史学雑誌
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歴史叙述のなかの「継体」
遠藤 慶太
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2020 年 129 巻 10 号 p. 55-76

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抄録

六世紀に即位した継体天皇は、応神天皇五世孫とされる出自、近江・越前と推測される政治基盤といった特徴から、関心の集まる古代天皇(大王)である。
継体天皇への着目は、近代では『日本書紀』の紀年論からスタートし、皇室内部の並立を想定する学説や陵墓の比定問題へと展開していった。これらの学説は戦後の古代史・考古学にも強い影響を与え、継体・欽明朝の内乱説や三王朝交替説などの議論をもたらしている。
その一方で継体天皇は、明治期の皇室典範制定において注目されたことも重要である。典範草案の起草者・井上毅は、天皇の正当性を支えるものを血統、すなわち「万世一系ノ天皇」(A line of Emperors unbroken for ages eternal)に求めた。そのときに傍系10親等から即位した継体天皇の位置づけは、皇室典範が起草された当時の現実の課題なのであった。
歴史のなかで過去の天皇がどのように認識されていたのか、また天皇のイメージはどのような史料に依拠してきたのか。このことを考えるうえで、継体天皇をめぐる議論そのものが研究の題材となりうるだろう。
本論では、まず六世紀の王権のありかたから新しい王統とされる継体天皇の記事を再検討し、治世の重複を父子での共同統治として理解する仮説を提示した。続いて『神皇正統記』の記述をとりあげ、この段階で皇位の継承に神意をみる新たな視点が導入されたこと、それが継体天皇を思慕する越前の女性を題材とした謡曲「花筐(はながたみ)」や『椿葉記』で主張された崇光流での歴史叙述に反映されたことを論じる。
このように継体天皇のイメージは『古事記』『日本書紀』のような歴史叙述を枠組み(共通の認識)としながらも、大胆な読み替えや豊かな着想によって再構築され、時代ごとの要請に応じてさらなるイメージが築きあげられてきた。皇位継承の危機ではたびたび六世紀の「史実」が持ち出され、時には十九世紀の越前のように、国学者の実証研究を地域の側で受けいれ、地域の歴史像を確認する動きがみられたのである。
継体天皇像は受け手によって変容・増殖してきたのであって、それはイメージの運動とでも評しうる。系譜の実証研究が記念碑の建立として史跡を保証する機能を果たしていることをみれば、近代以降の歴史学もふくめてイメージの運動に関与しているといえるのではないか。また蓄積された「歴史」を資源として、地域や時代の要望に応じて柔軟に解釈・引用されることで、天皇のイメージは実感をともなって浸透・再生産されるのであろう。

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