史学雑誌
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青年学校義務制の成立
就学状況をめぐる議論を中心に
笠松 敬太
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2018 年 127 巻 11 号 p. 24-44

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抄録

1938年1月11日、青年学校義務制が成立したが、その後も都市部では就学状況が改善されなかった。本稿では、青年学校義務制の実施後もなぜ実施後も就学状況が改善されなかったのか考察した。
陸軍省は1938年兵役法改正案において、在営年限短縮の特典を廃止した一方、①一年帰休の対象を青年学校修了者に限定すること、②青年学校修了者に対する教育召集を免除すること、という青年学校修了者を優遇する規定を設けた。陸軍省は、青年学校修了者を優遇することで生徒を惹き付け、就学の促進を図った。しかし、日中戦争の最中では、兵役負担の軽減が行われる可能性は低かったため、①②は生徒を惹き付けるものたり得なかった。
文部省が青年学校義務制を必要としたのは、都市青年学校の就学率が低かったためである。青年学校の就学者は何等かの職業に従事しているため、都市青年学校では雇用先の業務に支障が出ないよう配慮した。しかし、雇用主は、生徒同士が雇用先の労働条件について会話をすることで、雇用先に対する不満が醸成されることを憂慮していたため、学校側が雇用主の理解を得ることは困難だった。つまり、都市青年学校の就学状況を改善するためには義務化が不可欠だったのである。そして、文部省は雇用主に対して就学義務が課す規定を設けた。しかし、都市青年学校では就学該当者の把握ができなかったため、雇用主に義務を課す規定は就学状況改善のための有効な手立てとはならなかった。
生徒を惹き付ける材料と雇用主の理解は青年学校の就学者数を増やすために必要だったが、どちらに対しても有効な手立てを取れなかったため、青年学校義務制の実施後も就学状況が改善されなかったのである。

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