2025 年 77 巻 1 号 p. 1-19
本研究では政府や周辺地域から過度な期待を押し付けられた移住者の存在を念頭におき,コンテンツを利用した「観光まちづくり」に関わる組織と移住者との関わりを考察した。その結果,「景観」を創り出すことが要求される「観光まちづくり」の取り組みは,移住者を媒介にした流動的な組織により展開することが明らかになった。その背景には以下の3つの理由が存在する。第一にコンテンツの権利関係の処理が複雑であるため,取り組みがインフォーマルな取り組みにならざるを得ない点。第二に短期的に経済的利益が得られるため,組織内での意見の食い違いが生じやすいにも関わらず,景観の所有者が存在せず,組織内の調整の担い手が確保しにくい点。第三に意見の食い違いにより組織が流動的になるため,各アクターを媒介しつつ事務作業を担う人材が必要となること。しかし,正当な対価の支払いなしに,組織化の媒介となり得る移住者を確保し続けるのは困難である。そのため,景観を伴わない地域でのコンテンツを利用した「観光まちづくり」への期待は大きいものの,その持続可能性は低いといえる。
This study aims to clarify the process in which a “tourist landscape” is created,using the case study of a rural municipality that was transformed into a “sacred pilgrimage site” through the implementation of pop-cultural content. We draw on the concept of “tourist town planning” to analyze local organizations and actors engaged in this rural revitalization project,which was highly anticipated by regional governments and communities. We argue that much effort is needed for the transformation of such a rather unknown site into a sacred “tourist landscape” embracing pop-cultural content tourist resources,and furthermore that the fluid organizations lead by urban-to-rural migrants play an important role in this process. We outline three reasons:First,copyright licensing of the pop-cultural content for local usage is complex and tends to be informal. Second,the focus on short-term economic success can cause frictions among local organizations. Third,because of these frictions,people with an outside status – such as urban-to-rural migrants – are needed to mediate among the actors and to take collective administrative tasks. However,it is difficult to set urban-to-rural migrants in a steady working position with proper compensation and payment,as the rural organizational and administrative structures are commonly in flux. Therefore,although there are high expectations for the economic success of “tourism town planning” and the implementation of pop-cultural content tourist resources in rural areas,the socio-economic sustainability of such a project tends to be low.
地方での人口減少が課題となるなか,2000年代以降,観光に地域活性化に向けた活路を見出す動きが拡大している。こうした「観光まちづくり」と称される動きは,「地域が主体となって,自然,文化,歴史,産業,人材等地域のあらゆる資源(地域資源)を活かすことによって交流を振興し,活力あふれるまちを実現するための活動」と定義されている(アジア太平洋観光交流センター観光まちづくり研究会, 2000)。
「観光まちづくり」はマスツーリズムを念頭においた観光地化と比べて大規模な施設や投資を必要としない(十代田, 2010)。他方で,観光産業は旅行業や宿泊業などの狭義の観光産業によってのみ成立するのではなく,飲食,小売り,運輸等地域内の様々な業界によって支えられているため,その経済効果の裾野は広く,特定の産業に対する支援施策と比べて地域内での合意形成が図りやすい(福井, 2022)。そのため,周辺地域では「観光まちづくり」が重要な産業振興策として位置付けられ,これに関する様々な取り組みが拡大している(敷田, 2021)。
そのなかで「観光まちづくり」の推進には誘客のための宣伝が必要となる。しかし,広告・宣伝業者は都市部に集中しているため,観光振興は地域から得られる利益を都市に流出させる作用を有する。さらに,広告,宣伝によって集客に成功した場合にも,現実には「観光まちづくり」の主体は観光業事業者に偏りがちで,こうした取り組みによる経済的利益は彼らに集中する傾向にある。そのため,こうした取り組みは地域内での葛藤や軋轢を誘発するリスクとなり得る(白ほか, 2016)。加えて,観光産業は宿泊施設の従業員をはじめとする不安定雇用によって支えられているため,観光振興は地域内の安定雇用の創出に結びつかないともされる。
そもそも,「観光まちづくり」の取り組みは担い手となりうる住民の存在が前提となる。そのため,産業が流出した周辺地域では,こうした取り組みの担い手の確保自体が課題となる。これらのことから,周辺地域における地域振興の特効薬として認識され,全国の周辺地域で進められてきた「観光まちづくり」が必ずしもすべての地域で成果を挙げているとはいえず,過疎化が進展するなかで,「観光まちづくり」の推進は限界を迎えている。
2) コンテンツツーリズムと景観それに対して2010年代以降注目されているのがコンテンツツーリズムによる「観光まちづくり」である(章ほか, 2024)。コンテンツツーリズムは地域内に存在する日常の景観に「コンテンツを通して醸成された「物語性」や「テーマ性」を付加し,その景観を観光資源として活用すること」を根幹とする。このような景観はコアファン1)によってSNSに投稿,拡散され,それに続く来訪者の受け入れ場所となる(山村, 2011)。そのため, コンテンツツーリズムによる「観光まちづくり」は在来の地域資源を観光資源化する通常の「観光まちづくり」と異なり,地域資源や取り組みの担い手が地域内に存在しない場合でも実践可能な取り組みである。さらに,この取り組みはコアファンの自主的な行動を前提とするため,取り組みの初期段階に大規模な広告,宣伝が行われるケースは少なく,都市部からの資本収奪は生じにくい。
これらのことから,経済基盤の脆弱な周辺地域に経済的機会を提供するコンテンツツーリズムは,周辺地域の観光資源を創出する望ましい方法として政策的に評価される傾向にある(Kim and Reijnders, 2018; Roesch, 2009)。実際,観光立国戦略のなかではコンテンツを活用した「観光まちづくり」の意義が強調されており,こうした取り組みは様々な補助金や優遇策を通して政府からのお墨付きを得た形で展開されている(Yamamura, 2015)。
そのなかで,日本では「作品の舞台(ロケ地)」を中心にコンテンツツーリズムの受容が進んでおり,それに関連する研究蓄積も進んでいる(山村, 2011)。代表的な研究としては埼玉県鷲宮町での「らき☆すた」に関する取り組みを事例とした山村(2008)や,富山県城端市での「true tears」をとり上げた片山(2013),NHK連続テレビドラマ小説をとり上げたThelen et al.(2020)などが挙げられる。一連の研究では,作品の舞台が存在する地域で新たに生成付与された場所イメージが受容,活用されるプロセスが考察され,「景観を伴う地域」においてコンテンツツーリズムによる観光まちづくりを成立させる二つの条件が明らかにされている。具体的には,① 活動に関わる全ての主体が相互に利益を享受できる仕組みを構築すること,② 各アクターが地域文化を尊重した形で活動を展開させることが必要とされる(山村, 2008; 片山, 2013)。先述した「景観を伴う」地域での各取り組みではファン,地域,ライセンス事業者(つまり著作権者)が,地域文化を尊重しつつ,景観の所有者や運営者2)を中心に据えて,彼らの意向に配慮しながら利害を調整することで,関係者が相互に利益を享受できる仕組みが作られていた(山村, 2011; 片山, 2013)。ただし,こうしたローカルな取り組みは,民間企業や行政の段階的な介入を通して,商業化の波に呑まれるリスクを有していることが指摘されている(Lew, 2017)。
これに対して,「景観を伴わない」地域でのコンテンツツーリズムをとり上げた山村(2011)は,『ゲゲゲの鬼太郎』原作者の出身地である鳥取県境港市を事例に,作品に対する場所イメージが付与されていない地域でのコンテンツツーリズム成立のプロセスを明らかにしている。
この研究でも「景観を伴う」地域と同様に,地域での連携によって,聖地となる景観が創り出され,新たな場所イメージが生成されていると指摘されている。しかし,「景観を伴わない」地域では特定の個人や団体が景観の所有者ではない。そのため,様々なアクターが利益を求めて「観光まちづくり」に関する取り組みに関与しやすい。さらに,「景観を伴わない」地域では,景観の所有者や運営者への配慮も不必要なため,長期的には「景観を伴う」地域以上にアクター間でのコンセンサスがとりにくいと考えられる。
これに関連して観光客の流動性に着目して,こうした地域での聖地化のプロセスについて検討した神田(2021) は,「景観を伴わない」地域の聖地が人・モノ・情報の多様な移動と,さまざまな主体の複雑な絡まり合いによって,動的に創り出されると指摘する。この指摘と従来の研究蓄積を合わせると,「景観を伴わない」地域での聖地化は,観光客の流動に加えて,受け入れ地域側での活動主体の流動性やそれに伴うローカルな組織の変化を伴いながら進展すると考える必要があるといえる。
3) まちづくりにおけるよそ者と課題過疎化が深刻化した周辺地域では「観光まちづくり」への期待が大きい。そこで政府は過疎地域への移住施策と合わせて,彼らを主体とする「観光まちづくり」施策を積極的に進めている。周辺地域への移住者はホスト地域にとって,性質の異なる文化や特性を有する存在である。また,移住者は地域内の政治的,経済的な利害関係から自由な存在として認識され,周辺地域に新しい知識を移転させる存在ともみなされている(石田, 2014; 敷田, 2022)。そのため,周辺地域では移住者に対して,革新的な「観光まちづくり」を推進するリーダーとしての役割が期待されている。
ところが,代表的な地方への移住施策である地域おこし協力隊に関する研究では自治体や地域から期待される活動と協力隊員が望む活動にミスマッチが生じるケースも多いとされる。そのため,協力隊員が関わる活動ではコンフリクトが生じやすく,こうした取り組みを推進する組織の運営体制は不安定になりがちである(安部・中塚, 2023; 羽鳥ほか, 2013)。結果的に地域住民からのコンセンサスを得ることが難しい革新的な取り組みが展開することは稀で,周辺地域での取り組みは保守的なものとなる傾向にある(矢部, 2016)。
また,地域おこし協力隊制度では移住者の任期終了後の地域への定着が期待されているものの,移住先での経済的保証は限定的である(桒原・青木, 2023)。そのなかで,移住者が経済的な利益を求めない存在として認識され,地域を活性化させる存在として「理想的な移住者像」を押し付けられるケースが数多く報告されている(Klien, 2020)。
これらのことから,近年の移住施策は,若い世代に自らの価値観を転換させ,周辺地域における低待遇の職を選択させることで,移住者による周辺地域への知識の移転と地域の振興を進める政策としての側面をもつと批判される。地域おこし協力隊制度はその典型的な施策であり,こうした移住施策は必ずしも当初の目的を達成しているとはいえない状況にあるといえる(福井, 2022; 柴崎・中塚, 2018)。
4) 研究目的コンテンツを活用した「観光まちづくり」の推進は,周辺地域を含む多くの地域で成立しうる取り組みとして期待されている。しかし,こうした取り組みの推進には,利害を調整しうる人材の存在が必須となる。これに関して,「景観を伴う」地域での取り組みは,景観の所有者らが中心となり,利害関係の調整を図るとされ,移住者の役割は限定的となる傾向にある。それに対して,作品中で描かれていない地域,つまり「景観を伴わない」地域で,景観を創り出す取り組みは,地域にとって革新的な取り組みとなる点で地域おこし協力隊員をはじめとする移住者らの活動と親和性が高い。
そこで,本研究では政府や周辺地域から過度な期待を押し付けられた移住者の存在を念頭におき,コンテンツを利用した 「観光まちづくり」 に関わる組織と移住者の関わりについて考察することで,周辺地域において,聖地巡礼の目的地となる「景観」が作り出されるプロセスを明らかにする。
本研究では『進撃の巨人』を活用した「観光まちづくり」が進められている大分県日田市を対象とした。日田市は福岡市から鉄道でおよそ90分の位置にある大分県西部の地域であり,2005年に日田郡前津江村,中津江村,上津江村,大山町,天瀬町の5か町村との合併を経て,現在の市域となった(第1図)。日田市の人口は1955年の99,948人をピークに減少傾向にあり,現在は62,657人まで減少している3)。2019年の高齢化率は34.24%であり,急速に高齢化が進んでいる4)。
本研究でとり上げる『進撃の巨人』は大分県日田市出身の漫画家,諌山創氏が描いたダークファンタジー漫画である。『進撃の巨人』は2009年9月~2021年4月まで『別冊少年マガジン』(講談社)に連載された。2010年3月には単行本(全34巻)が発売され,累計発行部数は1億4,000万部を超える。2013年4月にはこの作品がアニメ化され,それ以降87話が放映され2023年11月には完結編(後編)が放映された。その他にもこの作品を題材にした小説,ゲーム,実写映画などが制作されている5)。
この作品の舞台は明言されてはいないものの,ファンの間ではドイツのネルトリンゲンがモデルであるとささやかれており,ネルトリンゲンの景観と作品中の画像を比較したSNS上の書き込みも多数確認される(Thelen, 2020; Thelen and Kim, 2024)。これに対して本作品中に作者の出身地である大分県日田市をモデルとしたとされるシーンはみあたらない。
それにも関わらず,日田市内には新たに『進撃の巨人』に関連する景観が創り出されている。例えば,著者の出身地である日田市大山地区6)に位置する道の駅には「進撃の巨人ミュージアム」が建設されている。また,日田市中心部に位置するJR日田駅前や大山ダムには『進撃の巨人』の像がつくられており,駅前の目抜き通りには多くのタペストリーが掲げられ,市内のいたるところで『進撃の巨人』に関わる幟やパネルが設置されている。こうした景観は行政も関与しながら展開した『進撃の巨人』を活用した「観光まちづくり」の成果である(第2図〜第5図)。
著者撮影(2023年11月18日)
(電子版ではカラー)
著者撮影(2023年11月18日)
(電子版ではカラー)
著者撮影(2023年11月18日)
(電子版ではカラー)
著者撮影(2022年1月18日)
(電子版ではカラー)
本研究では『進撃の巨人』を活用した「観光まちづくり」に関わったアクターを把握するために,2022年1月に日田市役所観光課へのヒアリングを実施した。そのうえで,2022年1月,2022年6月,2023年8月,2023年11月に一連の取り組みのきっかけを作ったA氏や,その後の活動を支えた協力隊E氏,協力隊G氏,F社に対して取り組みに関わった組織変化の状況について聞き取り調査を実施した。さらに,活動後期に急増しているコラボ事業者のなかで協力の得られた6社に対してもコラボ商品の開発の経緯や目的について聞き取り調査を実施した。
こうした調査結果に基づいて,IIIでは一連の取り組みに関わる組織の変化について整理する。IVではこうした取り組みに関与した移住者2名のライフコースとその役割について整理し,一連の取り組みにおける移住者と一連の取り組みに関与した組織との関わりを考察する。そのうえで,Vでは聖地巡礼の目的地となる「景観」が作り出されるプロセスを明らかにする。
日田市における『進撃の巨人』を活用した景観づくりの取り組みは一部のファンが「聖地化」を目指してイベントを実施したことに端を発する。その後,ライセンス事業者を巻き込みながら,活動が組織化し,聖地としての景観が創り上げられた。その後,この組織の活動は一時的に停滞したが,現在では地域内の業者が様々な関連商品を取り扱うに至っており,創り上げられた景観がこの地域の重要な観光資源となっている。これを踏まえると,一連の取り組みは,1) ファンによるインフォーマルな活動期,2) 活動組織化期,3) 創り出された景観による観光資源化期に区分できる(第1表)。
そこで以下では,作品で描かれた景観を有しない地域である大分県日田市で進められている取り組みが展開されるに至る経緯とそれに関わる主体の変化について,各時期の活動内容とその主体の変化に着目して整理する(第6図)。
年 | 進撃の日田関連事業 | 主体 | 主な作品 | |
インフォーマル活動期 | 2009 | 少年マガジン連載開始 | ||
2010 | 単行本発売 | |||
2013 | コスプレイベント in 大山 | A氏 | アニメ放送1期 | |
活動組織化期 | 2014 | 進撃の巨人 限定商品発売・展示スタート | 里帰り実行委員会・作者と所縁のある人々 | 映画公開 |
進撃の里帰りイベント | ||||
2015 | 進撃の日田まちおこし会議の設置 | |||
2017 | アニメ放送2期 | |||
2018 | 銅像設置のためのクラファン企画 | 進撃の日田まちおこし会議 | アニメ放送3期Part 1 | |
2019 | クラファン目標達成 | 進撃の日田まちおこし会議・協力隊E | アニメ放送3期Part 2 | |
2020 | 1体目の銅像設置(日田駅前) | 進撃の日田まちおこし会議 | アニメ放送4期Part 1 | |
コラボ商品開発支援事業スタート | 日田市・協力隊E | |||
2021 | 2体目の銅像設置(大山ダム) | 進撃の日田まちおこし会議 | ||
ミュージアムオープン | 進撃の日田まちおこし会議 Bグループ・F社・作者と所縁のある人々 |
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観光資源化期 | 2022 | 日田市コラボ事業者協働団体発足 | 地元企業・協力隊G | アニメ放送4期Part 2 |
聞き取り調査により作成.
聞き取り調査により作成
① インフォーマルなコスプレイベントの実施
作品中で描かれた景観を有さない大分県日田市での『進撃の巨人』の聖地化にむけた活動は2013年に開催されたコスプレイベントに端を発する。このコスプレイベントは市内のコスプレ団体の代表者A氏によって企画されたものである。このイベントは『進撃の巨人』の作者の出身地である日田市大山町に位置する大山ダムを舞台に,ダム堤を巨人から身を守るための壁に見立て,高さ90メートルを超えるダム堤頂部から巨人が顔をのぞかせるという設定で開催された(第2図)。このイベントの開催をめぐってA氏はイベント開催の数日前にライセンス事業者からコンテンツの無断利用に関する指摘を受けた。これに関してA氏は「手弁当でやっているイベントで費用を負担することは難しい。短期間で著作権に関わる交渉もできないと判断しイベントの中止を申し出た。これに対して,ライセンス事業者側からは「直前での中止は,コンテンツ自体を汚す恐れがある。失敗した場合のリスクを覚悟するように」と伝えられた」と話す。このようにイベント開催の直前に主催者とライセンス事業者との間でインフォーマル交渉が行われ,このイベントはかろうじて開催が可能となった(第6図a)。
このイベントを主催したA氏は日田市で飲食店とコンセプトバーを経営している。彼は「2013年にアニメ化されたのをきっかけに,日田市出身者が活躍していることを地元に知ってほしい。そして,地元として作者を応援したいとの気持ちで開催した。このイベントはふたを開けると,県内外から1,000人を超える人が参加し,大盛況だった」とする。実際にイベントに関しては地元の新聞でも報道され7),これ以降,県内で「日田」出身である諌山氏の活躍が大々的に報じられるきっかけとなった。しかし,インフォーマルなイベントであったため,一定の成果を収めたイベントではあったものの,A氏とライセンス事業者との間に良好な関係が築かれることはなく,このイベントはライセンス事業者との関係性を背景に一度きりのものとなった。
② インフォーマルなイベントからフォーマルなイベントへ
翌年にはこのイベントの開催を契機に道の駅や梅酒蔵,宿泊施設を運営する Bグループが中心となり,日田市大山町で「進撃の里帰り」8)イベントが開催された。このイベントを企画・運営するために組織された「進撃の里帰り実行委員会」はBグループや作者の知人,作者と所縁のある人々,広告代理店等によって組織された。しかしA氏は「ライセンス事業者ともめたので俺がこの取り組みに関わることはできない」としてこのイベントに携わることはなかった(第6図b)。
作者と所縁のある人々は長年,大山町で梅の栽培をしてきた。そのなかで作者と所縁のある人々はBグループとの間に古くからの取引関係を有していた。そこで,道の駅や梅酒蔵を運営するBグループは作者と所縁のある人々や作者の知人を巻き込んで「進撃の里帰り実行委員会」を組織することに成功した。A氏を取り込まず,作者の同級生や作者と所縁のある人々を取り込んだことで,作者やライセンス事業者からの協力を得やすい状況を作り出した「進撃の里帰り実行委員会」は,ライセンス事業者との調整をスムーズに進めることが可能となり,このイベントは正式な手続きを経て開催された。そのため,イベント当日には作者によるトークショーやサイン会なども開催された。さらに,古くから関係性を有していたBグループの梅酒蔵は進撃の巨人とのコラボ梅酒を発売し,初のコラボ商品の販売が開始された。しかし,来場者数が予定を大幅に下回ったため,このイベント自体も一度きりの開催となった。
2) 活動の組織化と停滞のなかでの景観づくり① 進撃の景観づくりと活動の停滞
2014年には『進撃の巨人』が映画化され,その知名度が拡大した。しかし,『進撃の巨人』に関わる日田市内での取り組みは単発のイベントの開催と,元々作者の親族が営む農家との取引関係があった梅酒蔵によるコラボ商品(梅酒)の販売のみに留まっていた。また,日田市内に存在する『進撃の巨人』にまつわる場所は,A氏が経営するコンセプトバーのみであり,このコンセプトバー9)は必ずしも『進撃の巨人』のファンを対象にした店舗ではなかった。さらに,このコンセプトバーを経営するA氏は,「コンセプトバーは市内の繁華街のなかに位置し,営業時間は20:00~であったため,子どもや女性が訪問するにはハードルが高い場所であった」とする。そのうえで,「日田市が「進撃」のまちづくりを進め,観光客を継続的に誘致するためには,単発的なイベントではなく観光スポットとなる場所をつくる必要性があった」と話す。そこで,A氏は作品中に描かれていない日田市を「進撃の町」として売り出すためには,ファンの気持ちを反映し,誰もが訪問しやすい場所にシンボルを設置し,『進撃の巨人』の景観を創り出す必要性があるとの発想のもと,「進撃の日田」の景観づくりに邁進することとなった。
A氏は2015年に境港市の「まちづくり」を参考に,コンセプトバーの常連客C氏,D氏と観光スポットとなりうる銅像の設置を目的に「進撃の日田町おこし会議」を立ち上げた。A氏はライセンス事業者との交渉を進める過程で作者からの協力が必須となることを念頭において,作者と所縁のある人々をこの団体に巻き込むことに成功し,銅像設置に向けて,ライセンス事業者や市と交渉を開始した。この会議では,銅像の設置予定地として,観光客の目に留まりやすい日田駅前が選定された。設置予定地は公的機関が管理している土地であるため,銅像の設置には市の協力が必須となる。そこで,作者と所縁のある人々と関係性のあった市商工会やロータリーなどに所属する地元企業の役職者や,日田市役所のOBをこの会議に取り込み,市やライセンス事業者との交渉を進めた。しかし,この過程で,銅像の建設コストが1,000万円近くになることや,ライセンス事業者への支払いが発生することなどが課題となり,銅像の設置に向けた動きは停滞することとなった(第6図c)。
② 地域おこし協力隊の着任とクラウドファンディングの実施
その後,2018年に日田市役所に地域おこし協力隊E氏が着任したことを契機に再び「進撃の日田町おこし会議」の活動が前進することとなる。当該団体は市役所との調整を進めてきたものの資金調達に目途がつかず,取り組みを実行に移せない状況にあった。
そうしたなか,2019年2月に協力隊E氏が主宰したクラウドファンディング・セミナーが開催された。当該団体はこのセミナーへの参加を契機に市民活動の支援をミッションとする協力隊E氏への相談の機会を得た。そこで,当該団体はクラウドファンディングで資金確保をすることを提案され,銅像の設置に向けてクラウドファンディングが実行されることとなった。クラウドファンディングの実施に際して,「進撃の日田町おこし会議」は作者とその家族の協力によってライセンス事業者からの許諾を得た。さらに,同時期に市役所で働いていた協力隊E氏や地域内の有力者をメンバーとする「進撃の日田町おこし会議」は市長からもJR駅前の広場への銅像設置の許可を得た。その後,クラウドファンディングに向けた準備を整え,2019年にクラウドファンディングを実行した。
その結果,「進撃の日田町おこし会議」は当初目標の約1,400万円を数日で達成し,広域的に進撃の巨人に関連する景観を創り出し,観光客を日田市内で回遊させることを目指して,日田駅から15 km程離れた大山ダムにもう一体の銅像を作ることをネクストゴールにクラウドファンディングを続けた。最終的に当該団体は目標を大幅に上回る約3,000万円の資金確保に成功した(第6図d)。
協力隊E氏との連携によって資金確保に目途がついた当該団体は協力隊E氏にウェブサイトの運営やイベント企画についても協力を依頼した。協力隊E氏はクラウドファンディングの達成までは,活動支援の一環としてこうした業務についても支援してきたものの,達成後はミッションの範疇を超えるとの判断のもとでこうした活動と距離を置いた(第6図d)。
③ 銅像の建立およびミュージアム建設とその後の活動停滞
その後,「進撃の日田町おこし会議」は商工会やロータリーなどの人間関係のなかでイベント企画やWebデザインを扱う地元事業者F社からの協力をとりつけ,以後,一連の取り組みの実働をF社が担うこととなった。F社は「代表者の高校時代のつながりのなかで,この事業の話が舞い込んできた。こうしたイベント事業を運営できるノウハウを持つ会社が地域内にない。地域の活動として取り組むには地元の企業でやる必要があると考え,参加することになった。ライセンス利用料等の負担が発生しており,現段階で大きな収益を上げる事業にはなっていないが,地域貢献としてやっている」と話す(第6図e)。
また,想定を上回る資金を得た当該組織内部では銅像2体の建立費を除く費用の使途をめぐって対立が生じた。具体的には道の駅大山にミュージアムを建設するための関連業者への調整費用として充当させたいとの考えを有していた者と,イベント企画や次なる銅像の建立など,クラウドファンディングに協力してくれたファンが望む形で費用を使いたいと考えた者との間で対立が生じた。この対立をきっかけに当該組織の設立に関わってきたA氏やその周辺の人物は当該組織から脱退することとなった。他方で当該団体のメンバーである有力者やF社らは銅像の設置とミュージアムの建設に向けての活動を積極的に進めた。ところが,ミュージアムの建設をめぐって地元事業者と当該団体関係者の間でトラブルが生じたこと,当初の目的であった銅像が建立されたことを理由に当該組織からの地元事業者らの脱退が相次ぎ,当該組織は有名無実化した。こうした動きのなかで,日田市内には2体の銅像とミュージアムが建設されるとともに,クラウドファンディングの資金の一部を活用し,駅前にタペストリーなどが設置されるに至った(第6図f)。
3) 創り出された景観による観光資源化期① 商品開発をめぐる新たな展開
その後,ミュージアムは作者と所縁のある人々が中心となって運営されるに至り,開設後半年ほどで約5万人が来場している。その他の『進撃の巨人』に関わる取り組みはF社と作者と所縁のある人々,日田市観光課が中心となり進められた。具体的には,F社とライセンス事業者の間でコンテンツ利用の権利をめぐる交渉が進められ,F社は「進撃の日田」に関わるパネルや企画,ミュージアムに関するコンテンツ利用権を得た。そこで,F社が主幹する「進撃の日田町おこし協議会」を中心に,市内での『進撃の巨人』関連イベントや観光マップの作成,関連スポットへのパネル設置などが進められた。さらに,2体の銅像だけでは「進撃の町」として売り出すことが難しいと考えたF社は独自にライセンス事業者と契約を結び,VRを活用して市内の観光地などで漫画キャラクターを入れた形で記念撮影ができるアプリを開発した。これにより銅像やミュージアム,パネルといった実在する景観に加えてVRを活用した景観づくりも進んだ。加えて,「進撃の日田町おこし協議会」は日田市内でちょうちんづくりに取り組む団体などの民間団体とも連携し,活動の幅を拡大させた(第6図g)。
さらに同時期に,日田市とライセンス事業者間でもコンテンツ利用の権利をめぐる交渉が進められ,両者は市内の中小事業者が進撃関連商品を売り出す際のコンテンツ利用料に関する取り決めを結んだ。作者や日田市からの協力によって結ばれたこの取り決めにより,相場より低いライセンス利用料でのコラボ商品の開発が可能となった日田市内の中小事業者は,「進撃のうどん」や「進撃の日田下駄」,各事業者オリジナルの缶バッジなどを開発し,2020年頃から徐々に関連商品が販売されるに至っている。
2020年9月には中小事業者のコラボ商品の開発支援を担当する協力隊G氏が着任した。彼は地元の中小事業者への訪問を繰り返し,コラボ商品の開発を呼びかけた。その結果,着任時に4件程であったコラボ商品の開発事業者は30件程まで増加した(第6図g)。コラボ商品を作成した業者への聞き取り調査では「ライセンス利用料を優遇してもらってはいるものの,商品開発を進めるにあたってはライセンス事業者への企画書の作成が大変。作品の色合い等も含めて細かくチェックされる」との声が聞かれた。
そうしたなか,コラボ事業者の大半が企画書の作成に対する支援を行うG氏の協力を不可欠だったとする。実際に協力隊G氏は着任後に新たに商品開発に取り組んだ26件のうち18件について,商品開発やライセンス事業者とのやり取りの支援などを行っている。さらに,各事業者が連携することで「進撃の日田」を全国にアピールできると考えた協力隊G氏は2021年にコラボ事業者団体を設立した。
コラボ事業者団体のメンバーである宿泊施設での宿泊者アンケートでは東京都や神奈川県,大阪府,愛知県からの利用者が確認されている。これについて事業者は「キャラの誕生日などイベントの日はお祝いするためにコラボルームの予約が殺到する。これまで以上に関東などからのお客様が増えている印象。アンケートなどをみてもその満足度は高い」と話す。コラボ事業者である畳店店主は「畳需要が低下しているなかで,進撃をきっかけに畳ファンを増やしたいとの想いでコラボ商品を製作した。そこで,知人の紹介で,ござ職人や,綿密に織を表現できるタオルのデザイナーなどに協力を仰いで,こだわりの製品を作った。単価が高いので,まだ在庫はあるが6-7割は販売できた」とする。こうした経緯でコラボ商品が増加する中,コラボ商品の販売場所である道の駅の担当者は「売り上げが従来と比べて40%以上増加した」と話す。
このように,『進撃の巨人』に関する日田市内での取り組みは協力隊G氏の参画によって地元の中小事業者にまで広く影響を与えるものとなっている。実際に,『進撃の日田』の経済効果は20億円と推計されており10),人口減少が課題となる日田市の地域経済に影響を与えている。しかし,コラボ事業者団体が設立されたことで,一連の取り組みはF社を中心とする取り組み,コラボ事業者団体を中心とする取り組みに二分されることとなった(第6図g)。
コラボ事業者団体もF社が主管する「進撃の日田まちおこし協議会」に加盟している。この協議会には大分県や日田市も参画しており,『進撃の巨人』に関する取り組みに関する情報はこの協議会で情報共有され,ここでの議論をもとに活動が展開しているとされる。しかし,コラボ事業者団体に所属する事業者からは「情報が降りてこない。F社中心の取り組みになっている」との反発も出ている。
2023年11月にはアニメ最終回を記念して,作者や声優を招いた講演会や植樹が行われた。講演会当日はメイン会場以外の4か所でもパブリックビューイングが実施され,各会場は多くのファンで埋め尽くされた。その日の夜には一部のコラボ事業者がA氏の店に集合し,「進撃の日田」の聖地となっていたコンセプトバーのファンのオフ会と称してイベントが実施された。このイベントはコラボ事業者のなかの6社が個人的なつながりのなかで実施したものであった。この日に参加した事業者は「コラボ事業者団体で正式なイベントを展開することは権利関係上かなり大変。また,必ずしも一枚岩ではない」と述べている。
4) 組織の流動的な変化と景観づくり以上を踏まえると,一連の取り組みはライセンス事業者と一人のファンであるA氏との間の資金力の差と情報の非対称性を背景にファンによるインフォーマルな活動からスタートし,「進撃の里帰り実行委員会」による単発的な取り組みへと発展を遂げた。しかし,一連の取り組みのきっかけを作ったコアファンであるA氏はライセンス事業者との関係性悪化を理由に「進撃の里帰り実行委員会」による取り組みには参画できなかった。これについてA氏は「ファンが関わらない形のイベントであったため来場者が伸びなかった」と分析する。つまり,作品中の景観を伴わない地域でファンを巻き込むことなく展開されたこの取り組みの成果は限定的であったともみなせる。そこで,再び,コアファンが中心となり地元の有力者らを含めた形で作品にまつわる景観=銅像の建立を目指す「進撃の日田町おこし会議」が組織された。
コンテンツを活用した「観光まちづくり」はコンテンツが寿命を迎える前に成果を挙げる必要がある。また,ライセンス事業者や市との調整を進める必要性も高い。そこで,新たに組織された当該組織は地元の有力者を巻き込み,市やライセンス事業者との交渉を進めた。しかし,資金やライセンスをめぐり困難を抱え,一時的に活動が停滞した。その後,他地域からの移住者である協力隊E氏の提案によって実施されたクラウドファンディングによって資金確保に目途が立ったことで,活動が軌道にのり,日田市内に銅像を建立するに至った。その後,この組織はミュージアム建設など活動を拡大させるなかで内部対立が生じ,活動が停滞しつつあった。それに対してはF社と協力隊G氏が活動に影響を及ぼすようになり,市全体を巻き込んだ「進撃の日田」まちづくりが推進されるようになった。つまり,この取り組みは地域内のつながりによって拡大してきた側面が大きいが,地域内のメンバーとつながりを有さない協力隊G氏が参入したことで,より多くの地元事業者の間にもこの取り組みが拡大したともいえる。
これらのことから,景観を伴わない地域におけるコンテンツを利用した「観光まちづくり」は,関わる組織が流動的に変化するなかで展開するといえる。そのなかで,取り組みが停滞した際には移住者が大きな役割を果たしていることが分かった。そこで,IVではどのような移住者がこの取り組みに影響を与えたのかを検討する。
IIIで述べたように,銅像設置に向けたクラウドファンディングの実施やコラボ商品開発の拡大は2人の協力隊の存在によって進展した。そこで,本章では2人のライフコースを整理したうえで,彼らが一連の取り組みで果たした役割について考察する。
協力隊E氏は活動時20代後半の男性である。彼は日田市内の高校卒業後,佐賀県内の大学に進学した。彼は学生時代,サークルで商店街の活性化やフリーペーパー作成等に携わっていた。彼はこうした活動の延長で,在学中に佐賀県内のコミュニティ財団に就職し,5年をかけて大学を卒業した。その後,市役所での臨時的任用職員として3か月間働いた。ここではNPOに関する業務に従事していた。しかし,公務員として,事務作業をこなすことにやりがいを感じることがなかったため任期満了とともに,市役所を退職した。市役所を退職したタイミングで,学生時代の活動で関係性を築いていた知人に声をかけられ,農業支援を目的とする団体を立ち上げ,農家へのコンサルティング業務(助成金の申請支援)と事務局の運営業務を担うこととなった。この団体の立ち上げ時の職員数は2名で,業務委託でウェブデザイナーなど4名を加えて活動を行っていた。協力隊E氏は資金的に厳しい状況にあった,この団体を支えるために農家向けの雑誌編集やクラウドファンディングを実施することで,資金調達に成功した。しかし,資金の使途をめぐり代表と対立し,この職場を約3年で退職した。
協力隊E氏は雑誌編集に携わってきた経験を活かして,ウェブデザインやECサイトの運営に関する業務を個人事業主として受け,生計を立てていた。その後,副業が可能で,かつ,上司から管理されず,自由な働き方を望んでいた協力隊E氏は,知人の紹介をきっかけに,日田市で市民活動の支援を担当する協力隊員として採用された。協力隊E氏は活動を開始して半年ほどで進撃の日田に関する相談に乗ることになり,これを契機に活動の大部分が進撃の日田に関する業務となった。
この活動について協力隊E氏は「進撃の日田まちおこし会議のメンバーは地元の有力者が中心であった。そのため,クラウドファンディングの返礼品をめぐるライセンス事業者とのやり取りや,こまごまとした事務作業を一手に引き受けることとなった」と述べる。
ボランティア組織である進撃の日田まちおこし会議は専属の事務員等を抱えているわけではない。そのため,協力隊E氏は,ウェブのデザインやその他の事務作業を含めて,多くの仕事を依頼されることとなった。しかし,協力隊E氏は市民活動支援が協力隊の任務ではあったものの,無報酬で使える事務員のような扱いになってきたことを疑問に感じ,団体に対して事務作業にはそれなりの対価が発生することを伝えた。これをきっかけにE氏はこの活動との関わりは薄くなった。
その後,彼が担っていた事務作業は進撃の日田町おこし会議のメンバーによってF社に依頼されることになった。結果的に主な進撃関連のイベントはF社によって企画されることになった。協力隊E氏は現在,福岡のNPOサポートの団体のメンバーとしての仕事を受けつつ,ウェブデザイン,知人が立ち上げた地域団体の支援の仕事を組み合わせ,年間350万円程度の収入を得ている。
他方,コラボ商品の拡大やコラボ事業者団体の立ち上げに尽力した協力隊G氏は,活動時30代後半の男性である。彼は埼玉県出身で,東京都内の有名大学の卒業生である。協力隊G氏は日本の食文化や蕎麦屋の昔ながらの空間づくりに関心をもち,大学卒業後は蕎麦屋を立ち上げることを目標に,都内の蕎麦屋で2年間の修行に励んだ。その後,都内で蕎麦屋を開業した。約5年間,蕎麦屋を経営していたが,安定した収入を得られず,廃業に追い込まれることになった。蕎麦屋を閉めたのち協力隊G氏は都内のベンチャー広告代理店に就職した。しかし,そこでの長時間労働や社長のワンマン経営に疑問をもち,大手雑貨小売企業へ転職した。都内の店舗で2年間働いたのち,転勤によって,大分に移住することとなった。大分に転勤した後,県内各地に出かけるなかで,人間らしい生活を実現するために,大分に定住する方法を模索するようになった。そこで,大分県内の協力隊員の情報を収集し,地産地消の商品開発をミッションとする日田市の協力隊として2020年に着任した。当時,日田市では進撃の取り組みが始まっていたものの,コラボ商品が4つ程度だったことをうけ, 大手雑貨小売企業時代の経験を活かしてコラボ商品開発の支援を行うようになった。当初,地元事業者からは全く見向きもされなかったが,地元の中小事業者への訪問を続け,コラボ商品の開発支援を進めた。通常の行政職員の場合,特定の業者に対する支援を行うことは難しいが,市から直接的に雇用されてはいない協力隊だからこそ,グッズ製作の営業が可能であった。結果的に市とライセンス事業者との間の協力的な契約を前提に2年間で60件を超えるコラボ商品が開発されている。2023年9月に任期を満了したG氏は協力隊時代に自身で立ち上げたコラボ商品の企画会社の経営と,市からのコラボ商品開発の支援業務の受託を受けて生活している。しかし,会社からの収入は年間150万円程度で,かつ会社も赤字状態であり,コンテンツに寿命があることを考えると経済的には厳しい状況にあるとする11)。また,コラボ事業者のなかには「これまで市が実施してきた商品開発支援業務を,任期を終えた元協力隊G氏に委託するのは疑問。市が元協力隊G氏のために仕事を作り出しているように感じる」と話す者も確認された。
2) 移住者が聖地化にむけて果たした役割一連の取り組みにおいて,市が介在する制度である地域おこし協力隊の立場にあった協力隊E氏は,ライセンス事業者と結びつきを有する組織や取り組みのきっかけを作ったA氏を中心とした組織と行政を結びつける役割を担った。さらに,協力隊E氏は資金難から停滞していた活動をクラウドファンディングの経験を活かして再興させた。その結果,地域内にコンテンツに関わる景観である銅像2体が設置され,これをきっかけにミュージアムの建設や駅前の目抜き通りへのタペストリーの設置がすすみ,「進撃の町」としての景観が創り出されるに至った。さらに協力隊E氏が活動から手を引いたのに代わり,当該活動の中心を担ったF社はVRを活用して,現実空間と仮想空間を組み合わせたアプリを開発した。これにより市内各地に「進撃の町」としての景観が拡張した。
市内各地に景観が創り出されるなかで,組織内でこうした活動で得られる経済的利益をめぐる意見対立が生じたことで,この取り組みに関わっていた地元住民は組織から手を引き,F社中心の活動となった。そこで,この活動に関わり始めた協力隊G氏は,地域内の中小事業者を巻き込みながら,コラボ商品の開発に尽力した。結果的に地元中小事業者を中心とした「コラボ事業者団体」を成立させ,F社を中心とした取り組みと地元事業者の取り組みが併存する形で,『進撃の巨人』の景観を活用した観光まちづくりが進められている。
これらのことを踏まえると一連の取り組みについて移住者は,① 地域内の組織を結びつける媒介としての役割,② 都市部で身に付けた経験・知識を移転させる役割,③ コンテンツを利用するにあたり発生する煩雑な書類業務を担当する役割を担った。しかし,こうした役割に対して彼らは経済的な対価を得ていない。むしろ,協力隊E氏は事務作業の受託費用を活動団体に要求したところ,それを拒否されており,協力隊G氏は任期後に市役所の業務の受託を受けることについて一部の業者から反発を受けている。
ここで,彼らの経歴をみると,大学卒業後の職業選択において終身雇用とかけ離れた働き方を選択している。さらに,代表者との対立や事業の失敗,ブラック労働を経験した後に協力隊として勤務するに至っている。これを踏まえると,経済的利益をめぐり対立が生じやすく,組織が流動化しやすいうえに,多大な事務業務が発生するコンテンツツーリズムによる「観光まちづくり」の展開には,暗黙的に経済的利益を求めない存在として理想的な移住者像を押し付けられた移住者の存在が不可欠である。標準的とされないキャリアをたどる若者が地域の都合に合わせて一定の役割を果たしているとみなせる。
本研究では「進撃の日田」をめぐる取り組みを事例に,コンテンツを利用した「観光まちづくり」に関わる組織の変化と,一連の取り組みに参画した移住者のライフコースについて検討した。
その結果,ストーリーを付与された「景観」を創り出すことが要求される周辺地域での「観光まちづくり」では組織が流動化しやすいなかで,移住者には組織間の利害を調整する役割が期待されていることが明らかになった(第6図)。その背景には以下の3つの理由が存在する。
第一にコンテンツを活用した「観光まちづくり」を推進するには,その利用に関してライセンス事業者との交渉が必須となる。一方,こうした取り組みはファン主導の個人的な取り組みがきっかけとなるため,ライセンス事業者との契約を前提としないインフォーマルな取り組みが契機とならざるを得ない。「進撃の日田」の事例でもA氏がインフォーマルな形でイベントを企画したことが,その後の取り組みの契機となった。この取り組みがインフォーマルなものとならざるを得なかったのは,ライセンス事業者と一人のファンの間にコンテンツ利用をめぐる情報や経済基盤に関する非対称性が存在していることに起因する。その結果,一連の活動の契機となったイベントを企画したA氏とライセンス事業者との間に良好な関係性が築かれることはなく,その後の取り組みは,A氏を含まない組織によって進められることになった。これらのことからも,取り組みの段階によって組織が流動化する必然性があったと判断できる。
第二にコンテンツを活用した「観光まちづくり」はコンテンツが寿命を迎えるまでの短期間に取り組みを軌道に乗せることが求められる。また,既存研究で指摘されているように,既に存在する景観にコンテンツのストーリーを付与することで成立する「観光まちづくり」では大規模な公共投資を必要としないにも関わらず,短期間で大規模な経済的な効果が期待できる(山村, 2011; 十和田, 2010)。さらに,「景観を伴う」地域でのコンテンツツーリズムでは景観の所有者が地域内に存在することが多く,彼らが主導して,彼らに配慮した利害関係の調整が行われる。対して,「景観を伴わない」地域では景観の所有者が存在しない。そのため,「景観を伴う」コンテンツツーリズムの展開に向けた取り組みと比べて,多くの地元事業者や個人が短期間の間に取り組みに参入しやすい。加えて,コンテンツが人気を博しているタイミングで,ライセンス事業者との交渉をスムーズに進めるためには地元の有力者を巻き込み,短期間で組織をつくる必要があるため,既存の取引関係や人間関係を前提として組織化が進む。しかし,短期的に様々なアクターに経済的利益がもたらされ得るため,組織内での意見の食い違いが生じやすい。その結果,活動の主体となる組織自体は常に変化し続けることになったと考えられる。
第三に煩雑な事務作業を担い,経済的な利益を得ることなく組織内の調整役を担う人材が必要となる点が挙げられる。コンテンツを利用した「観光まちづくり」ではコンテンツ利用に関わる事務作業が生じる。また,経済的な利益をめぐり組織が流動的になる。そのため,組織内のアクターを結びつける人材や事務作業の担い手が必要となる。しかし,アクターを結びつける人材が個人的な利益の追求を目的に活動を実施すると,媒介としての機能を果たせなくなる。したがって,無償でこうした調整役を担う人材が必要となる。
日田市の事例の場合,経済的利益を得ない存在として認識された移住者が,流動化する組織の組織化や再組織化の過程で調整弁として,あるいは煩雑な「雑用」の担い手として機能したことで活動が継続された。また,彼らのライフコースをみると2名とも都市部における不安定な就業を経験している。これを踏まえると地域内の取り組みを展開する際に社会貢献や自身の夢の実現のためのキャリアを形成してきた移住者が,組織内部で調整機能を果たす存在として位置付けられているといえる。
他方,協力隊としての契約は3年に限られるため,同一人物が長期間にわたり活動に関わり続けることは非現実的である。また,彼らは任期中に定住に向けて,地域内で生活の糧を得る必要がある。つまり,彼ら自身は活動を通して何らかの便益を享受する必要がある立場に置かれている。しかし,「理想的な移住者像」が押し付けられている彼らが将来に向けて便益を享受することへの理解は乏しい(Klien, 2020)。そのため地域内にコンテンツに関わる景観が創り出され,観光資源化が進むなかで,一連の活動とそれぞれの協力隊員との関わりは希薄化せざるを得ない。
これらのことから,一連の取り組みは,暗黙的に経済的利益を得ない存在として「理想的な移住者像」を押し付けられた移住者らの負担の下で展開している。こうした状況下で彼らが長期間にわたり,無償でこの取り組みの調整弁を果たし続けることは困難であり,こうした構造が組織の流動性を高めているといえる。
景観を伴わない地域におけるコンテンツを活用した観光まちづくりの展開の過程では活動の主体となりうる地域内の組織が流動化しやすい。そのなかで,こうした取り組みは「理想的な移住者像」を押し付けられた移住者が使い捨てられるプロセスを経て成立する側面を有する。また,コンテンツが衰退への局面へと移り変わるなかで,地域内で創り出された景観にストーリー性を維持し,発展させ,コンテンツによる「観光まちづくり」を推進するためには,コンテンツに対して長期的に愛着を持ち続けるA氏のようなコアファンを活動に取り込む必要性がある。しかし,現実的には流動性の高い組織による取り組みとならざるを得ないため,取り組みにきっかけを与えたコアファンは取り組みの表舞台から姿を消す。その結果,活動自体にコアファンの意見を取り込む機会は徐々に失われている。
コンテンツツーリズムはコアファンをターゲットにしたものから始まり,徐々にライトファンに向けたものへと移り変わる。そのなかで,商業化された陳腐な景観が創り出される(山村, 2011)。景観を伴わない周辺地域でのこうした取り組みでは,「理想的な移住者像」を押し付けられた都市からの移住者が媒介となり,流動的な組織がつくられ,こうした組織がストーリーを付与された景観を創り出す。創り出された景観は都市に位置するライセンス事業者の意思と観光客となり得る都市に居住するライトファンの要求に合わせたものとなる。
周辺地域での移住者の活動が創り出す景観に関して,Traphagan(2020)は都市的な感覚をもつ移住者らの活動によって,「コスモポリティズムと素朴さを合わせもつハイブリットな生活様式」が浸透した空間が生み出され,この過程を通して彼らが周辺地域に活力を見出していることを指摘している。本研究で取り上げた景観を伴わない地域でのコンテンツを利用した観光まちづくりの場合も,そのプロセスは地元企業や住民が創り出してきた「田舎らしい」地域を,移住者が媒介となり,部分的に都市化とグローバル化の流れに統合し,両義的な空間に変容させ,それによって地域に経済効果をもたらすものである。しかし,こうした景観を創り出す装置となる組織がつくられる際に媒介となり得る移住者の待遇には課題がある。したがって移住者を安定的に確保し続けるのは困難であり,組織自体も流動的となる。そのためこうした取り組みによって創り出された空間は偶発的に創り出されたものと言わざるを得ず,こうした空間を長期的に維持することは困難と考えられる。以上を踏まえると,政府からのお墨付きの下,周辺地域で展開する景観を伴わない地域でのコンテンツを利用した「観光まちづくり」への期待は大きいものの,このプロセスは景観のハイブリット化と陳腐化を進める過程に過ぎず,こうした取り組みの持続可能性は低いと言わざるを得ない。
本研究では 「進撃の日田」に関わる事業者や各団体,日田市役所観光課,地域おこし協力隊E氏,地域おこし協力隊G氏に多大なるご協力をいただいた。記して御礼申し上げます。本研究には科研費研究活動スタート支援,科研費若手研究(21K20064, 24K16217研究代表者: 甲斐智大)及び,科研費若手研究(19K20565,22K18100研究代表者,Timo Thelen)を使用した。また,本稿の骨子は2022年度 東北地理学会春季学術大会(於: 東北大学)で報告した。なお,本稿の調査は第一著者,第二著者が合同で行い,文献レビューを著者全員で行った。執筆にあたっては主に日本語部分を第一著者が,英語部分を第二著者が担当し,著者間で推敲を行った。
1) コンテンツツーリズムのファンは二つの層に分かれる。すなわち,特定の作品や作者に深い思い入れを持つ「コアファン(固定ファン)層」と,作品や作者への思い入れはそれほどなく,流行に乗ってその作品を消費する「カジュアル層」である(山村, 2016)。「カジュアル層」については「ライトファン層」と表される場合もあり,本研究では「コア・ファン (固定ファン)層」を「コアファン」,「カジュアル層」を「ライトファン」とした。
2) 例えば, 埼玉県鷲宮町の事例では作品中で描かれている鷺宮神社や「大酉茶屋」が代表的な景観となっており,神社や茶屋の管理者である商工会青年部が積極的に取り組みに関わっている。富山県南砺市の場合は「むぎや祭」と「曳山祭」などの祭りが目的地となる景観となっており,祭りの実行委員会や会場となる寺などが積極的に取り組みに関わっている。
3) 「日田市まち・ひと・しごと創生人口ビジョン」による。なお,人口は旧町村部の人口を含む。
4) 前掲3)。
5) 【進撃の巨人 画集 FLY】公式アカウント(https://x.com/shingeki_FLY/status/1729802887360831988)より。(2024年5月10日閲覧)
6) 『進撃の巨人』の作者である漫画家,諌山創氏の地元である旧大山町は1970年代に県内に拡大した「一村一品」運動のモデルとなった地域で梅や栗の産地としても知られている。
7) 「『進撃の巨人』の世界再現 日田市の大山ダム作者・諫山さんの地元でイベント」2013年9月30日付 西日本新聞朝刊による。
8) 「満喫“諫山ワールド”「進撃の里帰り」」2014年11月4日付大分合同新聞夕刊,「「壁」の中に里帰り 『進撃の巨人』作者の諫山創さん,ファンと交流」朝日新聞大分版2014年11月2日付による。
9) 具体的には漫画・アニメ文化を活かすコンセプトバーであり,店内には漫画やアニメなどのポスターやグッズが全面に配置されている。
10) 日田市観光協会の推計によると2021年3月27日から9月の間での直接的な経済効果は20.5億円とされる(コラボ商品説明会(2023年5月31日実施)資料より)。また,市内のIT関連企業の推計によると2022年8月までの経済効果は54億円(「「進撃」経済効果は54億円 日田の地域おこし,1年8か月で」読売新聞2023年6月7日付),2021年から2023年の経済効果は55億円と試算されている(「『進撃の巨人』大分・日田への経済効果55億円 21~23年,コラボ商品や“聖地巡礼”」(西日本新聞2024年3月14日付)より)。
11) 調査時点では任期満了直後1年未満であったため,年収に関する語りは予測値である。B氏は会社からの収入を「月々10万円ちょっと」と話す。そこから年収を予測するとおおよそ150万円程度となる。