしてきたのか,Royal College of Art のJeremy Myerson教授による歴史的な四つのオフィス形態をベースに振り返ってみよう.(マイアーソン2017)
歴史的にオフィスが一つの形態として完成したのはフレデリック・テイラーの科学的管理法の思想を色濃く受け継いだ「テーラリスト・オフィス」とされる.工場をメタファーにした「効率性」を追求したもので,ワーカーは管理者による監視の下,仕事の工程をこなすパーツとしてベルトコンベアーを想起させる環境に置かれた.ここではワーカーは機械のように扱われ,ワーカーの頭数で生産性が測られた.健康的配慮は現代のウェルビーイングというものとは程遠く,どのような作業環境であれば効率的業務が行えるか,あくまで雇用者視点にたったものだった.例えば,照度や,空気の質などに工夫が加えられた.
2.2 第二形態「ソーシャル・デモクラティック・オフィス」第二次世界大戦後の好景気が訪れた1960年代に,第二の形態「ソーシャル・デモクラティック・オフィス」の時代がやってくる.欧州を中心に戦後の労働力不足を補うため,より良い賃金ではなく,より良い環境で人材獲得を狙った.ここでオフィスに初めて「人間性」が考慮される.快適でエンターテイメント性のある環境が追求され,監視ではなくコミュニケーションを誘発するレイアウトやアメニティが設けられた.オフィス内に公園が作られたり,食事などのアメニティが用意されたりと,ワーカーを魅了しようとした.現在,メディアをにぎわしているテックカンパニーの無料カフェテリアなどの動きはこの延長線上にある.
2.3 第三形態「ネットワークド・オフィス」第三の形態は,インターネットやモバイルツールが十分に普及した2000年前後からの「ネットワークド・オフィス」だ.様々なデジタルツールを駆使し,ワーカーが働くようになった.作業が物理的な場に縛られないことでワーカーのモビリティが高まり,オフィス空間はデジタルとアナログをつなぐ「柔軟性」を意識した場となった.一方で,デジタル空間にも働くフィールドが展開されワークとライフの境界が曖昧になったのもこの時期からで,ワークライフバランスなどの新たな課題も生まれた.オフィス以外にも自宅や公共空間など多種多様な働く場所が生まれ,ワークプレイスという言葉が使われるようになった.
2.4 第四形態「ミックス・オフィス」この5~10年ほどは,総括には時期尚早としながらも,第四の形態が現れはじめているとMyerson教授は述べている.(マイアーソン2017)それが「ミックス・オフィス」だ.すでにワークライフバランスを上手く調整できるほど,職場と私生活は切り離せなくなり,むしろ環境やツールなどの「多様性」を積極的に融合していこうという考え方だ.より高度なナレッジワークが求められる中,当のワーカーの労働意欲は近年,物理的なものではなく内面性を重視したものへと大きく変化した.滞在時間の短くなったオフィスには,思わず足を運びたくなり,心理的に満たされ,触発されるような体験価値が重要となった.
オフィス形態 | 価値観 |
---|---|
第一形態:テーラリスト・オフィス 1900年~:工場のように情報処理をする環境 |
効率性 |
第二形態:ソーシャル・デモクラティック・オフィス 1960年~:アメニティの充実を目指した環境 |
人間性 |
第三形態:ネットワークド・オフィス 2000年~:リアルとバーチャルに広がる環境 |
柔軟性 |
第四形態:ミックス・オフィス 2010年~:ワークとライフを統合する環境 |
多様性 |
昨今の職場環境にウェルビーイングが注目される理由について,不動産仲介大手CBREが分析した五つの理由をベースに論じたい. (CBRE 2016)
一つ目が,「従業員の長寿命化」である.先進国では平均寿命,就業期間が継続的に延びている.寿命が延びることで,伝統的な,「教育」「勤労」「引退」という3ステージが崩壊しつつある.国の社会保障にも頼れない社会が到来することも踏まえて,ワーカー自らが柔軟なキャリアパスを描く必要があるのだ.教育機関で身につけた一つのスキルセットで戦うのではなく,勤労期間に副業,大学院,起業など様々なキャリアを自らが構築していかねばならない.実際に,50歳以上のワーカーにおいて,賃金や職位よりもフレキシブルに働くことに価値を置いているという調査結果も出ている.
二つ目が,「不健康の増加,健康維持コストの増加」である.生活習慣病にかかるワーカーは増えている.例えば,世界の肥満人数は1980年からおよそ2倍になっているとされる.また欠勤などのアブセンティーズム,働いているようにみえて生産性のあがらない状態プレゼンティーズムも問題となっている.両者によってアメリカとイギリスにおけるGDPが2%減少しているというデータも出ている.
三つ目が,「深刻なタレント獲得競争」である.ITや生産技術の発達により単純な事務仕事は減り,高い課題解決能力を持った人材が必要とされている.優秀なワーカー長く健やかにいてもらうためウェルビーイングに配慮することが必要となった.企業競争力に直結するハイスキルを持ったワーカー,特にテクノロジー人材の奪い合いは深刻だ.実に80%以上のワーカーが健康に対して積極的な企業について賛同している.そして,その状況が企業側に対策を急がせている.(CBRE 2016)世代的には80年代以降に生まれたミレニアル世代,00年代以降に生まれたジェネレーションZと呼ばれる世代が健康的な職場に強いニーズを持っている.
給料を高く設定すれば優秀な人材が集まるという状況ではなく,会社を選ぶ際,「いかに自分らしく,気持ちよく働けるか」「長期に渡って心身ともに健やかに,人間らしく働けるか」を重視するように,個人の労働意識がシフトしてきた.
四つ目が,「ストレスとマインドフルネスに対する意識の増加」だ.ストレスからくるメンタル不調も増加傾向にあり,マインドフルネスなどの心身を落ち着かせるプログラムに対する人々の意識が強くなっている.イギリスでは労働時間の約10%がストレスによって失われているというデータも出ている.
五つ目が,「テクノロジーが健康のモニター,維持を容易に」だ.ウェアラブルなどのモバイルツールが発達し,健康データを容易に取得することができるようになった.
3.2 日本での動き多くの企業では,もともと「健康管理」という概念を持っていた.しかし,それは高度経済成長期,工場で大量生産を進めていた時代から脈々と受け継がれてきたものだ.工場などで働く人々が健康を害さないように,つまり「労働が社員にとって悪にならないように管理する」ものと考えられる.こうした健康管理は“マイナスからゼロ”を目指すものである.対して,欧米が主導するウェルビーイングは“ゼロからプラス”を目指す.従来の健康管理=コストという考えではなく,社員への投資と言っていい.日本のウェルビーイングへの取り組みはまだまだで,その理由として,以下が考えられる.
一つ目は,日本は他国に比べ,医療費が安くさらに医療サービスのクオリティが高い.逆に言えば,他国ほど健康意識が育ちづらい環境だ.例えばアメリカでは自己破産の理由の上位に医療費が入ってくる.
二つ目は,長期雇用の制度が定着し,他国に比べ人材の流動性が低い.そのため,オフィスや働き方の良し悪しがタレント確保に結びつきづらい.
とはいえ,様相は少しずつ変化してきている.一般にスタートアップと呼ばれるIT系のベンチャーを中心とした企業は,アメリカなどと同様に人材獲得競争が激しく,会社に留めておくためオフィスに投資しており,ウェルビーイングも意識している.
IT企業DeNAでは,2016年に社員の健康サポートを行う専門部署であるCHO(Chief Health Officer)室を設置している.
話題となっている政府が推進する「働き方改革」でも,長時間労働是正,テレワークなどを推進し,生産性改善そして柔軟性のある労働環境づくりを目指している.日本においては,クールビズの例を出すまでもなく,政府のリーダーシップが労働環境を変える大きな役割を担うため,今後の動向が注目される.
先進国オーストラリアの取り組みを紹介したい.著者は,日本企業が昨今目指している働き方改革,それに付随するウェルビーイングのモデルはオーストラリアにあるのではないかと考えている.
オーストラリアは金融や観光などのサービス業が国内総生産(GDP)の7割を占めるという産業構造でありながら,日本の国土の20倍の土地に2300万人が散らばっており労働集約的な産業が発達しづらい事情がある.ゆえにタレントの確保やリテンションが他国と比較しても重要な課題だ.
そうした社会的要請を受け,2007年に与党となった労働党は,短時間勤務や在宅勤務など柔軟な働き方を推進した.
他方,集約しすぎない都市生活のあり様は,高いクオリティオブライフ(QOL)を実現したとも言える.いまや住みやすい都市ランキングではオーストラリアの都市が必ず上位に食い込む.自然環境や都市環境がバランスよく整備されているのだ.QOLに対する生活者の意識も高く,生活とビジネスを両立しやすい国である.
また元来,独自の生態系を守るための動植物や環境保護に対して積極的に取り組んできた.不動産の分野では,グリーンリースと呼ばれる環境に配慮された貸借契約制度を世界に先駆けて実用化した.新制度の浸透を促すインセンティブとしてNABERS及びグリーンスターと呼ばれる建築物に対する独自の環境性能認証を運用してきたことも見逃せない.結果的に,環境技術の開発・導入が進み,ワーカーにとっても心身ともに負担の少ない物理的環境を提供する下地となった.交通に次いで建築物が環境負荷の高い事象として認識されている同国では環境に配慮された「グリーンビル」が推進されている.
このように産業構造,環境配慮の観点からオーストラリアではワーカーにとって社会的,心身ともに良い状態にあるウェルビーイングな職場が広まったのである.
4.2 働き方の切り札ABWオーストラリアでは,ウェルビーイングな働き方としてActivity Based Working(通称ABW)というコンセプトが広く浸透している.ワーカーが自分で働く場所を選ぶABWは,もともと90年代にオランダから始まったもので,オランダでも深刻な労働力不足という問題に対してABWを生み出し,人材を確保することができた.その後,2000年代にオーストラリアに輸入され,今ではオーストラリア全土に広がりを見せている.
従来のフリーアドレスやノンテリトリアル・オフィスといったコンセプトは,「オフィスの中を自由に選択する」というものだったが,ABWはオフィスに限らず,自宅やカフェ,図書館など「働く場所そのものを自由に選択する」という概念で,オフィスですら選択肢の一つになっている.
これは企業とワーカーの双方にメリットをもたらすものだ.企業側からすれば人数分の席を用意しなくていいので,明らかにスペース効率が高まる.当然,柔軟な働き方によって人材を確保しやすくなる.
また,ワーカー側は仕事と生活を上手く統合しやすくなる.例えば朝はオフィスに行き,夕方はNPOで働きたいとか,家事や育児,介護など家庭事情にも対応できるのが魅力となる.こうした双方のメリットが,ABWが広まってきている理由だ
ここからは,オーストラリアにおけるABWを含めたウェルビーイングな働き方に関する六つの実践知を紹介していきたい.
5.1 ワン・カンパニー:組織文化の浸透ABWが浸透した国では,「ABWはチームを殺す」そんなことが囁かれる.帰属意識が希薄になりがちだからだ.ワーカー同士のつながりをいかに担保するか,また自律的に行動するワーカーにどう求心力を働かせるか.全員が一つの企業で働いているというワン・カンパニーの価値観をどう伝えるかが課題である.長くオフィスを離れるワーカーほど社会的なコミュニケーションを好む傾向があるとされ,ワーカー同士のつながりを作るカフェやキッチンは有効な場所だと言える.社内の動きを常に感じ取れるような視覚的なつながりを作るだけでも違うはずだ.定期的に開かれる事例共有会などソフト面でのアプローチも欠かせない.
5.2 マインドフル:意識の調整マインドフルネスは近年アメリカを中心にテックカンパニーから広がり始め,現在ではウォール街で働く金融ワーカーにも注目されている.狭義には「瞑想」などと訳されるが,本来は「適切な方向に意識を向ける」という意味である.様々な情報にさらされストレスフルなワーカーを成果に集中させることが,今求められている.オーストラリアでは一人で集中できるブース,1対1で向き合えるような場所,外部との接触を断てる屋上などを提供することは有効だとされている.また瞑想プログラム,コーポレートアスリートと呼ばれるような,ワーカー自身のセルフコントロールでいかに集中をつくりだすか方法論を指導する例なども生まれてきている.
5.3 セレクタブル:選択肢の提供ABWのような場所と時間を選ばない働き方が広く浸透することで,これまでの縛りつけられていたデスクを離れ,自ら場所を選択することで業務の効果を最大化することができる.物理的に一箇所に留まらないことで,リフレッシュや身体的なストレス軽減も期待できる.また,時間の制約がないことで家庭事情に悩まされることも少なくなる.こうした働き方はラップトップで仕事ができるテクノロジーの恩恵だけでなく,マネジメントの変化も支えとなっている.それはプロセスではなく成果を中心とした評価への大きなシフトである.ワーカーには一層,仕事に対する高いコミットメントが要求される.ABWには選択肢のある場と共に信頼と責任のマネジメントが必要なのだ.
5.4 コンビニエンス:手軽なアクセスウェルビーイングには節制や我慢など,どこか教条的かつ強制的な雰囲気を感じるワーカーも少なくない.より簡易にかつ効果的にワーカーがより良い状態になるようアクセスしやすい施策を打つことが重要である.例えばふんだんに植栽をあしらいワーカーと自然環境との接点を作るオフィスが増えている.またカフェテリアで健康的な食材にこだわり,糖分の多い飲料を扱わないことで社員の賢い選択をサポートしている.ウェアラブル端末やSNSなどのテクノロジーを活用して健康管理を促進する企業も現れており,ウェルビーイングとの新しい付き合い方が模索されている.
5.5 ナッジ:そっと背中を押す手座った状態を維持すると足の血流が止まり,常態化すると死亡率が上がることは豪州,欧米では一般的に知られている.最近では,集中を切らさない意味も含め,頻繁にデスクを昇降させながら働くことが広く浸透してきた.昇降デスクに加えクリエイティブカンパニーにとって重要なコミュニケーションを誘発する装置として,最近では内部階段も象徴的な要素となっている.昇降デスクにせよ,内部階段にせよ,すぐに手や足を伸ばせば効果が生まれるような,そっと背中を押す効果を最近ではナッジと呼んでいる.また社会的に意義のある認証を取ることも,ワーカーにウェルビーイングに対する意識付けを後押しすることにもつながると言っていいだろう.
5.6 ナチュラル:職場らしさの排除従来の管理しやすい無味乾燥な規格化されたオフィス環境は,生活と仕事の境を求めない自律的なワーカーから明確に拒絶されはじめている.自然素材を活かしたオフィスのあり方,また自分たちの価値観を反映した身の丈にあったインテリアのあり方は示唆的だ.チルドビームなどの心地よい環境制御技術も自然体の環境づくりには欠かせない.また個人の裁量でチューニングできるような環境を準備することも人間らしい自然な職場では重要である.
ウェルビーイングという抽象的な概念をより大きなムーブメントにすべく産業界から様々な認証制度も生まれている.
最も広く知れ渡っているのは「WELL Building Standard」(WELL認証)だろう.空間のデザイン・構築・運用に「人間の健康」という視点を加え,より良い住環境の創造を目指した評価システムとされる.
以前より,建物の性能評価としてグローバルスタンダードLEED,日本版LEEDとも呼ばれるCASBEE等で評価されてきた環境・エネルギー性能との違いは,建物内で暮らし,働く居住者の健康・快適性に焦点を当てた建物・室内環境評価システムだという点である.特に居住者の身体に関わる評価ポイントについては,環境工学の観点だけでなく,医学的な観点からも検証がなされているのが特長である.
2018年5月には改訂版v2がリリースされ(International WELL Building Institute),「AIR」「WATER」,「NOURISHMENT」,「LIGHT」,「MOVEMENT」,「THERMAL COMFORT」,「SOUND」,「MATERIAL」,「MIND」「COMMUNITY」の10のコンセプトで審査される.2018年10月時点で,929件の登録があり,その内,130のプロジェクトが認証を受けている.日本でも2017年5月に大林組技術研究所が日本初の認証プロジェクトに選定されている.社会的なESG投資の盛り上がりも受けて,WELL認証への注目度は高まってきている.
日本独自の動きもある.国土交通省が主導となって日本版WELL認証とも呼べる健康的なビルの認証制度の策定を急いでいる.また経済産業省は,東京証券取引所と共同で,従業員の健康管理を経営的な視点で考え,戦略的に取り組んでいる企業を「健康経営銘柄」とする取り組みも行っている.
日本 | 米国 | 欧州 | その他 | |
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環境総合 評価指標 |
CASBEE DBJグリーン ビル認証 |
LEED | BREEAM | GreenMark GreenStar |
エネルギー 性能指標 |
BELS | Building EQ Energy Star |
The EU energy rating label |
|
人間中心 建築指標 |
※国交省が準備中 | WELL | RESET |
一方で,WELL認証は審査項目が多岐に渡り,かつ基準も厳しいため,WELLと比較して簡易的に取得可能な他の認証にも注目が集まっている.アメリカで代表的なものとしては「fitwel」が挙げられる.これはアメリカ疾病予防管理センター(CDC)と連邦サービス局(GSA)が共同で提案したもので,12項目で評価される.
アプローチが異なるものとしては,中国の「RESET」がある.今のところ空気の質に限定したものだが,センサーなどによるリアルタイム・モニタリングなどテクノロジーをベースとしたもので,近年注目度が高まるスマートビルディングへの対応を予見させる.
ここまで物理的なワークプレイスにおけるウェルビーイングを巡る現状とその最新の動きについて紹介した.最後に,今後のウェルビーイングについて論点を三つ提示しておきたい.キーワードは「都市のワークプレイス化」,「脱機械論的アプローチ」,「東洋的労働観との調和」である.
7.2 都市のワークプレイス化WELL認証の公式サイトには「人は生涯の90%を室内空間で過ごす」という記載がある.確かにその通りだろうし,室内空間のウェルビーイングが人体に影響すること自体は疑いようもない.しかし問題は同じ室内空間にいるか?ということだ.室内空間だけではない,昨今では公園などの屋外空間でもワークプレイスは増加している.
ABWの時代には,オフィスワークの主体はオフィスではない.業務に応じて,自宅,カフェ,図書館,ありとあらゆる場所を選択しながら仕事を遂行する.一企業の特定のオフィスだけ認証を取っても,十分とはいえない.
さらに先進的な企業はオフィス空間のみならず都市そのものにも注目し始めている.都市経済学者のリチャード・フロリダが「都市はスパイキー」と表現しているように,世界の都市に局所的に優秀なワーカーが集積している.労働力が柔軟に移動する現代では,豊かなライフスタイルを提供できる都市が,ワーカーをひきつけるのだ.この都市の豊かさから享受できるウェルビーイングをどのように企業経営に取り入れていくのかは重要な視点だと考えている.アメリカのザッポスのように地元ラスベガスの都市づくりに積極的に介入するような事例も出始めている.
7.3 脱機械論的アプローチWELL認証などで評価される昨今のウェルビーイングに関する施策は,多くは人間性に注目しているとは謳っているものの環境のセッティングによって,機械的に人間の生産性を操作できるという機械論的アプローチの域を出ていない.そこには不動産デベロッパー,設計事務所,家具メーカーといった認証作りに積極的に関わった産業界の思惑がにじみ出る.
人間性が複雑で機械的に扱えないということは,オフィス環境研究の世界でも1920~30年代に行われた通称「ホーソン実験(またはホーソン研究)」でも指摘されてきたことだ.
ホーソン実験は,シカゴ郊外にあるウェスタン・エレクトリック社ホーソン工場で行われた実験,調査だ.「テーラリスト・オフィス」全盛の時代にあり,もともと照明を主体とした物理的な作業条件と,ワーカーの作業効率の関係を分析する目的だった.しかし,調査を進めると作業効率が,物理的な職場環境よりも人間関係や職場態度などに左右されることを発見した.
実験が行われてから90年ほどの年月が経っているが,いまだにサプライヤーサイドのニーズでウェルビーイングの測定がされている点に疑問を呈したい.
7.4 東洋的労働観との調和ウェルビーイングという概念の根底には,西洋の「ユートピアには労働がない」,「労働=悪」という考え方を感じる.その分,生産的に労働をこなし,余暇や自分の時間を積極的につくろうという動きが主流だ.
一方で,仏教や儒教に強い影響を受けた労働観には労働を忌むべきものではないという考え方がある.実際,中国のユートピア「桃源郷」には労働の概念があるし,仏教の教えからは働くということは誰にも強制されることなく,自分の意志で進んで他人に役立つことというニュアンスがある.日本人の働き方としてうなずける部分があるだろう.
不思議なことに,こうした日本人のワークとライフの主客を分けない労働観をフレームワーク化した「IKIGAI」というコンセプトが欧米のワーカーで話題になっている.ワークとライフを積極的にミックスしようという流れの中で,乱暴な言い方が許されるとすれば,西洋が東洋的な働き方に移行しつつあるとも言える.生産性や長時間労働の問題はあるにせよ,労働を積極的かつポジティブに捉える東洋的なウェルビーイングのあり方も模索されていいはずである.
コクヨ株式会社クリエイティブセンター 主幹研究員/WORKSIGHT編集長 コクヨ株式会社に入社後,オフィスデザイナー,戦略的ワークスタイル実現のためのコンセプトワークやチェンジマネジメントなどのコンサルティング業務に従事し,手がけた複数の企業が「日経ニューオフィス賞」を受賞.2011年にグローバルで成長する企業の働き方とオフィス環境を解いたメディア『WORKSIGHT(ワークサイト)』を創刊し,研究的観点からもワークプレイスのあり方を模索している.2016-2017年ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(RCA:英国王立芸術学院) ヘレン・ハムリン・センター・フォー・デザイン客員研究員を兼任.