The performing arts dedicated to the gods in Shinto rituals in the palace are collectively called “Mi-kagura”, and the most sacred and most profound musical ritual of this kagura is the Naishi-dokoro (Kashiko-dokoro) Mi-kagura, which is performed in front of the Kashiko-dokoro Shrine where the Yata-no-kagama Mirror, the Sacred Spirit of Amaterasu, is enshrined. However, the original image of the Imperial Mi-kagura in the palace is said to be a song and dance performed by Ama-no-uzume, who was almost naked and possessed while stomping on a bucket in front of the rock door of heaven, as described in Japan mythology. Her song and dance, which at first glance seems to be a vulgar form, is actually called “wazaogi” and is a magical act of “tamafuri” (activation of divine spirits) of Amaterasu. This magic to activate Amaterasu was incorporated into the Chinkon-sai, which is a ritual to perform tamafuri for the emperor before the Niiname-sai. Several Chinkon-sai songs were sung to recall the soul of Amaterasu as the Ancestors of the Emperor, and each time a mysterious incantation-like song, “Ajime Ooooo”, was added to the beginning. It is believed that Ajime is a change of Uzume, and Ooooo is a warning incantation against confronting Amaterasu and performing magical rituals. This incantation of Ajime was later adopted as the “Ajime-no-sahou Manner” in the Naishi-dokoro Mi-kagura, which was formed in the Heian period, and was inserted in the Mi-kagura in a different form about three times, and reunify songs in Mi-kagura as rituals directed to Amaterasu. The Naishi-dokoro Mi-kagura is a magnetic field that religiously unites the other imperial kagura and ritual songs and dances, and the Ajime manner, which is derived from the magic of tamafuri of Ama-no-uzume, is the crystallization of Shinto musical sensibilities.
(1) 國學院大學日本文化研究所編『神道事典』弘文堂、一九九九年、「神楽」の項目、二八三頁参照。この観念は後代には拡張され、神前で行う芸能の多くの起源が天鈿女命の俳優に帰着させられるようになっていく。例えば、世阿弥は『花伝書』で天の岩戸の前での「御遊び、申楽の始め」という口伝を披露している。
(2) 小野真龍『雅楽のコスモロジー』法藏館、二○一九年、一六一頁。
(3) 遠藤徹『雅楽を知る事典』東京堂出版、二○一三年、一一二―一一三頁。
(4) 日本古典文学大系『古代歌謡集』岩波書店、一九五七年、二六二頁。
(5) 同書、二九六頁。
(6) 多くの譜本では「あちめ」と表記されるが、実際の詠唱では「あぢめ」と発音される。
(7) 松前健『古代伝承と宮廷祭祀』塙書房、一九七四年、二二○頁参照。
(8) 『春記』長久元年(一○四○)九月十四日の記事(増補国史大系『春記』臨川書店、一九六五年、一八八頁)。長久元年の九月九日の内裏焼亡の際も、神鏡が焼亡して三ヶ夜の内侍所御神楽が行われたが、後朱雀天皇が御神楽執行の発意を述べた際に、寛弘二年の御神楽によって焼損した神鏡が「神光照曜」した奇瑞について語っている。この天皇の言に従って関白の藤原頼通は、この長久度の内裏焼亡においても、神鏡に対する御神楽をすることに賛成したと記されている。
(9) 藤原道長(倉本一宏訳)『御堂関白記』講談社文庫、二○○九年、二一二―二一三頁。藤原行成も道長からの伝聞の形ではあるが『権記』に神鏡が照り輝いた旨の記録を残している(藤原行成(倉本一宏訳)『権記 中』講談社文庫、二○一二年、四三二頁)。前述の『春記』に加えて藤原実資の『小右記』にも同様の記録がある。この出来事は、当時の貴族社会には大きな感銘を与えたようである。
(10) 松前健『古代伝承と宮廷祭祀』、二二○頁。
(11) この「神楽」をカグラと読んでいたかについては、異論があり、カミアソビと読むべきとの説がある。『北山抄』では、「神遊」と記されている。カミアソビもカグラも同義の語であったことが判る(松前健『神と芸能』(松前健著作集 第四巻)おうふう、一九九八年、一一一頁参照)。
(12) 天武四年の天皇の不例のための「ミタマフリ」には、「招魂」の字があてられている。これは、鎮魂という語が、もともとは中国にはなく、『令集解』巻二の鎮魂祭条における義解に書かれている「言招離遊之運魂、鎮身体之中府」という鎮魂の行法に相当する語である「招魂」をあてたものである。
(13) 松前健『古代伝承と宮廷祭祀』、一一六頁。
(14) 同書、一一七頁。
(15) 同書、一一七頁。
(16) 同書、一三七頁。
(17) 原文は「凡て、のは、天鈿女命のなり。然れば、の職は、の氏を ずべし。而るに、今選ぶ所、をはず。」斎部広成(西宮一民校注)『古語拾遺』岩波文庫、一九八五年、五一頁。
(18) 『書紀』の現代語訳については、宇治谷孟訳『日本書紀(上)全現代語訳』講談社学術文庫版、四○頁を参照。原文については、日本古典文学大系『日本書紀(上)』から転載。
(19) 『古事記』の現代語訳については、次田真幸訳『古事記(上)全訳注』講談社学術文庫、一九七七年、八八頁を参照。原文は以下のとおり。「天宇受賣命、手次繋天香山之天之日影而、爲鬘天之眞拆而、手草結天香山之小竹葉而、於天之石屋戶伏汙氣〈此二字以音〉而、蹈登杼呂許志〈此五字以音〉、爲神懸而、掛出胸乳、裳緒忍垂於番登也、爾高天原動而、八百萬神共咲」(日本古典文学大系『古事記 祝詞』より転載)
(20) 小林宣彦「天石窟伝承と古代の祭祀構造に関する考察――天鈿女命の「俳優」と「顯神明之憑談」を中心に―」『國學院雑誌』第一二一巻第十一号、二○二○年、五七―五八頁。
(21) 折口信夫「大嘗祭の本義」(『折口信夫全集』第三巻、一九○頁)、折口信夫「ほうとする話」(『折口信夫全集』第二巻、四三五―四三七頁)。
(22) 津城寛文『折口信夫の鎮魂論』春秋社、一九九○年、五一頁参照。
(23) 同書、五二―五三頁。
(24) 折口信夫『日本藝能史六講』講談社学術文庫、一九九一年、三九頁。
(25) 土橋寛『古代歌謡と儀礼の研究』岩波書店、一九六五年、一六九頁。
(26) 同書、一九九頁。
(27) 津城寛文『折口信夫の鎮魂論』、一二頁。
(28) 國學院大學日本文化研究所編『神道事典』「たま」の項目、三九○―三九一頁。
(29) 土橋寛『古代歌謡と儀礼の研究』、一七○頁。
(30) 以上の折口の呪術思想については、津城寛文『折口信夫の鎮魂論』、四八頁を参照。
(31) 津城寛文『折口信夫の鎮魂論』、四八頁。
(32) 日本古典文学大系『古代歌謡集』岩波書店、一九五七年、四八九頁。二つ目の歌は四九○頁、三つ目の歌は四九一頁。
(33) 松前健『古代伝承と宮廷祭祀』、一三一頁。
(34) 同書、二一五頁。
(35) 日本古典文学大系『古代歌謡集』、四八八―四九一頁参照。
(36) CD『日本 古代歌謡の世界』(コロンビア、一九九四年)附属解説書内「阿知女作法」の項。
(37) 一条兼良『梁塵愚案抄』巻の上 二頁(『國文注釈全書』収録、國學院大學出版部刊行、一九一○年)。
(38) 日本古典文学大系『古代歌謡集』、二九六頁 上部「あちめ」についての注。
(39) 江戸時代になるが、熊谷直好も『梁塵後抄』において、ほぼ『梁塵愚案抄』の「阿知女」についての解釈を踏襲している。熊谷直好『梁塵愚案抄』一、五五頁(『國文注釈全書』収録)参照。
(40) 『古事記』には「何の由にか天宇売命はをし、また八百万の神共に咲へる」と記されている。
(41) 一条兼良『梁塵愚案抄』巻の上 二頁(『國文注釈全書』収録)。
(42) 日本古典文学大系『古代歌謡集』、三一一―三一二頁。なお、現代の阿知女作法では、「大前張」はなく、「小前張」の前におかれる「小前張阿知女」と呼ばれる曲が歌われる。この曲の詞章には「シシシ」はなく「オオオ」だけになっている。
(43) 松前健『神と芸能』、一三一頁。
(44) 同書、一三一頁。