史学雑誌
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第一次大戦前後における列国議会同盟(IPU)と国際平和主義団体
日本議員団再組織をめぐる宮岡恒次郎の活動を中心に
伊東 かおり
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2019 年 128 巻 10 号 p. 27-51

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抄録

列国議会同盟(Inter-Parliamentary Union、以下IPU)は1889年に創設された主権国国会議員から成る現存する国際機構である。1908年、衆議院はこれに加盟して日本議員団を結成し、1914年には排日問題を協議する日米部会を組織するなど、一定の成果を挙げる活動を行った。だが、貴族院は当初から日露戦後の財政逼迫を理由に加盟を拒否し、またやがて第一次世界大戦が勃発すると、衆議院とIPUとの関係も希薄化し消滅する。本稿は、こうした時期にIPUと帝国議会の間を私的に仲介し、日本議員団の再組織と貴族院の加盟に尽力した国際主義者・宮岡恒次郎を取り上げ、ジュネーヴのIPUアーカイヴズや衆議院国際部が所蔵する列国議会同盟に関する史料等をもとに宮岡の活動を検討し、宮岡の背景にあった当該期議員外交の国際環境を明らかにすると同時に、宮岡の視点に立って帝国議会の「国際化」を俯瞰し、そこに内在された問題を浮き彫りにする。
本稿ではまず、非議会関係者である宮岡を介したIPUと帝国議会の言わば「非公式」ルートの形成過程を追う。それによりこの背景にあった国際主義者のネットワークが可視化されよう。次に、宮岡の具体的な行動や情報の流れを整理する。その際宮岡がIPUに書き送った、帝国議会が「国際化」する上での構造的な課題についても検討する。宮岡は議会主義を支持し衆議院の発展を国外に向けて強調しつつも、議員外交にはいくつかの面で貴族院の方が適しているという独自の論を展開し、貴族院の加盟をIPUと帝国議会が安定した関係構築の必要条件と考え行動する。それは一般に言う「外交の民主化」イメージとは異なる、「古典外交」の発想が色濃く残った議員外交の考え方であった. 最後に、「非公式」ルートの結果として、日本議員団再組織の過程と貴族院加盟問題の推移を明らかにし、1920年代以降の帝国議会の渉外活動の展開について展望を述べる。

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