史学雑誌
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室町幕府における武家祈禱体制の確立過程
林 遼
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2021 年 130 巻 12 号 p. 1-33

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抄録

本稿は、室町幕府における武家祈祷体制の確立過程を考察するものである。その際、京都を活動の拠点とする門跡が武家祈祷に編成された契機と、醍醐寺三宝院の武家祈祷における役割の再検討という二つの視点を軸に議論を進める。
第一章では、南北朝期武家祈祷の人的基盤が変化した契機を検討する。南北朝初期の武家祈祷は、鎌倉期武家祈祷の経験者を中心として行われた。しかし京都争奪戦の中で、幕府は所領・所職の安堵を求めて武家祈祷へ積極的に参加した門跡と、密接な関係を構築した。その結果、義詮期には京都を拠点とする門跡が新たに武家護持僧に補任され、武家五壇法にも参加するようになった。
第二章では、南北朝期武家祈祷における三宝院の役割の再検討を試みる。まず南北朝期の三宝院院主賢俊・光済・光助が、武家祈祷上でどのような活動をしていたかについて整理した。そして三宝院は、修法の日程や供料に関する幕府と門跡との交渉に介在する役割を持ったことを明らかにした。また三宝院の立場は、幕府奉行人の勤める祈祷奉行を支える「内々の祈祷奉行」に相当すると示した。
第三章では、義満期武家祈祷の変容過程に注目する。義満による祈祷への強制的動員や門跡の安堵を通して、義満期には武家祈祷に諸門跡全体が編成された。そこで京都の門跡が、武家護持僧・諸門跡として武家祈祷に編成された義満期を、武家祈祷体制の確立期と評価した。また義満期武家祈祷では、三宝院・幕府奉行人に代わって、室町殿家司・家礼が祈祷奉行として活動したことも指摘した。
したがって室町幕府における武家祈祷体制は、武家護持僧や武家五壇法の人的構成が変化した義詮期と、諸門跡全体が武家祈祷に編成された義満期の二つの段階を経て成立したといえる。また武家祈祷体制の確立は、三宝院の活動とは無関係に進展したものであり、幕府と門跡との直接的な関係形成を通して達成されたと結論付けた。

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