史学雑誌
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平安時代における「能書」の基礎的考察
鈴木 蒼
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2020 年 129 巻 3 号 p. 38-62

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抄録

本稿は、文化史上特に重要とされながら、これまで研究が僅少であった、平安時代における書筆に優れ文字を巧みに書いた人々、「能書」の性質について考察を行ったものである。当該期における「能書」は、種々の依頼(命令)に応じてさまざまな文書の清書を行うという、彼らにしか行い得ない独自の社会的役割を持っていた。こうした彼らの書に関する能力は、九世紀初頭より十世紀後葉頃までは、紀伝道を中心とする大学での学習、あるいは親族間による書の技術の伝習という、二つの方法を中心として育成された。この二つを巧みに利用した小野氏をはじめとするいくつかの一族は、能書の一族として九・十世紀の間勢力を保持した。また、彼らはその能力を、天皇・皇太子といった権力者と人格的関係を築く一助としても活用した。
十一世紀前後より、能書は自身の臣従する主君(権門)の命令による清書のみを行うようになる。また、十一世紀中葉までに摂関家に臣従した能書とその後裔以外の人物は、能書としては没落してしまう。こうした変化の背景として、十世紀後葉以降、権門が官人を掌握するようになるという、貴族社会の質的変容が考えられる。
  またこの時期、故実や特定の血統といった単純な書の能力以外のものが、能書にも求められるようになる。その中で、藤原行成という優れた能書を祖に持ち、故実の創出を行った世尊寺家(藤原行成子孫)が、十一世紀後葉には有力な能書の一族として立ち現れてくる。しかしそのために、九・十世紀に比べ、大学出身者の能書は大幅に減少する。また、鳥羽・後白河院政期には、院近臣の一族である勧修寺流藤原氏が、摂関家の能書藤原忠通との人格的関係や、複数の権門と良好な関係を築いたことによって、書の一族として急成長する。しかし、後白河院政の終了後、彼らは急速に能書役から退いたため、平安時代以降に書の一族として残ったのは世尊寺家のみであった。 

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