抄録
1872年2月4日に発生した低緯度オーロラが、岐阜県の飛騨高山でも観測され、「桐山如松記」に天紅として記録されていた。1872年以前にも、低緯度オーロラは我が国では「赤気」とよばれて記録されてきている。人々は天変であるとして様々な反応を示したが、その科学的理解はされていなかった。オーロラ現象の科学的理解について、新聞記事上の変遷、西欧の研究成果の日本への伝来時期、明治期の地球物理学会の論文の進展を調査し、明治中期から明治末期にかけて、オーロラに対する科学的理解が進展したことを明らかにした。