2025 年 3 巻 p. 27-36
The 2023 revision of Japan's Development Cooperation Charter marks a pivotal shift in its development aid strategy, aligning it closely with national interests, including economic security and strategic diplomacy. Historically, Japan's ODA emphasized altruistic goals such as human security and global challenges. However, the latest revision emphasizes integrating ODA with broader policies to secure Japan's economic and geopolitical standing. Notably, the new charter explicitly prioritizes economic security, addressing critical areas such as supply chain resilience, energy security, and the development of digital and green technologies.
The introduction of "Co-creation for common agenda initiative" represents a significant innovation, enabling Japan to proactively propose development initiatives that leverage its strengths rather than receiving partner countries' requests. This approach, coupled with greater collaboration with private enterprises, highlights a shift toward using ODA as a catalyst for mutual economic benefits. It also underscores Japan's aim to enhance its international competitiveness while addressing global challenges.
Despite these advancements, concerns about the growing emphasis on national interests over traditional development goals remain. The integration of ODA with Japan's economic and diplomatic strategies raises questions about maintaining trust and balancing global responsibilities with self-interest. Effective implementation of the new charter requires robust systems to assess partner country needs, transparent evaluation mechanisms, and sustainable collaborations.
Overall, the 2023 charter underscores the evolving role of Japan's ODA as a tool for economic diplomacy, navigating complex global dynamics to ensure both Japan's prosperity and contributions to international development. While these changes position Japan as a leader in strategic development cooperation, they also call for careful navigation to uphold its credibility and commitment to global progress.
2023年、開発協力大綱が改訂された。改訂にあたっては、過去の改訂時と同様に開発協力の関係者の間で多様な議論が交わされた。中でも、多くの論者が焦点を当てたのは「国益」の扱いである。国益という言葉は、2015年の改訂時に初めて大綱に記載された。そして、2023年の改訂においては、国益を追求するという姿勢がさらに明確化されているという指摘が多い。
今回の開発協力大綱の改訂により、開発協力は国益を重視する新たな段階に入ったという指摘がある1)。国益重視の協力とは、例えば、日本にとって好ましい国際的な環境を創出するために、外交戦略と一体化してODAを戦略的かつ積極的に利用することを指すものであり、中でも伝統的な国家安全保障、すなわち国家の安全確保に向けた取組みに焦点が当てられることが多い。
他方で、2023年の開発協力大綱では、従来の国家安全保障の枠組みにおけるODAの活用だけでなく、経済的な安全保障の確保や、経済的利益の実現も厚く盛り込まれた。重点政策の一環として打ち出された「食料・エネルギー安全保障」など、経済社会の自律性・強靭性の強化は、ひとつの特徴といえる。特に、サプライチェーンの強靭化・多様化、重要鉱物資源の持続可能な開発、食料の安定供給・確保などが重要視されており、これらの取組みが開発途上国の持続的成長だけでなく、日本の経済的利益にとっても不可欠であるとの記述は、大綱が実現すべき国益の幅を広げていることを示している。
このような大きな変化の中で、開発協力大綱に経済安全保障の確保や経済的利益の側面が反映されていることは、従来の開発協力政策が国際情勢の変化に対応し、新たな方向性を模索していることを意味している。一方で、大綱がこのような変化に至った背景やその影響に関する研究の広がりは薄い。今回の大綱の改訂に至った文脈を読み解き、大綱に期待される役割や改訂後の国際協力の展開における課題を検討しておく意味で、大綱の改訂に至る背景や大綱が目指す新たな方向性を分析する意義は大きい。
本稿では、このような問題意識に基づき、経済安全保障の確保や経済的利益の実現の視点から2023年の開発協力大綱とそれに関連する文書を分析する。政府が発表する戦略や政策文書を取り上げ、開発協力大綱が改訂される前の議論と、改訂後の政策の展開に焦点を当て、経済的な国益の視点がどのように新大綱に反映されるに至ったか、またその後どのような展開をみせているかを明らかにする。これにより、今回の改訂が日本の開発協力政策において新たな転換点となっていること、具体的には、国際的な環境の変化の中で日本の経済的な安全保障と経済的利益の確保をこれまでより踏み込んだ形で実現するという新たな役割が開発協力政策に課されていることを指摘する。
ODAと国益を巡る議論には長い歴史がある。ここでは、ODAと国益に関するこれまでの議論を振り返ることで、ODA政策と国益が近年接近してきた過程を確認する。国益が大綱の中で初めて明記されたのは、2015年の開発協力大綱である。2013年6月、安倍政権下で策定された「日本再興戦略」において、ODAを経済分野での国際展開支援や、人間の安全保障の推進に積極的かつ戦略的に活用する方針が示された2)。また、同年12月に策定された「国家安全保障戦略」では、ODAを国家安全保障政策の一部と位置付け、普遍的価値の共有や地球規模課題の解決に活用することが明記された3)。これにより、ODAが日本の利益に資するべき政策手段であるとの考えが明確化され、2015年の開発協力大綱では、日本の平和と繁栄、国益の確保に貢献することが開発協力の政策として公式に位置づけられた。
2015年以前の大綱の中で、国益という言葉は必ずしも明示的に用いられていたわけではない。しかし、ODAと国益の関係についての議論は以前から多く存在していた。佐藤は、ODAが制度化される以前、経済協力政策がアジア諸国を対象に戦略的に展開されたことを指摘している。当時、経済協力は輸出振興や国内で不足する資源の確保を目的としていた。しかし、その後ODAが発展的に制度化されるにつれ、途上国の社会経済的開発を支援するという目的へと性格を変えていった。佐藤の指摘は、ODAの前身となる経済協力が戦略的な性格を持っており、経済協力政策を国内の事情と関連付けることで直接的な国益を実現しようとしていたことを浮き彫りにしている4)。
1970~80年代のODAは、日本企業への利益還元のために用いられているという批判を受けつつも、日本がODA大国として国際的責任を果たす手段として重要な役割を果たしていた。しかし、1990年代後半になると状況は変化する。「21世紀に向けてのODA改革懇談会」がまとめた最終報告書では、「ODAの諸目的を実現することは、広い意味での国益の実現である。国際社会全体の利益のために行動することが、日本の長期的な開かれた国益につながる」と指摘され、長期的な国益の実現を見据えたODAの必要性が強調された5)。また、日本の外交戦略について議論した「対外関係タスクフォース」は、「ODAは単なる『人助け』ではない。わが国にとって安定した国際環境を確保するためにとり得る最も重要な政策手段である」とし、より直接的な国益に資するようなODAの活用の方向性を提案した6)。
1990年代後半から2000年代初頭にかけて、ODAにおける国益重視の傾向はより顕著となった。この点について大山は、ODA政策を支える社会規範が「利他」から「利己」へと変化した過程を跡付けている7)。大山によると、80年代、日本のODAは国際社会での責任を果たすための手段として「利他」的な性格が強かったが、1990年代の経済不況や財政難を背景に、国益に焦点を当てた「利己」的性格が徐々に前景化してきた。このことにより、援助の戦略的活用や「顔の見える援助」が強調され、ODAが日本の外交政策の一環として利益促進の手段とみなされるようになったとされる。
このような社会的な規範の変化に加え、国益を重視する政策も近年さらに強化されていることが指摘されている。志賀は、2023年に改訂された開発協力大綱をODAの安全保障化の観点から分析し、ODAが軍事的抑止や勢力均衡に資する手段として位置づけられ、より直接的な国益に貢献することが期待されていると述べている8)。そのことにより、日本の開発協力が従来の「理想主義のソフト・ロー」としての役割から、近年の国際情勢の変化や自国の国家安全保障の観点から「リアリズムの戦略」へと移行しつつあると指摘し、リアリズムの視点からODAの活用が進むことによる国際社会の分断を懸念している。
また、高橋は「『政治主導』『官邸主導』により、援助専門部署である外務省国際協力局の業務も、援助を外交の一環というだけでなく、近視眼的な国益追求の手段として位置付ける傾向を強めているようにも見える」と述べ、政府の統治のあり方がこれまでの開発協力に関わる行政に影響を与え、ODAが自国の利益を図るための手段に変化しつつあることを指摘している9)。さらに、山形は、開発協力に関する政策が、他分野の政策と一体的に運用されることでODAが国益を実現するツールになりつつある現状を懸念し、開発協力に関する政策と安全保障や産業政策などの他分野の政策は明確に区別され、運用されるべきだと主張している10)。岡島も、近年のODAの改定で「国益論 2.0」の時代に入ったとし、オファー型協力や政府安全保障能力強化支援(OSA:Official Security Assistance)導入といった新たな支援形態の導入により、国益重視が加速していると述べている11)。
一方大野は、開発協力を外交の中で積極的に位置づけるべきとの立場をとっている12)。大野は、開発協力は外交の重要ツールの一つであるが、それ以上の役割を果たすべきであり、外交の基盤と位置づける必要性を強調している。また、ウクライナ・ロシア間の戦争やサプライチェーンの混乱といった近年の国際情勢を背景に、国益を重視する開発協力戦略のさらなる強化が不可欠であると述べている。
このように、多くの識者が国益とODA、あるいは開発協力大綱の関係について多角的に議論しており、日本の開発協力政策における国益の位置付けが、外交戦略、安全保障といった方面に広がっていることが明らかになっている。本稿では、こうした議論を踏まえつつ、特に開発協力大綱の経済的側面に焦点を当てて考察する。
近年、さまざまな分野の政策が統合され、総合的な戦略の一部として相互に関連付けられる傾向が強まっている。この中で、特定の分野の政策が他分野の政策目標を達成するために活用されるケースが増えている。開発協力分野も例外ではない。ODAは、他分野の政策目標を支援するためのツールとして活用され、国家的な大戦略の構成要素の一つとなりつつある。つまり、ODAに本来期待されていた「途上国の開発支援」という役割を超えた責務が課される状況が生じているのである。
以下では、まず2023年の開発協力大綱の内容を概観する。その後、過去10年ほどの間に発表された特に経済分野における政府のさまざまな戦略や政策文書の中で、ODAがどのように触れられているか検討する。このことにより、近年政府が発表する戦略や政策文書の方向性が、新大綱のそれと合致していることを確認しつつ、経済的な国益の観点が大綱に取り込まれた流れを明らかにする。また、開発協力大綱が改訂されて以降に政府が策定したODAに関連する政策文書を検討することで、ODAが日本の経済的な安全保障を確保と経済的利益を実現するツールとして政府の大戦略の一部を形成し、その役割を拡大しつつあることを指摘する。
2023年、8年ぶりに開発協力大綱が改訂された。この改訂の背景には、2015年以降の国際情勢の大きな変化がある。例えば、SDGsに関連した地球規模課題の進展、ロシアによるウクライナ侵略などによる国際秩序の動揺、新型コロナウイルス感染拡大によるサプライチェーンの分断、デジタル化に伴うサイバーセキュリティなど、経済安全保障上の課題が顕在化したことなどが指摘されている13)。これら世界の状況の変化を背景に、外交の最も重要なツールの一つであるODAをより戦略的に活用していく必要性を鑑みて、開発協力大綱の改訂作業が進められた。
改訂された開発協力大綱では、外交のツールとしてのODAの性格がより強められるとともに、「我が国と国民の平和と安全を確保し、経済成長を通じて更なる繁栄を実現するといった我が国の国益の実現に貢献すること」といった表現で、国益の実現が開発協力の目的として明示された。中でも、経済的側面を重視する姿勢が強まっている。改訂当時の林外務大臣は、参議院政府開発援助等及び沖縄・北方問題に関する特別委員会の中で、ODAの戦略的活用を通じた経済安全保障の推進にたびたび言及している。例えば、2023年3月16日の委員会では「経済安全保障の推進に当たっても、ODAを活用していく」と述べ14)、2022年4月27日の委員会では、ODAの活用の議論の流れの中で、経済安全保障における戦略的不可欠性と戦略的自律性を高める外交の重要性に言及している15)。
新大綱における経済安全保障の視点は、大綱の重点政策である「質の高い成長」の記述にも反映されている。2015年の大綱でも質の高い成長は掲げられていたが、2023年版では取組みを強化すべき分野として「食料・エネルギー安全保障など経済社会の自律性・強靭性の強化」「デジタル」「質の高いインフラ」をあげ、さらに食料・エネルギーについては、「サプライチェーンの強靭化・多様化や重要鉱物資源の持続可能な開発、食料の安定供給・確保は、開発途上国の持続的成長のみならず、我が国にとっても重要であり、供給先の多角化」を図るとしている。このように、自国の経済的な安全保障に直結する形で支援を展開する点は、2015年の大綱にはない特徴的な記述であり、国益の実現が具体的に想定されているといえる。
加えて、民間企業やその資金の活用と役割の拡大も、2023年大綱のひとつの焦点である。例えば、質の高いインフラの項目では、途上国における膨大なインフラ需要に対し、民間企業の事業展開を支援することが明記されている。これにより、民間企業の役割が拡大されるだけでなく、経済成長を通じた日本企業への還元を意識した政策が打ち出されている。さらに、民間企業を開発の主体として重視する姿勢は「共創を実現するための連帯」という項目においても明示的である。サステナブルファイナンスを含む民間資金の活用が国際的な潮流であることを踏まえ、日本企業の海外進出を支援するプラットフォームを形成し、公的資金と民間資金を協調させることが重視されている。2023年の新大綱では、民間資金の活用に関する記述が、より具体的かつ実践的に進化しているといえる。
さらに、実施方法の具体化という点では、オファー型協力の導入が今回の改訂の焦点といえる。2023年の開発協力大綱においては、要請主義を維持しつつも、相手国からの要請を待つだけでなく、日本の強みを活かしたメニューを作り、積極的に提案していく仕組みが初めて記載された。外務省は、オファー型協力を対象国との対話・協働を通じて、戦略的に取組むべき分野の開発目標とそれを実現するためのシナリオおよび協力メニューを提示し、案件形成を行っていくものとしている。外務省は要請主義を堅持するとしているが、相手国側への案件形成の枠組みを制度化し、積極的に活用していくアプローチはこれまでの大綱での記述から踏み込んだものとなっている。
開発協力大綱の改訂後、外務省は「オファー型協力を通じて戦略的に取組む分野と協力の進め方」と題する文書を発表した16)。この文書には、オファー型協力の対象となる分野と具体的な進め方が定められている。対象分野は、1) 気候変動への対応・GX(グリーン・トランスフォーメーション)、 2)経済強靭化(サプライチェーン強靭化、重要鉱物資源に対する公平なアクセスの確保、産業多角化のための産業育成等)、3)デジタル化の促進・DX(デジタル・トランスフォーメーション)の3分野である。中でも経済強靭化については、「重要資源の国際供給網や産業の多角化への支援等を通じ、(中略)我が国経済への裨益につながる好循環を確保する」としており、ここでも経済安全保障や経済的な利益の還流を意識した記述がみられる17)。
2023年の開発協力大綱は、ODAの実施を通した経済安全保障の確保や民間資金の活用と連動した経済的な利益の確保という方向性を示したが、これらの接近自体は新しいものではない。それまでも経済安全保障という言葉こそ使われていないものの、経済安全保障を意識したODAの活用の議論は以前からさまざまな形で始まっていた。特に、第二次安倍政権が発足した直後の2013年以降、政府内に多くの会議が設立されると、それにともなって安全保障や経済に関する戦略や政策が次々と発表されるようになった。それらの戦略や政策の中でODAは安全保障や経済と密接に結びつけられるようになっていった。本節では、これらの会議や戦略、政策におけるODAの議論や記述を見ることでODAと経済安全保障や民間資金との接近の過程を明らかにする。
1)転機の2013年:多様な戦略と接近するODA
経済安全保障や民間資金とODAの接近について振り返ると、その起点の多くは2013年に発表された戦略や文書に遡ることができる。この年に設置された会議において策定された戦略や政策文書がODAに一定の方向性を与える役割を果たした。
まず、近年の開発協力政策やODAに大きな影響を与えた文書が、2013年12月に発表された「国家安全保障戦略」である。国家安全保障戦略は、ODAを国家安全保障に関連する分野の一つとして、その政策に指針を与えるものであるとした上で、積極的平和主義に基づき、普遍的価値の共有や人間の安全保障の実現、開発課題や地球規模課題の解決、国際平和協力等のためにODAを積極的・戦略的に活用するとした18)。この文書は、ODAを外交ツールとして戦略的に活用していく方向性を明確にしたといえる。
経済分野でODAを戦略的に活用していく方向性を強く打ち出したのは、国家安全保障戦略発表の半年前、2013年6月に発表された「日本再興戦略 JAPAN is BACK」である。この文書の中で政府は、「インフラ輸出・資源確保」に関して、経済協力を戦略的に活用しつつ、「経済分野での国際展開の支援、好ましい国際環境の構築及び人間の安全保障の推進の3本柱を踏まえた戦略的ODAを展開する」と明記し、「日本企業や自治体によるインフラ等の輸出を拡大するため、広域開発プロジェクトの早期段階から技術協力や無償資金協力も活用しながら相手国政府と連携し、円借款・海外投融資等を戦略的に活用する」方針を示した19)。さらに、中小企業の海外展開についてもODAを活用しながら支援する方針を掲げた20)。
経済財政諮問会議にて毎年策定する「経済財政運営と改革の基本方針」もODAと経済政策の接近を示す重要な文書である。経済財政諮問会議が小泉政権下で発足した当初、ODAはこの基本方針の中ではほとんど扱われないか、扱われても最小限の言及にとどまっていた。2002年の方針の「ODAについては、(中略)我が国の国際的責任の十全かつ適切な遂行に務め」るという記述にみられるように、この時期のODAには、日本が国際社会における大国としての責任を果たすために実施するものという認識が垣間見える21)。
しかし、2013年以降になるとODAに関する記述はより経済を意識した書きぶりに変化する。2013年の方針では、「資源・エネルギーの経済安全保障の確立、戦略的外交の推進等」という項目の中で、日本の経済的な安全を確保するために資源やエネルギーの安定的確保が重要であるとし、ODAを活用しつつ国際的なルール・枠組み作りや途上国における各種制度の設計に関与していくとの表現が盛り込まれた。また、「国益を守る、主張する外交」を戦略的に展開するために、経済連携の推進や戦略的国際協力の推進を強化していく旨も記載された22)。2015年の方針では、「我が国企業のグローバル市場開拓を促進するため、官民連携によりODA等も活用したインフラシステムの輸出」を支援するとともに、「ODAが民間部門の経済活動を拡大するための触媒としての機能を果たすよう努める」との記述もみられる23)。その後も、年によって表現に変化はありつつも、経済安全保障の確立や本邦企業の経済活動の拡大のためにODAを活用しつつ戦略的外交を進めていくという方向性は一貫して維持されている。
さらに、近年のODAの方向性を強化したと考えられる戦略が「インフラシステム輸出戦略」である。この戦略は、第二次安倍政権発足直後の2013年に設置された経協インフラ戦略会議が、インフラシステムの海外展開を支援するために策定したものである。本戦略会議は、「我が国企業によるインフラ・システムの海外展開や、エネルギー・鉱物資源の海外権益確保を支援するとともに、我が国の海外経済協力(経協)に関する重要事項を議論し、戦略的かつ効率的な実施を図るため」に設置された24)。
2013年にまとめられた戦略では、総論として「インフラ輸出、経済協力、資源確保の一体的推進」を進めるために、「新興国等におけるインフラ開発を支援するに当たり、政府開発援助(ODA)や公的金融機関による支援を最大限活用することで、相手国の経済発展と我が国企業の発展を両立させるWin-Winの構図を実現することが可能であるため、経済協力とインフラシステム輸出の緊密な連携を図る必要がある」と述べ、ODAを活用した途上国のインフラ開発により相手国と日本企業の発展を目指す方針を打ち出している25)。さらに、具体的施策として、経済協力の戦略的展開や官民連携体制の強化、インフラの海外展開を担う人材の育成、国際標準の獲得や医療・農業などの新たなインフラ分野への進出、資源の確保の推進などをあげ、これらを実現する手段としてODAに言及している。
2014年以降もこの戦略は毎年更新されつつ、基本的な方向性は維持されてきた。そして、2020年12月に新戦略として「インフラシステム海外展開戦略2025」が発表された。この新戦略は、国際情勢の複雑化や新興国企業との競争の激化を背景に内容を一新したものであり、同時に2025年までに達成すべき目標を定めている。新戦略の目的には「カーボンニュートラル、デジタル変革への対応等を通じた、産業競争力の向上による経済成長の実現」が一つ目に掲げられている。さらに、ソリューションの提案もこの戦略を実現する手段として強調されている。例えば、「ODAの戦略的な活用」のあり方として、ODAの優位性を活かした取組みを充実させるとともに、日本企業や金融機関の技術力や資金力を組み合わせることで、魅力的なパッケージを提案していくとしている26)。
このようにみると各種の戦略や政策の中でODAの位置づけが強化されており、2023年の大綱で記載された方向性が先取りされていることがわかる。特に、「インフラシステム海外展開戦略2025」と2023年の開発協力大綱には重なる部分が多い。2023年の開発協力大綱で示されたオファー型協力の重点分野は、1)気候変動への対応・GX、2)経済強靭化、3)デジタル化の促進・DXであり、インフラシステム海外展開戦略2025の目的と重複している。また、日本がもつソリューションを提案していくというアプローチは、オファー型の理念と通じるものである。経済安全保障あるいは経済的な利益の確保を実現するための「インフラシステム海外展開戦略2025」の主要な要素が開発協力大綱に反映されていることは、開発協力政策と経済戦略の一体化がさらに進展していることを示している。このことは、単に政策間の連携強化にとどまらず、開発協力そのものの役割や目的が再定義されつつあることを意味する。
2)自民党提言・経団連提言と開発協力大綱の親和性
政府が発表するさまざまな戦略や政策がODAとの連携強化を謳う中で、自由民主党(自民党)や日本経済団体連合会(経団連)といった政党や団体も開発協力やODAに関係する提言を公表し、政府への働きかけを続けてきた。これらの提言内容は新しい大綱と多くの共通点を持っていることから、提言が大綱の形成に与えた影響は小さくないと考えられる。ここでは、大綱や各種戦略・政策の方向性に影響を与えたと思われるこれらの提言について概観することで、大綱の改訂の背景を立体的に浮かび上がらせたい。
自民党の国際協力調査会は、2022年5月14日に「転換期にあって健全な国際社会の発展と国益を守るための新しい日本の国際協力に向けて」と題する提言を発表した。この中で、ODAの戦略的取組みを進めるために開発協力大綱の改訂を求めるとともに「経済安全保障(特に資源確保)」と「日本企業の海外進出」などによる日本の経済社会への貢献を求めた27)。さらに特筆すべきは、この提言の中で先方政府へ積極的に支援の可能性を提案していく必要性が言及されていることである。提言に盛り込まれた「各種プログラムを整理して被援助国に対するメニューを用意し、外交・国際協力関係者で共有する」アプローチは、新大綱で新たに示されたオファー型協力と通じるものである。自民党の国際協力調査会は、翌年の2023年3月7日にも2度目の提言を発表し、経済安全保障の視点を新大綱に反映すべきだと改めて主張した28)。提言は、2023年の開発協力大綱の改訂作業が始まる前と改訂作業中に発表されており、新大綱との親和性を考えると、これらの提言が改訂プロセスや内容に反映された可能性は高いといえよう。
経団連もまた、2022年12月に「開発協力大綱の改定に関する意見」を発表した29)。この中で、現状認識として「安全保障の裾野は経済活動にも広がっている」とし、地球規模課題の深刻化や、経済社会のデジタル化の進展を環境の変化として指摘している。その上で、優先順位の高い課題として、カーボンニュートラルの実現と途上国におけるデジタル技術の社会実装およびデータの利活用の推進をあげている。さらに経団連は、インフラシステム海外展開についても提言を発表している30)。この提言では、インフラシステムの海外展開を推進するために、ODAの制度面、運用面の改善を求めるとともに、今後さらに注力すべき分野として、脱炭素化を目的としたグリーン戦略の推進、途上国でのデジタル技術の活用をあげている。経団連として、日本企業が優位性を持つこれらの分野で事業を展開することで、日本企業への還元が期待できると考えていることが想定される。経団連の提言は、新大綱でオファー型協力の重点分野とされた気候変動への対応やデジタル化の促進といった方向性と合致するものであり、提言が新大綱の形成に寄与したことがうかがえる。
自民党の提言は、経済安全保障確保のための戦略的ODAの推進や、提案型支援の必要性を強調し、経団連の提言は気候変動やデジタル化の分野を優先事項としてあげている。大綱で掲げられた方針や重点分野とこれらの提言の内容が重複していることが示すように、政府、与党、経済団体の間でODAをめぐる方向性について一定の合意が形成されていることがうかがえる。
前節では、2023年に改訂された開発協力大綱は、それまでに策定された複数の戦略や政策の方向性を反映した内容となっていることを指摘した。同様に、新大綱改訂後に策定された新たな戦略や政策には、新大綱の方針が反映されている。さまざまな戦略や政策と新大綱との間には、相互に影響を及ぼす循環的な関係が見られ、開発協力大綱が他の戦略や政策と密接に連動しながら策定・運用されている様子が浮かび上がる。さらに、開発協力大綱と各種戦略・政策が循環的に関係づけられる中で、ODAは戦略や政策に貢献するツールとしてその役割を徐々に拡大してきている。本節では、新大綱改訂後に策定された関連文書を検討することで、大綱の方針がそれらの文書にどのように反映されているかを明らかにするとともに、拡大していくODAの役割について考察する。
1)新たに策定された戦略にみるODAの役割
岸田内閣は、「成長と分配の好循環」と「コロナ後の新しい社会の開拓」をコンセプトとした新しい資本主義を実現するために、「新しい資本主義実現会議」を発足させた。この会議が策定した2024年版の「新しい資本主義のグランドデザイン」の中で、ODAには日本の経済成長あるいは経済外交を推進するという役割が与えられている。例えば、国際協力分野における民間資金の拡大を受け、企業が途上国で投資活動を行う際のリスクの手当てをODAがすることや、インパクト投資などの民間資金が活用される環境をつくること、 また日本企業にも新たな投資機会を創出するためにODAを「触媒」として活用することが掲げられている31)。さらに、対外経済連携の推進に関しては、世界が直面する諸課題に対応していくため、グローバルサウスと呼ばれる国・地域に対する関与を強化し、特にODAについて、オファー型協力に基づく具体的案件の形成を推進し、開発途上国と日本双方の経済成長を実現するとしている32)。つまり、ODAを呼び水に、日本企業の海外展開を図るだけでなく、オファー型協力と組み合わせて具体的なプロジェクトを提案し、双方向の利益を創出する戦略を描いている。この戦略は、ODAを単なる援助手段としてではなく、経済成長や国際連携を促進する触媒として位置付けるものであり、日本の経済外交の柱としてのODAの役割を強調している。新しい大綱の方向性を踏まえつつ、より具現的な方針を示す内容になっているといえる。
「経済財政運営と改革の基本方針」においても、新大綱の方針が確認できる。2024年の基本方針では、日本企業の海外展開を政府一体で促進するために、国際開発金融機関との連携や2030年を見据えたインフラシステム海外展開戦略の見直しなどに取組むとともに、グローバルサウスとの面的な連結性の向上を目指し、オファー型協力を活用した日本企業の進出支援に取組むとしている33)。また、国際協力の新しい仕組みを構築する中でODAを触媒とする民間資金動員を図ることも掲げられている34)。上記グランドデザインと同様に、新しい大綱の方針を踏まえながら、動きを具体化する内容となっている。
さらに、経協インフラ戦略会議が2024年6月6日に発表した「2030年を見据えた新戦略骨子」も新しい大綱と連動した方向性を示している35)。既存の戦略が2025年までの目標設定だったことを踏まえ、世界のインフラ市場の構造の変化に対応すべく、同会議は新たな戦略の策定に向けて動いており、その方向性を示した文書がこの骨子である。この文書の中では、新戦略の骨子として、1)日本の国際競争力を高めて世界の経済的反映につなげること、2)グローバルサウスと連携してサプライチェーンの強靭化や経済安全保障を確保すること、3)グリーンやデジタル変革といった社会変革の機会を捉えることの三点をあげている。その上で、ODAについては、オファー型協力を通じて積極的な提案をしていくこと、経済安全保障を確保するために重要なインフラへ積極的に関与しODAなどの公的資金と民間資金を組み合わせて支援していくことを方針として掲げている。これらは、新しい大綱の方針と合致するものであり、国益の確保に向けたODAの戦略的な活用が一層明確化されていると言える。
加えて、新しい動きとして岸田政権下で2023年10月に発足した「グローバルサウス諸国との連携強化推進会議」にも触れておく必要がある。この推進会議は、日本とグローバルサウス諸国との連携を強化し、日本経済の振興を図るための連携強化策を検討するために設置された。推進会議は「グローバルサウス諸国との新たな連携強化に向けた方針」を2024年6月に発表しており、この中でも新しい開発協力大綱の要素を強く反映した方針が示されている36)。具体的には、グローバルサウス諸国との連携強化は日本の国益増進につながるものであるという認識のもと、相互の経済成⻑の実現を追求するとともに、重要鉱物・物資等のサプライチェーン構築による経済強靱性の強化を実現していく、というものである。そして戦略的な開発協力を実施するために、ODAを拡充して社会的価値を共創するオファー型協力を一層推進すること、ODAなどの公的資金を通じた企業の経済活動の環境整備を強化し、これらを「触媒」として民間資金をさらに動員することなどをあげている。また、支援を強化する分野としてはAI、GX、気候変動、エネルギー、DXなどが定められている。これらの方針は、日本とグローバルサウス諸国の相互利益を追求する中で、開発協力大綱で示した枠組みをさらに具体化するものとなっている。
2023年の開発協力大綱改訂以降に策定された経済に関わる戦略や政策は、新大綱の方針を踏襲して描かれている。そこでは、国益増進や経済安全保障の確保を軸に、戦略的なODAの活用の強化が想定されている。岸田内閣の「新しい資本主義」やグローバルサウス諸国との連携強化推進会議を含む新たな取組みは、ODAを経済安全保障を確保するためのツール、あるいは日本企業の国際競争力を強化し、海外展開を支援する触媒として位置付けている。オファー型協力や民間資金の動員を強調している点は、それを裏付けるものといえる。開発協力大綱とそれ以降の政策文書は、これまで以上の役割をODAに求め始めている。
2)戦略を方向づける提言
開発協力大綱が改訂された後も、自民党や経団連などの団体は提言を発表し、特にグローバルサウスと呼ばれる途上国に対する政治・経済的な政策の議論を牽引しようとしてきた。以下でみるように、これらの団体の提言と政府が発表する政策は親和性が高く、密な対話を踏まえた形で政策が形成されていることがうかがえる。
自由民主党政務調査会の「日・グローバルサウス連携本部」は、政府がグローバルサウスとの連携方針を発表する直前に提言を発表した37)。この提言の中で自民党は、日本の国益を確保するためにグローバルサウス諸国との関係強化の重要性が増しているという認識を示した上で、グローバルサウス諸国の社会課題解決を通じた成長市場の取り込みと、経済安全保障を強化するために具体的な施策を進めていく必要性を強調している。その際に、外交の最重要ツールの一つであるODAを戦略的に活用し、オファー型協力を含めたODAの拡充と高度化を図るべきであるとしている。ODAの高度化とは、企業のビジネス展開を支援する「新しい仕組み」を構築することであり、民間企業が負担できないリスクを公的資金が担うためのブレンデッドファイナンスのような仕組みを想定したものである。経済安全保障の確保や企業の海外展開といった日本の国益に直結する動きを、ODAを含めた官民の資金を動員して実現することを求める提言となっている。
経団連も2024年4月16日に「グローバルサウスとの連携強化に関する提言」を発表した38)。提言の中では、食料・資源・エネルギーの安定的な確保、すなわち国益確保の観点からグローバルサウスとの連携は不可欠であるという認識が示されている。そのうえで連携強化のツールとして、ファイナンスの拡充が掲げられており、ODAなどの公的資金を柔軟に活用できるような方策を求めている。具体的には、グローバルサウスの国では事業を行うにあたり民間企業では背負いきれないリスクが存在するため、案件の初期段階ではODAを活用して企業のリスク対応能力を支えるとともに、その後の段階では、他の公的資金などを柔軟に活用できるようなファイナンスのあり方を求めている。また、官民連携の方策としてオファー型協力の必要性にも触れられている。この提言には、開発協力大綱で示された公的資金と民間資金の有機的な協調について、より具体的な記述がなされ、その後発表された政府の方針と親和性の高い内容が確認できる。
これらの提言に加えて、今後のODAの方向性を検討するうえで重要な提言を行っているのが、「開発のための新しい資金動員に関する有識者会議」による提言である39)。この有識者会議は、政府の下に設置された会議であるため、組織としての性格が自民党や経団連とは異なるが、内容的に上述の提言と重なる部分が多い。この提言では、途上国への民間資金の流入がODAを上回る水準である現状を背景に、開発課題の解決に向けて民間資金をさらに動員するために、ODAがリスクを取りつつ、双方で連携して資金量を増大させていくことを提案している。キーワードは、触媒としてのODAであり、ODAが呼び水となって民間資金が開発課題の解決に取組むことになることが想定されている。このような新しい資金動員のあり方は、新大綱でも概要が示されていたものの、この提言はより詳しい方策を提示しており、新大綱を具現化する中で実態として政策と実施の中に取り込まれていくことが予想される。
自民党や経団連をはじめとする団体の提言や、政府の有識者会議による提言は、いずれも開発協力大綱で示されたODAの戦略的活用方針を具体化し、実行に移すための手段を提案している。特に、オファー型協力を積極的に活用することや、ODAを「触媒」として民間資金を動員し、日本の経済安全保障や企業の海外展開を支える新しい具体的な仕組みを提案している点で共通している。これらの提言内容は、新大綱改訂後の戦略・政策形成に反映されており、その具体化に貢献している。新しい大綱と各種の戦略や政策、そして提言は循環的に相互に影響を与え合い、補強し合いながら、ODAの役割を一層拡大させる方向に道筋をつけているといえる。
おわりに
2023年の開発協力大綱改訂は、本稿でみてきたように日本の開発協力政策が経済的利益の実現をより具体的に図り始めた点で、新たな段階に入ったことを示している。この改訂は、従来の「開発支援」という枠組みを超え、経済安全保障の確保や日本企業の国際競争力強化といった戦略的な目標をODAに付与するものである。特に、オファー型協力の導入は、相手国の要請を待つだけではなく、日本の技術や知見を積極的に提供する姿勢を示しており、これまでのODAの枠組みを超えた取組みといえる。このような方針転換は、ODAが支援のツールという位置づけだけではなく、日本の外交政策や経済政策と一体化した国益を実現するための戦略資源として位置づけられていることを象徴している。
一方で、この方向性はいくつかの課題も浮き彫りにしている。ODAが国益に傾斜していくことにより、従来の途上国支援としての役割とのバランスを取る必要性が一層強まっている。日本がODAを外交政策や経済政策と一体化しつつ運用しながら、地球規模課題の解決や持続可能な開発目標(SDGs)の達成にどう貢献するのかが問われている。途上国側は日本がさまざまな意図を持ちながらODAを展開していることを理解している。そのような認識の上で、これまでと同様の日本に対する信頼性を確保していかなければならない。
さらに、今回の改訂で掲げられた新たな取組みを実効性あるものとするには、制度設計の強化が不可欠である。特に、オファー型協力に関しては、一方的にならない形で相手国のニーズを的確に把握する仕組みの構築が求められる。また、官民連携による資金調達の仕組みやプロジェクト実施の効率化を図る中で、開発途上国における長期的な成長を支援する視点を忘れてはならない。ODAの「触媒」としての役割を強化する一方、その効果を客観的に評価する仕組みの整備も重要である。
2023年の大綱改訂は、経済安全保障、外交戦略、民間企業支援といった多様な要素をこれまで以上にODAに統合しながら、開発協力政策を日本の国益を推進するための重要な柱と位置づけるものである。そのことはODAに関わる関係者の多様化と複雑な利害の衝突を生み出す可能性がある。複雑化する世界の中で、相手国との協調を深めつつ、国内外のODAに対する期待を調整するという困難な舵取りが開発協力政策に求められている。