抄録
本稿では総合人間学会の標榜する「総合人間学」の意味について検討する。文明論的全体像を得るための学際的総合や、専門家と様々な現場関係者との対話的実践を通じた総合の必要は本学会の共通認識である。これらの「一人ではできない総合」の模索は本学会に限らず方々で見られる。その意義を否定する者は絶無だろう。しかし本学会はそもそも、誰も否定しない「優等生的総合」のみならず、評価が分かれる「異端児的総合」の側面も備えていたはずである。この両面から成る独自性を再認識し、批判的に発展させてゆくことが大切だと筆者は考える。そこで、本学会の源泉を特徴づける「異端」的要素として、(1)宇宙の高みから人間や生き物を見る視点、(2)サルトル流の総合精神、(3)厳密科学の追求、の三つに注目し、これらが本来的に「一人でしかできない総合」であることを明らかにしたい。
サルトルにとって普遍性(主体や自由や人権や民主主義など)は完成品でも虚構でもなく、矛盾を通じて成熟してゆく運動体である。また厳密科学というのは、精密自然科学の方法を相対化するものであり、現象学的なケアリング科学やモラル・サイエンスとしての経済学などが当てはまる。