2019 年 5 巻 4 号 p. 4-8
近年,スマートフォンに代表される情報技術の過度の使用がそのユーザーの精神状態に負の影響をもたらすことが研究者や市民団体,そして企業によっても指摘されている.この問題の範囲としては若年層のSNSユーザー個人の精神衛生の劣化 (Twenge et al, 2018),ユーザー同士の社会関係の希薄化 (Turkle 2015),政治的な分断と不寛容の増大 (Pew Research Institute 2014)というように,社会の局所レベルから大局的レベルまで広範囲にわたっている.このような状況の中で,問題の所在を正確に議論し,対応を構想する上で,ウェルビーイング(well-being)の概念が広く議論されている.世界保健機関(WHO)の憲章や国連の「持続可能な開発目標」(SDGs)が推進するテーマとしても知られるウェルビーイングとは,主に心理学の分野で発達してきた「健康な精神衛生状態」を構成する諸要素について研究するための概念である.従来の幸福度や人生充実度といった単一の尺度の結果ではなく,幸福度を構成する複数の要素(因子)を切り分けるという考え方がウェルビーイングの特徴であり,それらの要素を個別に評価することによって,具体的な技術の設計上の問題の議論が可能になる.
筆者が設計に関わってきた情報サービスにおける日本的な価値観に基づくウェルビーイング概念の適用とその評価の可能性については既に(チェン 2018)で述べている.そこで本稿では情報技術を用いたサービス全般において,ウェルビーイングの応用可能性はどのように考えられるのか,主に集団性(collectiveness)と自律性(autonomy)という,一見相反する概念の相互作用を起点にして考察していく.この過程で,サービスの提供者と利用者(ユーザー)という関係性についても,一方が他方を制御する他律モデルではなく,相互に対称的な存在として相互作用を行う自律モデルとしての定義が求められていることを議論する.
これまで,社会の経済的な発展の度合いとウェルビーイングの相関を調査する研究が行われてきたが(Diener 2002)(Hills et al, 2015),経済的発展や技術の進展といった合理的な社会的開発の指標が必ずしも単純に人間のウェルビーイングの実情を反映しないということが示されている.そんななか,近年は情報技術とウェルビーイングの関係性が議論されることが増えてきた.なかでも,リアルタイムな画像解析などの技法を用いてユーザーの感情を計測し,効果的な介入方法を探るAffective Computing(Picard 1995)の系譜に位置づけられるPositive Computing(Calvo & Peters, 2015; カルヴォandピータース2017)は,人間の潜在能力が「開花」(flourish)するための条件を論じるポジティブ心理学やその他の理論モデルを参照しながら,ウェルビーイングに資する情報技術の設計可能性について多様な具体例と共に紹介している.なかでも,Boehmらの行ったポジティブ心理学を用いた介入研究のメタレビューによれば(Boehm et al, 2011),個人主義的価値観を反映しているウェルビーイング理論に基づいた介入方法は,アジア地域出身の集団主義的な文化的背景の人間に対しては効果が低いことを示している.このエビデンスに加えて,現在のウェルビーイング研究の主流が欧米社会をモデルにしていることを踏まえれば,欧米以外の文化的価値観に根付いたウェルビーイングのモデルの研究が必要とされていると言える.このような動向の観察からも,西洋社会の理論モデルを単純に輸入するのではなく,各地域の価値観に馴染む情報技術とウェルビーイングのモデルを打ち立て,その適切な関係性を議論する必要があると言える.
そこで日本社会を研究対象とする場合,日本社会で生活する人々の価値観に適合するウェルビーイングのモデルとしては,個人主義と集団主義のいずれが適切なのかという問いが生じる.ここで日本は集団主義の国であると断じたり,アジア諸国は集団主義的価値観が支配的であるとみなしたりするのは安直に過ぎるだろう.特に日本の歴史的経緯を踏まえても,土着の固有文化に加えて,アジアのみならず,西洋からの影響も多分に受けていることから,個人主義と集団主義の両極の中間に位置する社会文化と捉えた方が適切だろう.その上で,個人主義的ウェルビーイングのモデルを補完するものとして,集団主義的なウェルビーイングのモデルを考えれば,日本社会のみならず,アジアや西洋諸国におけるウェルビーイングの議論にも貢献できるだろうと考える.
2.1 集団性から普遍性へ個人主義的な価値観に根付いたウェルビーイングの構成要素は,個人の主体のなかで自己完結する指標が支配的である.たとえばDienerらの主観的ウェルビーイングの報告は主に報告者自身のポジティブ感情とネガティブ感情,そして人生充実度を問うものである.また,Seligmanのポジティブ心理学では5つの要素(PERMA)が使われるが,このうち「ポジティブ感情」,「没頭」,「意義」,「達成感」の4つは個人主体のなかで完結する価値観であり,唯一「良好な関係性」は他者が介在するものになっている.これに対して,まだ研究が未開拓である集団主義的な価値観には,当該主体の内的状態のみならず,より間主観的に他者そのもののウェルビーイング(の認知)が影響するだろうと考えられる.集団主義的価値観に根付くウェルビーイングとは,個を集団から独立させずに,集団そのもののウェルビーイングを評価する考え方として仮定できる.
集団を社会システムとみなし,そのウェルビーイングを評価することは同時に,個々人の政治的志向性がSNS等の情報のフィルタリング技術に捕捉されることで社会的分断が加速しているといわれるフィルターバブル現象(Paliser 2011)の弊害が顕著である欧米社会においても必要とされている視点であるといえる.フィルターバブルの要因と考えられるGoogleの検索技術やFacebookのパーソナライゼーション技術はあくまで個人の関心を対象とし,同一性の高いクラスターのなかに閉鎖する働きを持つ.結果的に社会に潜在する様々な対立軸ごとにクラスターの境界線が可視化され,個々人の帰属意識が強化される.これは企業や公的機関といった比較的小規模な組織におけるセクショナリズムが社会規模に拡張されている事態として捉えられる.すると問題となる点は個人主義か集団主義かという対立軸にあるのではなく,他者の自律性や多様性に対する許容という次元に移行する.政治的フィルターバブルが強固に存在する限り,個々人のウェルビーイングは,結局は当人の政治思想がその時々の政権の方針と整合するかということに左右される.そうだとすれば,個人内で完結するウェルビーイングの因子を解析するという視点自体に理論的な限界があることが明らかになる.実際に,自分と異なる価値観の他者を排斥し,ネガティブな状況を相手に帰責するというメンタリティは政治思想の左右を問わず,社会全体のウェルビーイングを損ねている(Pew Research Institute 2014).だから,個人のレベルのみならず,身の回りの集団から社会全体に至るまでのウェルビーイングを志向するということは,文化的な相対論に拠る差異ではなく,多様な価値観がひしめき合う現代におけるあらゆる社会が到達すべき普遍的な課題であるといえるだろう.
同時に,社会のウェルビーイングというと,真っ先に全体主義が想起されるだろう.全体最適のために社会の構成員が犠牲を厭わないという全体主義の図式は,個々のウェルビーイングを阻害するという意味で,現代的なウェルビーイングの議論には組み入れられない.そうではなく,社会の構成員が自らの心的充実を犠牲にすることなく社会全体の活性化を意図するためには,各人が他者の活性化を意図することが必要になる.つまり,社会を構成する各人が,自らの自律性のみならず,他者の自律性をも尊重する必要がある.社会の同一性が高ければこのことは問題になりにくいが,社会の多様性が高ければ,互いの異なる価値観を尊重し合うコストは高くなる.
多様な集団における構成員の自律性を考えるための理論としては, DeciらのSelf-Determination Theory(自己決定理論,SDT)(Ryan and Deci 2018)が挙げられる.SDT研究は,人間の動機が外部から与えられる場合には,自律的に動機が生成される場合と比較して学習や発見が少ないことを報告している.また,SDTはコミュニケーションの相手の自律性を尊重するため,ある種の教育論とも通底する.相手の自律性を支援するという観点において,SDTは相手の視点に立ち,選択肢を与え,自発的な探索と決断を促し,また,その決断の根拠を示すことを重要視している.こうしたSDTの特徴は,上司と部下,教師と学生,親子といった上下関係を前提にした状況で参照されやすいが,友人同士といった対等な関係においても重要であるとDeciらは説いている.
ここまでの議論を,ユーザーとサービス提供者という関係性においても適用して考察すると,どのような帰結に至るだろうか.まず,ユーザーの集団であるユーザー・コミュニティとサービス提供者を一つのコミュニケーション・システムの双極とみなし,それぞれのウェルビーイングの軸を据える.ここで想定するサービスの提供者は企業,政府や自治体,NPO,または個人であってもよい.従来は,サービス事業者が一方的にサービス内容をユーザーに提供し,ユーザーは得られる利益に応じて対価を支払うという経済合理性の枠のなかで議論が行われてきた.この関係性にウェルビーイングの視点を導入することにより,個々のユーザーのみならず,サービス提供者側のウェルビーイングをも考慮した設計が促される.
3.1 Time Well Spentの対称性このような枠組みを実行しようとしている一例が,Time Well Spentという取り組みである.Harrisによって提唱されてきたTime Well Spentとは,シリコンバレーのサービス事業者がこれまでユーザーのサービス滞在時間(Time Spent)のみに注視し,その最大化を図ってきたことに対して,ユーザーがサービス内で体験した良質な時間(Time Well Spent)の指標化を提案する動きである(Harris 2015).
たとえば旅行者であるゲストと受け入れ先のホストをマッチングさせるCouchsurfing(Couchsurfing, 2004年に創業)では,ゲストとホストが物理的に共に過ごした時間から,Couchsufringのウェブページで過ごした時間を差し引いた時間量をTime Well Spentと定義し,経営指標として掲げているという.旅行が目的であるユーザーにとってサービス上で過ごした時間は無駄な時間であるという発想は,企業の都合ではなくユーザーのウェルビーイングを優先するものである.厳密に考えれば,ウェブサイト上で旅先のホストを探し出す過程において,好奇心を刺激されたり,未来の旅行のプロセスを想起したりといったポジティブ感情が生起することも想定できるが,それでもユーザーの主観的ウェルビーイングを考慮したサービス設計の模範的な例だといえるだろう.ここで重要な点は,サービス事業者が自己犠牲を払ってまでユーザーのウェルビーイングを優先しようとしているのではない,ということだ.Couchsurfingの従業員の心理評価のデータはないが,自分たちの提供するサービスがユーザーの主観的ウェルビーイングに資するものであるという客観的な評価は,従業員それぞれの自己有能感(SDT理論のcompetence)を高め,良好な社会関係(SDTのRelatednessやポジティブ心理学のpositive Relationship),そして人生の意義や達成感(ポジティブ心理学のMeaningとAchievement)といった認知の充足につながることは想像に難くない.だから,Time Well Spentはユーザーのみならず,サービス提供者のものでもある.
3.2 Time Well Spentの指標化Time Well Spentの具体的な内実はサービスの業種ごとに異なるだろう.たとえば不特定多数のユーザーがコミュニケーションを交わすSNS等のオンライン・コミュニケーション・サービスにおいて,Time Well Spentはどのように定義され得るか.たとえば,筆者が設計と運用に携わった匿名掲示板サービス「リグレト」(チェン他 2012)では,ユーザー視点に立ってコミュニケーションの成功率という指標を確立し,統計的な評価を行った.
リグレトでは悩みを投稿するユーザーとそれに励ましを送るユーザーがいて,集まった励ましのメッセージに対して悩みを投稿したユーザーがクリック回数によって感謝の念を伝えることによって,そのスレッドは閉鎖する(サービス内では「成仏」という).この悩みと励ましのサイクルが終了することをコミュニケーションの成功と規定することで,逆にどれだけのユーザーがコミュニケーションに成功できていないかということを数量化し,アルゴリズムの改変による施策がどれだけ成功率の向上に寄与できたかということを評価した. この時はウェルビーイングやTime Well Spentの議論は行っておらず,リグレトは2017年1月にサービス終了しているが,再びサービスを再開する時には本稿の研究的関心に沿って利用データの解析を行ったり,ユーザーの主観報告を収集したりといった評価が行えるだろう.たとえば,悩みを投稿するユーザーにとってのTime Well Spentは,包摂的な励ましのメッセージを読み,感謝の念を表すためにクリックを送る時間であり,励ましを投稿するユーザーにとってのTime Well Spentは,悩みに対してメッセージを書き,それへの返礼のメッセージ通知を受け取って読む時間が当たるだろう.同時に,ユーザーがサービスに依存してしまって過度に滞在時間を累積してしまわないように促すことも必要になる.人間としてのユーザーにとっては,オンラインでのコミュニケーションはあくまで補助的なものであり,実世界の日常生活における基底のTime Well Spentを奪うものであってはならないからだ.その意味では,ユーザー個々人にサービス上での自身のTime Well Spentの内訳が開示されることでサービス事業者とユーザー間の対称性が保たれる.
また,このようなユーザー・コミュニティの評価を行うこと自体がサービス提供者である従業員のウェルビーイングを向上したことは主観的に報告できるが,このことについても客観的な評価方法が求められるだろう.また,ユーザー・コミュニティ全体にコミュニケーションの成功率が高く維持されているという情報を共有することによって,ユーザーもまたサービスを形成している構成員としての主体性(agency)を認知する契機を生じることができるだろう.
HarrisによるTime Well Spent構想は,食品トレーサビリティの技術が確立されたことによって無農薬有機栽培の食品が認証されるという動きにつながったように,情報技術サービスにおいてもユーザーのデータをどのように解析してサービス運営に役立てているかという透明性を担保することによって,Time Well Spentに資するサービスを認定するというアイデアでもある.いわゆる業界標準を構築し普及させることは利害関係の調整が必要になり容易ではない.そこで重要となるのが,実効的なユーザー・ウェルビーイングの評価と測定の方法を構築することである.
業態の異なる個々のサービスごとにTime Well Spentなどのユーザー・ウェルビーイングの評価を行うことは可能だが,共通の評価軸がなければ比較することができなくなってしまう.また,あまりにも煩雑な処理が必要になってしまうのであれば,サービス事業主体がそのような計測を取り込むこと自体が阻害されてしまう.そこで肝要となるのが,汎用的なウェルビーイングの測定方法の構築だが,その道筋はまだ明らかになっているとは言い難い.
心理学以外の分野において,自律性の議論が活発に研究されている例としては,生命性という概念をソフトウェアやロボティクスを用いながら議論する人工生命(Artificial Life)の領域がある(岡他 2018).人工生命研究においては,機械学習に代表される人工知能技術による「最適解のレコメンデーション」が,人間の自律性にどのような影響を及ぼすのかという社会的な視座の議論も存在するが,生命システムの相互作用という文脈では,相互の自律性の問題を論じたVarelaのAutopoiesis理論がある(Varela 1979).生物は自ら行動を決定しているように見えるが,この生命の持つ自律性を理解するために,Varelaは「細胞のように自らの境界を再生成し続ける再帰的なプロセスにこそ自律的行動の源がある」と考え,細胞膜の崩壊と再生成を数理的にシミュレーションしたSCLモデルの構築から,社会システムの自律性をどのように把握するかという議論までを行っている.そして,生命理論に端を発する社会システム理論の視座に立って,他律的なシステムと自律的なシステムを比較した(表1).
他律システム(von Neumann型) | 自律システム(Wiener型) | |
---|---|---|
接続の原理 | マッチング(同一性) | 適応(整合性) |
構成の原理 | 入力/出力,写像関数 | 作動的閉鎖系,システム固有の挙動 |
相互作用の原理 | 指示と表象で定義された世界 | 意味が創発する世界 |
この表ではvon NeumannとWienerという現代の情報科学の基礎を形成した二人の数学者が企図した情報技術の認識論の差異を比較している.ここでVarelaは現在の計算機はそれ自体が他律的な存在であり,また世界を他律的なものとして操作することに対して,WienerがCyberneticsの議論において構想した計算機とは,世界や他存在をより自律的で生命的な存在として捉え,相互作用するものとして捉えている.本稿ではここに挙げられている概念を一つ一つ議論することはできないが,最も重要な点は相互作用の原理の差異にある.他者を他律的な存在とみなすシステムにおいては,価値や意味が既に定義されているが,自律的なシステムの相互作用においては,意味と価値はその都度,システム同士の関係性のなかから創発される.
4.1 自律性と間主観性の計測相互作用を行う自律的なエージェント間でどのような情報の流れがあるのかということを検証することで,活発なコミュニケーションを成立させる条件を探る研究がある.たとえばPerceptual Crossing Experimentというセットアップでは(Kojima et al, 2017),被験者同士が一次元の仮想空間上で自らのアバターを動かし,人間もしくはボットのエージェントに接触する時に音が発生し,相手が人間かどうかを判定する.この際,相互作用のログを解析し,どちらからもう片方へ,より大きな情報の流れが発生しているかということを計測するTransfer Entropy (Schreiber 2000)を計測する.すると,受動的に相手に触れられるというPassive Touchの体験が,相手の実在感を認知することにつながり,それが相互作用を引き起こすことが議論されている.
このように微細な時間枠における挙動データから,エージェント同士の間主観性の認知と相互作用の成立を評価する研究が進めば,コミュニケーションの活性度合いを計測データから評価する手法の確立につながるだろうと考えられる.今後のウェルビーイングの評価方法の研究では,このようなミクロのレベルの相互作用現象の観測と,マクロな主観報告のレベルを接続していく観点が求められるだろう.
昨今の情報技術産業における個人情報のクラッカーや広告企業,他国政府への大規模な流失事件や,従業員が集団で自社の非倫理的な開発方針に抗議している動きを顧みれば,ユーザー・ウェルビーイングを起点にした情報技術設計が現代社会の根本的な価値観の争点になっていることは明らかだといえる.
いかにユーザーを他律的に制御するかという経済合理性がいまだに主要の論点となりがちな情報技術設計の議論のなかで,本稿のようにユーザー・ウェルビーイングを設計の起点とする議論を歓迎して頂いたサービス学会に謝意を著したい.今後とも,ユーザー・ウェルビーイングの指標と計測に関する議論が活発に交わされ,サービス事業者とユーザーの共創に関するラディカルな知見がさらに集積されることに期待したい.
筆者はJST RISTEX「人と情報のエコシステム」領域の採択プロジェクト「日本的Well-beingを促進する情報技術のためのガイドラインの策定と普及」(代表者:安藤英由樹)に研究分担者として参加しており,本稿でのアイデアの多くはそのなかの議論から生まれた.
早稲田大学文学学術院准教授.特定非営利活動法人コモンスフィア理事,株式会社ディヴィデュアル共同創業者.情報デザインの観点から,ウェルビーイングと人工生命の研究活動に従事.