2022年9月9日、外務省は、日本の開発協力政策の基本方針を示す「開発協力大綱」について改定することを発表した。これを受け林芳正外務大臣が設置した「開発協力大綱の改定に関する有識者懇談会」がこれまで4回の会合を行ったうえ、12月9日にその成果物として、同懇談会の報告書が林大臣に提出された。今後は、外務省より改定案の骨子、又は大綱改定案が示され、それに対してパブリック・コメント、および各地での意見交換会の開催を経て、2023年の6月末までに改定される見通しである。有識者懇談会は学識者3名、経済界3名、市民社会・国際機関関係者各1名の計8名の委員で構成され、市民社会から稲場雅紀氏(NGO・外務省定期協議会 開発協力大綱改定NGO代表委員)が参加した。若林(筆者)はJANICを代表し、稲場氏に対する「開発協力大綱」改定市民社会アドバイザリー・グループの6人のアドバイザーの一人として関わった。本稿では、改定をめぐるこれまでの経緯と問題点について報告する。
本来は、様々なステークホルダーの声を聞き、それらがきちんと反映されるべきであろう。しかし、今回のプロセスにはいくつもの問題点があった。まず、有識者懇談会の構成人数の少なさと偏りである。わずか8人、しかもそのうち経済界は3人であるのに対し、市民社会からの参加者は1人のみだ(表1:有識者懇談会メンバー)。これでは多様な市民社会の声を反映させることは難しいと言えよう。また、我が国による開発協力の影響を受けている、被援助国の政府や受益者の声も聞くべきであったが、それに関する調査分析もなかった。さらに、わずか4回の懇談会、計6.5時間の協議で結論を出すことも拙速である(表2:協議スケジュール)。そのうえ、有識者懇談会の報告書と言えども、執筆者は外務省であり、外務省が座長等と調整し、外務省の意向を反映したものになっていると思われる。
代表業界 | 氏名(敬称略) | 所属・肩書 |
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学識者(3名) | 中西 寛(座長) | 京都大学大学院法学研究科教授(国際政治) |
神保 謙 | 慶應義塾大学総合政策学部教授(国際政治) | |
峯 陽一 | 同志社大学グローバル・スタディーズ研究科教授(人間の安全保障) | |
経済界(3名) | 安永 竜夫 |
(一社)日本経済団体連合会経団連開発協力推進委員会委員長、 三井物産㈱代表取締役会長 |
吉高 まり | 三菱UFJリサーチ&コンサルティング㈱フェロー (ESG投資、気候) | |
原 ゆかり |
㈱SKYAH(スカイヤー)CEO、 ガーナNGO法人MY DREAM.org共同代表 |
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市民社会(1名) | 稲場 雅紀 | NGO・外務省定期協議会 開発協力大綱改定NGO代表委員 |
国際機関(1名) | 弓削 昭子 |
法政大学法学部国際政治学科教授、 元国連開発計画(UNDP)駐日代表・総裁特別顧問 |
年月日 | 出来事 | 協議時間 |
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2022年9月9日 | 外務省が「開発協力大綱」改定の意向発表 | |
同9月19日 | 第1回有識者懇談会(総論:開発協力の目的など) | 1.5時間 |
同9月30日 | 第2回有識者懇談会(各論:戦略性強化など) | 2時間 |
同10月21日 | 第3回有識者懇談会(原則・実施:非軍事原則など) | 1.5時間 |
同11月21日 | 第4回有識者懇談会 (報告書案の検討) | 1.5時間 |
同12月9日 |
有識者懇談会より林外務大臣へ報告書提出。 同日、市民社会は日本記者クラブにおいて記者会見を開催。 |
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2023年1月 | 開発協力大綱案の骨子発表 | |
同2月~4月 | パブリック・コメント、意見交換会の実施 | |
同6月頃まで | 新たな「開発協力大綱」確定 |
この間に、市民社会側は関係者間で数多くの会議を重ね、外部一般向けの5回にわたる報告と意見交換の場(円卓会議)、1回のセミナーを開催した。稲場氏は、これらの場で出た意見等を踏まえ、資料の作成と意見発表を行い、さらに個別に外務省と折衝の機会を持って交渉した。以下、稲場氏による資料等も参考に、問題点を整理する。
⑴ 国益、外交力の強化と安全保障を全面に出した報告書
外務省で、今回の協議において唯一公表した文書「開発協力大綱の改定について(改定の方向性)」では、前回策定(2015年)以降の情勢の変化について触れている。ウクライナ侵攻など、グローバル化の負の側面を強調し、普遍的な価値に基づく国際秩序「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」の理念の具現化が重要になっているとした。しかしFOIPの具現化が何故、開発協力にも必要であり、地域の開発や安定につながるのか、説明した文書は示されていない。
「人間の安全保障」や「地球規模課題」について触れた箇所では、我が国の「外交力」の更なる強化や安全保障、日本企業の海外展開支援など、国益を全面的に出し、ODAを外交の最も重要なツールの一つとして更なる活用を図る必要があるとしている。しかし本来、開発協力の第一義的な目的は、相手国の持続可能な開発、人間開発、人権の保障に資するべきであり、「人間の安全保障」を名実ともに日本の開発協力の指導理念として据える必要がある。まずこの第一義的な目的を果たし、結果として地域の安定、ひいては我が国の経済、国益の増進に寄与するものであり、厳に短期的な外交目的の達成のためのツールとして扱うことは慎まなければならない。
⑵ 非軍事原則の形骸化の懸念
現行の大綱では、非軍事原則(軍事的用途および国際紛争助長への使用の回避)は維持されていたものの、実質的な軍事支援が民生目的・災害援助などの名目で軍関係者へ供与されてきた。人権侵害の著しい国では、警察当局への支援は、結果的に市民を弾圧する能力強化につながっている可能性も否定できない。
改定の議論においても、非軍事原則を維持すべきといいながら、その上で、軍および軍関係者による人道支援や災害救助に対する支援、平和と安定に資する法執行機関の活動への支援の選択肢は排除されるべきではないとした。支援の実施に当たっては、適正利用の確保が、相手国と取り交わす文書等で適切に担保されている必要があるが、そもそも国家の機密保持を担う軍や警察関係者に対し、他国である日本がモニタリングを行うこと自体に限界がある。
⑶ 開発協力には、人権保障のための「人権デューディリジェンス(人権DD)」を含めるべき
報告書は、企業の社会的価値の創出を目指す取組強化の観点から、ESG(Environment・Social・Governance)投資にも言及している。しかし、外務省が2020年に打ち出した「行動計画」において企業に求めている、サプライチェーン上での人権DD(人権侵害に対する積極的な事前予防と対処を含む継続的プロセス)には触れていない。稲場委員がその必要性について述べ、資料でも提起したにも関わらず、最終報告書には結局反映されなかった。そもそも途上国を含めたサプライチェーン上での、人権に対するデュープロセスを政府が企業に対して求めるなら、政府自ら率先してその姿勢を示すべきである。人権DDへの言及を意図的に避けることは、すなわち人権への対応が自らの問題として降りかかってくることを避けたい政府の消極姿勢の表れと思わざるをえない。
⑷ NGOは、すでに政府の「重要なパートナー」であり、NGOを通じた支援を増やすべき
報告書には、「日本の開発協力を進めるに当たり、日本のNGOを戦略的パートナーと位置付け、連携と協力を更に強化することを提言する」とある。しかしこれは今に始まったことではなく、外務省とNGOは1990年代から定期協議を行っており、「日本NGO連携無償資金協力」は既に開始から20年を迎えている。にもかかわらず、外務省がことあるごとに「NGOは政府にとって最も重要なパートナーである」と繰り返し言及するのは、裏を返せば、実際のところNGOがそこまで重要な戦略的なパートナーとなっていない証左であろうか。
また稲場委員からは、NGOを通じた国際協力について、現在のODA総額の2%程度からOECD-DAC(開発援助委員会)の平均である10%程度に引きあげることを提起したが、残念ながら、報告書には記載されなかった。一方で評価できる点もあった。ODAの量を対国民総所得(GNI)比で0.7%とする国際目標に対し、現在、日本は0.34%(円安になり、2022年実績は0.2%代に下がる可能性あり)という低い水準に留まっているが、報告書においては、「今後10年でGNI比0.7%を達成する」として達成年限が中間目標とともに、具体的に示されたことだ。
今回の報告書には、稲場委員を通じて市民社会側から指摘した主要な論点は反映されなかったものの、細部の指摘については、多々取り入れられた。最終的にどのような「新大綱」に改定されていくのか不透明だが、報告書がベースとなることは間違いない。より望ましい内容にするために、パブリック・コメントの提出、各地での意見交換会での意見出し、立法府やメディアへの働きかけなど、市民社会ができることはまだ色々ある。(2022年12月26日執筆)