サービソロジー
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特集:フィンテックがもたらす新たなデータの利活用
中国フィンテック事情 -モバイルペイメントとその周辺
王 京穂
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2019 年 6 巻 2 号 p. 42-48

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1. はじめに

フィンテックの世界において,中国は今,先進国になったともいわれている.特に,中国におけるスマートフォンを利用するモバイルペイメントの普及とその利便さは有名である.本稿は,このモバイルペイメントとその周辺への展開を中心に,中国フィンテック事情を紹介する.

図1 フィンテックの3分野(筆者作成)

フィンテックは,大きく金融決済,資金運用・調達とリスク流通(マネジメント)の3つの分野がある(図1).リスク・流通の分野では,例えば,新種の保険商品,新興市場の設立,資金運用・調達の分野では,クラウドファンディング,暗号通貨を利用する資金調達ICO(Initial Coin Offering)等,決済において,カードの普及やスマートフォンを利用するモバイルペイメントの発展がある.藤田の整理によると,中国のフィンテックは,問題を抱えながら,この3分野のいずれにおいても,目を見張るような発展を遂げてきた(藤田 2018).いくつかの問題を先にいうと,例えばクラウドファンディング,中国ではP2P金融と言い,一時大変ブームになったが,プラットフォームを提供する会社側の不正等で,多くのトラブルを引き起こした.また,ICPを利用する資金調達や証券化の仕組みを使用して株式市場に投資するレバレッジ投資等も一時流行したが,今は下火になっている.一方,成功した事例は多くある.株式市場のETFやETFオプションの導入,独自の決済システムの開発,銀行店頭事務の無人化等の事例がある.その中,特にモバイルペイメントは,その普及の範囲とスピード,またその多様な応用の広がり(ビジネスモデル)において,世界的に見ても最先端的な試みである.中国自身もモバイルペイメントを新四大発明*1の1つとして位置づけ,誇りにしている.

中国におけるモバイルペイメントの発展は,現金の不便さとその市場の大きさに原因を求める見方も多い.最初のきっかけは確かにそうであったが,その発展の背後には,顧客ニーズに合わせた持続的な技術革新と顧客体験向上の努力がある.本稿は,

  • 1)中国のモバイルペイメントの誕生
  • 2)急速普及の背景
  • 3)顧客体験の向上
  • 4)関連データの活用による信用社会の構築

の4つの切り口から,中国のフィンテクの発展をのぞいてみる.

2. モバイルペイメント

一般的に,キャッシュレス決済は主にクレジットカード,デビットカードと電子マネーの使用によって実現される.中国では,クレジットカードは普及していないため,キャッシュレス決済の主役はデビットカードとスマートフォンにインストールする電子マネーである.中国では,電子マネー決済はモバイルペイメントと同義である.

以下,銀聯ネットワークを利用する銀行カード(銀聯カード),電子マネーアリペイとウィーチャットペイについて簡単に紹介する.

(1) 銀聯ネットワーク

中国銀聯(Union Pay)は,2002年に中国国内の80以上の金融機関が共同で設立した決済ネットワークである.銀聯ネットワークによって,中国の金融機関の決済システムが標準化し,効率的な決済が可能になった.消費者向けに,銀聯ネットワークは,キャッシュカード及びクレジットカードによる決済サービスを提供する.「銀聯」のロゴが入っているカードを「銀聯カード」という.銀聯カードのデビットカードは,60億枚以上が発行されている.

銀聯カードの使用について,店頭に専用のICチップ読み取り端末を置き,カードを通したのち,暗証番号入力やサインをして決済を行うのは日本のデビットカードと同じである.

(2) アリペイ(Alipay,中国語:支付宝)

アリババ社*2傘下のタオバオ(淘宝)は,中国最大のオンラインショッピングサイトで,今では5億近くの登録ユーザーを有し,毎日6千万の訪問数がある.タオバオが2003年にサービスを始めた頃,売り手と買い手との間に信頼関係が確立できないことは取引成立の大きな障害であった.日本のネット通販では,一般的に買い手の信用はクレジットカードで担保し,売り手の信用は店の信用によって担保される.中国の場合,クレジットカードが普及しておらず,タオバオの売り手に個人が多く,ネット上における信用の確立が困難であった.すなわち,タオバオ上の取引は,売り手も買い手も相手が債務不履行する信用リスクに直面する.その信用リスクを消すために,タオバオは,取引の成立を担保とする決済手段の開発に取り組んだ.具体的に開発したものは,エスクローサービス*3つきの電子マネー,アリペイである.アリペイにおいては,買い手が資金を直接売り手に払うのではなく,まずアリペイの口座に払い込み,アリペイが入金を確認したのち,売り手に注文をし,売り手が品物を発送し,買い手が品物を受け取って確認したこと受け,アリペイが資金を売り手に支払う.

アリババ社のCEO馬雲氏は,アリペイがタオバオの最も偉大な商品であると称賛した.アリペイによって,売り手も買い手も安心してネット上で取引ができるようになる.タオバオの取引の安全性がその後の成長の土台になった.エスクローサービスは日本では高額な不動産取引の時に利用されることがあるが,少額決済に利用するのは,アリペイが初めてである.それによって,アリペイはPC上の決済用プリペイの電子マネーにおける不動の地位を手に入れた.

2008年,スマートフォンの普及の波に乗って,アリペイはモバイル決済に進出.スマートフォンにアプリをインストールし,アリペイはどこでも使うことができるようになった.消費者が自身のアリペイ口座に資金をまずチャージし,そこから支払うこともできるし,クレジットカードやデビットカートと紐づけをしておけば,アプリ経由でクレジット払いやデビット払いをすることもできる.他のアリペイ口座への送金や入金の受け取りもできる.個人間送金は手数料不要である.

図2 アリペイのエスクローサービス(筆者作成)
図3 アリペイの決済フロー(筆者作成)

(3) ウィーチャットペイ(WeChat Pay,中国語:微信支付)

中国では,電子メールは商業用以外あまり普及していなく,人々はネット上で連絡を取り合う手段として,テンセント社*4のインスタントメッセンジャー QQを主に使う.QQは1999年にリリースし,PC上も携帯電話上も利用可能で,ほとんどの中国人がQQ口座を持つと言われるほど普及していた.2011年に,テンセント社がスマートフォン上で動くインスタントメッセンジャーのウィーチャット(WeChat,中国語:微信)をリリースした.ウィーチャットは,QQの機能と顧客を引き継ぎ,中国国内の人々の連絡,交流,ニュース,自己表現のためのSNSのプラットフォームに成長した.ウィーチャットが2013年8月にバージョンアップした時,電子マネー機能ウィーチャットペイを追加した.ウィーチャットのユーザーがもともと10億人近くいて,テンセント社が大金を投じてキャンペーンを展開した結果,ウィーチャットペイはあっという間に普及した.

銀聯ネットワークができて17年,モバイル決済への進出はアリペイが10年,ウィーチャットペイがわずかに6年,中国のキャッシュレス決済・モバイルペイメントは急速に普及した.中国人民銀行*5のレポートによると,2018年,中国の銀行経由の非現金決済は2,203億回,金額は3,769兆元,非銀行経由のインターネット決済は5,306億回,金額は208兆元.

非銀行経由決済が全部モバイルペイメントで,10億のユーザーがいるとすれば,中国人は一人当たり年平均530回デビットカードを使う.かなり普及していることがわかる.なお,インターネット決済において,アリペイとウィーチャットペイの市場シェアは90%を超えている.

表1 キャッシュレス決済統計
取引数 金額 金額/回
銀行経由 2,203億回 3,769兆元 17,108元
非銀行経由 5,306億回 208兆元 392元

データ:中国人民銀行

2016年の数字であるが,アメリカのモバイルペイメントの決済額は1,120億ドル,人民元換算すると約0.8 兆元になる.厳密な比較ではないが,中国のモバイルペイメントは米国に比べ,はるかに規模が大きいことがわかる.

3. 急速普及の背景

モバイルペイメントの急速普及の背景を,(消費者)顧客の視点,事業者(店側)の視点から整理してみる.

(1) 顧客の視点

顧客にとって,最も重要なのは利便性である.モバイルペイメントがもたらす直接的利便性として,まず現金携帯の煩わしさの解消がある.中国の現金は,(a)紙幣の最高額面は100人民元*6で低い,(b)偽札が多い,(c)紙幣の(衛生)状態がよくない等のため,現金携帯の煩わしさがある.それを解決するために,モバイルペイメントはお財布代りとして重宝されている.

しかも顧客から見れば,この利便性がスマートフォンにアプリをインストールすれば手に入るものなので,コストがかからないどころか,間接的利便性をも手に入れることができる.この間接的利便性とは,アプリ間の連携である.アリペイとウィーチャットペイはプラットフォームとなり,この電子マネーを中心に,多くの購買アプリが動いている.アプリ間のスムーズな連携が可能である.この詳細は次の節で触れる.

セキュリティ面においては,確かにモバイルペイメントが詐欺などに利用される報道がある.中国の場合,デビットカードや電子マネーの引き落としの際,リアルタイムに登録の携帯電話のSMS(ショートメール)に消費場所と金額に関するメッセージが届くため,セキュリティや安全性への懸念も少なかった.高齢者の使いやすさの面では,デビットカードは多くの高齢者に利用されているが,モバイルペイメントのアプリが比較的複雑なので,高齢者にとってハードルが高い面もある.

(2) 事業者の視点

高額消費の場合,クレジットカードやデビットカードの使用は,単価の向上と売り上げの増加に貢献し,これは事業者側のカード対応のインセンティブになる.一方,少額消費の電子マネーの場合,対応しないと顧客が離れることになりかねないので,これも事業者の電子マネー導入のインセンティブになる.また,中国では,現金管理コストはそれなりに大きい.入金時の高額紙幣の真偽確認,おつりの準備,売り上げの回収等,事業者にとって大きな負担である.電子マネーの導入は,この現金管理のコストと事務の合理化に貢献する.

ここで,事業者側が得られるメリットと支払うコストのバランスが重要である.アリペイとウィーチャットペイの事業者負担手数料は比較的低いこともその普及に大きく貢献した.事業者の負担は大体0.4%~0.6%程度であり,利益率の低い事業者も負担しやすい水準である.また,露店等の事業者の場合,個人的な取引として入金することも可能で,この場合,手数料はタダになる.

QRコードを利用する仕組みも普及にプラスである.ICカードリーダーの専用端末がなくても,事業者側にスマートフォンかタブレッド端末さえあれば,アリペイとウィーチャットペイは導入できる.最も簡単な場合,支払先を指定するQRコードさえあれば,機能する.例えば,シェアリング自転車にQRコードを貼れば,支払い・解錠・施錠の一連の操作ができるし,また,図4の通り,レストランのテーブルにQRコードをおけば,テーブルでスマートフォンを使って料理を注文し,会計することが簡単に実現してしまう.

図4 レストランのテーブルのQRコード(筆者作成)

4. 顧客体験の向上

狭義的に考えれば,電子マネーの主な機能は決済である.購買モデルを使って説明すると,購買プロセスを購買前活動,購入,購買後活動に分解できるとすれば,電子マネーは,購入活動における決済機能だけである.これは図5の通り,電子マネーの狭義的効用が決済における利便性の向上だけである.

図5 電子マネーの効用:狭義的認識モデル(筆者作成)

しかし,ユーザー体験を聞いてみると,ほとんどの人がアリペイやウィーチャットペイの使用体験に感動する.これは,日本でカードやSuicaを使う時に感じるものとは大きく異なるものである.この違いがどこから出てきたのか.

言うまでもなく,スマートフォンを利用するモバイルペイメントの利便性の向上は伝統的なカードよりはるかに大きい.カードの利便性や顧客体験の向上は,例えば,会員特典やポイント,ステータスカードの工夫等の展開が考えられるが,それ以上の空間がない.一方,モバイルペイメントのアプリは支払い手段として機能するだけではなく,購買前活動と購買後活動をもサポートできる.例えば,買い物前のリサーチ,列車や飛行機の予約,近くのタクシーやシェアリング自転車の探索などの購買前活動.また,普通の買い物以外に,電気料金,ガス料金,水道料金,電話料金や携帯料金チャージ,インターネット代,ケーブルテレビ料金等の支払いもできる.食事の割り勘,お年玉のやり取り等の機能もある.

図6はアリペイのメニュー画面の一部のイメージである.このメニューから,余額宝(Yuerbao,5で紹介する),(アリペイ口座)送金,クレジットカード返済,(対面)支払い,(対面)受け取り,水道・電気・ガス代金支払い,携帯料金チャージ,宝くじ購入,寄付,航空券購入,タオバオ,Q幣*7チャージ,外国送金,外食デリバリー,タクシー,割り勘サービス,宅配便サービス,キャンパースカード,オンラインゲームのチャージ等へアクセスできる.画面にないが,交通違反の罰金や社会保険などの公共料金の支払い,運転免許証や身分証明書をインストールすることも可能である.

アリペイは元々タオバオの一部であり,サーチから購買・決済に強みがある.一方,ウィーチャットペイはSNSと一体化し,購買後評価・口コミに強い.二者が競争した結果,アリペイもウィーチャットペイもうまく購買プロセス全体に関わるように進化している.実際の操作上,多くの購買サービスの画面は,ペイメントアプリの画面経由でアクセスされる(図6).このスタイルは,顧客に大きな利便性を与えると同時に,使用体験がモバイルペイメントに集約する効果がある.これを購買モデルを利用して説明すると,図7の通りになる.購買プロセス全体との関わりを持つことは,クレジットカードや他の電子マネーではできない機能で,スマートフォンというデバイスを利用するから可能になる.

決済だけではなく,購買や購買前活動,購買後活動とうまく関わることができれば,モバイルペイメントの顧客体験向上の空間は限りなく広い.そのため,アリペイもウィーチャットペイも持続的に新しいサービスをリリースでき,ユーザーに持続的な驚きを与え続け,常に話題性と新規性を提供し,イノベーターのブランドを維持している.

中国では,水道・電気・ガス代金,交通違反の罰金,社会保険,運転免許証の管理など地域ごとにシステムが異なる場合が多い.アリペイもウィーチャットペイも地域対応もしており,地域を選択すると,対応のサービスメニューが表示される.この2つのモバイルペイメントサービスの背後に,地域ごとに多くの大規模なシステムが開発されている.これは,アリババ社とテンセント社の技術力と資金力があるからできるものである.2社の時価総額は,(日本最大の)トヨタ自動車の時価総額を大きく上回っている.アリペイとウィーチャットペイが作り出した顧客体験は,両社の技術力と資金力によって支えられ,これは結果的に巨大な参入障壁になっており,新規参入が実際に不可能である.

図6 アリペイの画面(筆者編集作成)
図7 モバイルペイメントの効用(筆者作成)

5. 信用社会の構築

経済において,多くの取引の機会と可能性が存在する.ただし,相手の信用リスクを心配することで,かなりの機会は放棄されている.ある意味で,信用は取引の成立を左右するものである.信用リスクが低減すれば,取引が増え,経済の拡大と発展にプラスの影響を与える.しかし,中国の社会は先進国に比べ,まだ信用社会とは言えない.ここで,モバイルペイメントのビッグデータを利用して信用社会を作る,という壮大な話を紹介する.

中国では,信用情報システムとして,人民銀行の下に信用情報機関として「征信中心」がある.ここでの情報ソースは,銀行などからの借り入れ履歴,クレジットカード履歴,住宅ローンなどの信用履歴情報に,個人の身分,税金納付,行政懲罰に関する公的部門が保有する情報が加えられる.主な情報は,金融機関との取引情報であるため,カバレージは低い.

2015年,アリババが芝麻信用(Sesame Credit)という個人信用情報を提供するサービスを始めた.芝麻信用はアリババのタオバオ,Tモール*8を利用している利用者5億人に加えて,アリペイの登録ユーザー4億人の消費者データにアクセスし,信用履歴,オンライン取引での行動パターン,個人的情報,ソーシャルネットワークでの情報に基づいて芝麻信用スコアを算出する.高いスコアの保有者は,ホテルや空港での優先サービス,レンタル取引時の保証金免除,一部の国への観光ビザの申請が優先的に取り扱われる,などの特典が付与される.

人々は各自のスコアを随時に見ることができる.何をすればスコアが上がり,何をすればスコアが下がるのか,芝麻信用のスコアを意識した行動基準の変化がみられる.特に,若者が中心に,ゲーム感覚で芝麻信用を広く受け入れられている.大学生の就職面接や男女のお見合いの時,このスコアが要求されることもあるという.

現在,アリババ傘下の金融関連会社アント・フィナンシャルサービス(中国名:蚂蚁金服,以下アント社)はアリペイと芝麻信用を運営している.前出の余額宝もアント社の商品である.余額宝は日本の証券会社のMMF(マネー・マーケット・ファンド)に類似するもので,アリペイ口座内の資金を社債や大口預金に投資する.銀行の小口預金より利回りが高いため,多くの資金がアリペイ経由で余額宝に流入し,今や世界最大のマネー・マーケット・ファンドになった.もちろん,この余額宝での資金滞留状況も信用評価に活用される.

事業者がアリペイ(決算システム)を導入する場合,アント社はアクアワイラーとして,店舗の入金などをかなり正確に把握している.事業者の経営状態に関して,銀行と違って,決算情報以外の情報,企業の毎日の売り上げや出納帳を把握することになる.その上,顧客側の情報も見え,客の質(芝麻信用スコア),客単価,固定客割合,リピート率なども簡単に把握できる.これらの情報も利用して信用評価をすれば,当然,決算情報中心の銀行より評価精度は高いし,しかもデータが整備されているから審査が速い.アント社自身は(中小)事業者に小口ローンの貸出も行う.アント社のローンは審査が速いことが有名である.借り入れを申し込んで,数分で審査が下りるという事例も多くある.

アリババには1688.comという企業間取引のプラットフォームがある.タオバオ,Tモールと1688.comの取引データをうまく利用すれば,(中小)企業の商品の出荷情報や今後の出荷予定等も把握できる.また,電力や水道の使用量などの情報を活用する試みも,行われている.

蚂蚁はアリのことで,芝麻(ゴマ)と同様に小さいことを意味するが,今やアント社は世界的に注目されるフィンテック界のリーディングカンパニーである.

最後に,螞蟻花唄(AntCheckLater, mayihuabei)という商品を紹介する.これもアント社の商品である.芝麻信用スコア600点以上あれば,アリペイ上の仮想クレジットカード「花唄」が発行される.カードには,芝麻信用スコア,年齢,消費性向などを考慮して500元~5万元(8.5千円~85万円)の枠が設定される.年会費は発生しない.アリペイで決済する際に,花唄を選択すれば,翌月に指定した銀行口座やアリペイ口座から引き落としが行われる.

花唄は本質的にクレジットカードであるが,広い範囲に対して自動的にカードを発行する仕組みが革新的である.効率が高いうえ,顧客がカード申請して落ちるという恥ずかしい体験を回避できる.花唄のもう一つの面白い仕組みとして,延滞が発生した時,債務者の親戚や友人を動員して返済を促すという回収方法である.この親戚や友人の特定はアント社が持つビッグデータを利用して行う.これによって,回収率を大きく向上するが,債務者のプライバシーを侵害するという批判が広がり,会社は今この機能を停止している.

6. まとめ

本稿は,中国のモバイルペイメントとその周辺の事情を紹介した.中国のモバイルペイメントは,量だけではなく,質的にもかなり進んでいることを理解していただけたかと思う.

狭義的に電子マネーの利便性を捉えると,どうしても現金からの解放だけのメリットしか見えないが,スマートフォンを利用するモバイルペイメントは決済機能だけではなく,購買プロセス全体における顧客体験の向上に貢献できる.日本は今,官民挙げて電子マネーの普及を推進しているが(経済産業省2018),この視点がやや欠けているように見える.中国のモバイルペイメントの発展から,日本はおおいに学ぶものがあると思う.

アリペイのアプリのように,一つのスマートフォンに電子マネー,(複数の)クレジットカード・デビットカードを登録するようになれば,購買履歴や投資行動の情報は効率的に集められる.このような情報は今まで手にすることがなかった高精度なもので,それを活用すれば,今まで不可能と思われるようなことが簡単に実現してしまう.アント社の花唄や芝麻信用の事例はその大きな可能性を見せてくれた.

ただ,モバイルペイメントの運営側は顧客のデータをどこまで使ってよいのか,何をどこまでできるのか.中国では,このような議論はあまりしてこなかった.個人顧客のプライバシーや顧客企業の秘密保護の問題,その情報利用への正当な対価等の問題は,今後議論することになるであろう.この視点から,日本の「情報銀行」の発想と今後の展開は,中国側にとって大変関心のあるものであろう.

著者紹介

  • 王 京穂(オウ キョウスイ)

明治大学専門職大学院グローバルビジネス研究科教授.中国の投資銀行,日本興業銀行,みずほ第一フィナンシャルテクノロジー,NTTデータを経て現職.金融工学,リスクマネジメント,行動ファイナンスを研究.

*1  古代中国の四大発明,羅針盤,火薬,紙,印刷術に対して,新四大発明は,高速鉄道,モバイル決済,ネット通販,シェア自転車とされる.

*2  中国の電子商取引最大手,1999年に創業.ネット通販,ネットオークション,オンライン決済,クラウドコンピューティング,金融サービスなどの事業を展開.ニューヨーク証券取引所(NYSE)に上場.

*3  エスクロー(escrow)は,商取引の際,信用がある第三者を仲介させて取引の安全を担保する仕組み.

*4  1998年創業.ソーシャル・ネットワーキング・サービス,インスタントメッセンジャー,Webホスティングサービスなどを提供する,世界最大のゲーム会社である.香港証券取引所に上場.

*5  中国の中央銀行.

*6  日本円1,700円相当.

*7  Q幣はテンセント社の電子マネー,オンラインゲーム,ECサイトで利用できる.

*8  Tモールはブランド品専門のECサイトである.

参考文献
 
© 2019 Society for Serviceology
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