2025 年 3 巻 p. 71-73
私たちの日常にはいじめや虐待、ハラスメントや差別などの暴力があふれており、テレビをつければ、戦争や貧困などのニュースが飛び込んでくる。しかし、私たちはこれらの問題を人権の視点で考えたり、身近な問題を人権と結び付けて考えたりしているだろうか。
基本的人権の尊重は、国民主権と平和主義と並んで日本国憲法の3つの基本原理の1つである。憲法第11条には基本的人権は、「侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」と書かれている。しかし、憲法に書かれていても、人権が侵害されたときにそれを回復するシステムがなければ、人権は絵に描いた餅で終わってしまう。本書は国際人権の観点から日本の人権を捉え、一人一人が権利の主体として国際人権基準と国際人権システムを使いこなすための知識がまとめられている。
本書の意義は、第1に人権を日本の問題として捉え、私たち一人一人が権利の主体となるための知識を提供している点である。大学で学生と接していると、日本には人権侵害も差別もないと信じている層が一定数いることに気づかされる。SNSからしか情報を得ない若い世代にとって、人権問題は遠い国の紛争地で起きていることであり、国内の貧困や差別は自己責任として捉えられてしまう傾向にある。本書は国際人権基準に照らした日本の人権状況を豊富な事例と共に描き出しており、日本社会を人権の視点で見ることの重要性を教えてくれる。
第2に、国際人権基準と人権保障システムについて最新状況を概説している点があげられる。日本においては、人権を保障するための制度的基盤が存在していないことに加え、国連の特別報告者や委員会による勧告が政府によって真摯に対応されていないという課題があると本書は指摘する。これでは人権が侵害された場合の救済手段は限られたものとなり、人権を擁護することはできない。市民社会は個別のテーマに基づいてアドボカシーを進めがちであるが、本書は国際人権を実現するための基本的な制度枠組みと、人権基準に関するグローバルスタンダードを提示している。
本書は2つのパートからなる。第1部(第1~2章)は「国際人権とは何か」と題する総論にあたり、人権概念と国連人権機関の役割について概説している。第2部は「国際人権から見た日本の問題」(第3~7章)と題して貧困、開発・経済活動、情報・表現、ジェンダー、入管収容について取り上げている。
第1章で著者は、日本では人権が「優しさや思いやり」と同一視されているが、人権の実現にはそれだけでは不十分であることを指摘する。たとえば、障害者が道を横断できずに困っていたとしたら、手を引いて渡れるようにするのは「親切」であり、それ自体は重要なことである。しかし、誰もが持っている人権を実現するためには、その人が能力を発揮できるよう政府が何らかの策を講じる義務を負う。具体的には、①尊重義務:人がすることを尊重し、不当に制限しないこと、②保護義務:人を虐待から守ること、③充足義務:人が能力を発揮できる条件を整えること、の3つが挙げられる。前掲の障害者の例に即していうと、①は移動の自由を妨げない義務、②は危害を加えようとする第3者がいたとしたらそれを取り締まる義務、③は障害者に対するバリアフリー化を推進し、安心して移動できるよう支援する義務が政府にはあるということになる。
ところが、人権を「思いやり」と混同すると、相手が気に入らなければ無視しても良いということになる。日本では「共助」を強調することで政府の義務がおざなりにされ、自己責任論が強化され、権利が侵害された主体が声を上げにくくなる。
第2章は「国際人権をどう使うか」という本書の中心的なテーマである。国際人権とは、人権を保障するための国際的な条約、宣言、決議などによる規範と制度を指す。国内法との関係では、憲法98条2項は条約を「誠実に遵守する」ことを定めており、国が批准した条約は法的拘束力を持つ。コアとなる国際人権条約は9つあり、日本は移住労働者権利条約(1990)以外の8つを批准している。具体的には社会権規約、自由権規約、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、拷問禁止条約、子どもの権利条約、強制失踪条約、障害者権利条約であり、これらの国際人権条約が政府の義務を規定している。
条約を批准すると、国内の法制度を条約の内容に合わせて改正することが求められ、監視機関である委員会によってその実施状況の審査が行われる。審査では政府からの報告と共に、市民社会からの報告書の提出が行われ、それに基づいて政府に対して様々な勧告が行われる。日本の市民社会も日本審査の際にはNGOレポートをまとめ、委員に対する情報提供を行っている。しかし、「誠実に遵守」されるはずの勧告の多くは、日本政府によって無視されてきており、建設的対話が成り立っていない。著者は、これを許してきた責任はメディアや市民社会の側にあり、私たちが人権機関の手続きや権限、役割について理解することが必要であるという。
さらに、日本の人権保障システムはいくつかの重大な瑕疵がある。第1に、政府が選択議定書を批准していないために、条約に認められた権利を侵害された個人が、委員会に直接訴えを起こす個人通報制度を使うことが出来ない。個人通報制度は自由権規約の173の締約国のうち117か国が導入しており、条約の完全実施においては不可欠である。第2に、国内人権機関は人権侵害を調査する政府から独立した国家機関であるが、日本には未だに存在しない。最後に、国連の人権理事会によって任命された特別報告者は独立性の高い専門家であり、国際人権基準に従って調査を行い、報告書を提出する。しかし、日本ではそもそも国連人権システムに対する理解が低いことから、メディアも特別報告者について取り上げず、一般市民にも知られずにいるため、政府は無視し続けることが可能になる。
第2部は国際人権から見た日本の問題をテーマ別に取り上げている。貧困について扱った第3章では、貧困は物質的な欠乏に留まらず、「尊厳をもって生きる基本的な能力を欠いている状態」であり、「欠乏からの自由」は世界人権宣言や社会権規約、自由権規約に掲げられていることを指摘している。
第4章は、経済発展なしには人権を享受することは出来ないという「発展への権利」と、多国籍企業や開発機関などの非国家アクターが人権に与える影響について論じている。近年、大きく発展を遂げてきたのが2011年に国連人権理事会で承認された「ビジネスと人権に関する指導原則」である。この枠組みは、①人権を保護する国家の義務、②人権を尊重する企業の責任、③救済へのアクセス、の3つの原則からなっており、それを実現するための行動計画を外務省が2020年に策定している。
第5章では、情報・表現の自由は基本的人権と民主主義にとって重要であり、他の人権にとっての基盤であるにもかかわらず、日本の現状は問題が多いことが述べられている。国際人権基準に照らした場合、情報への権利は「公開による損害と利益を比較考慮し、利益が大きい場合は秘匿情報でも公開しなければならない」のであり、その判断は独立機関が行うべきであるが、日本の情報公開法では開示拒否が可能である。さらにメディアには権力の暴走を監視する役割があるにもかかわらず、日本には報道に対する圧力が存在しており、民主主義にとって不可欠な情報へのアクセスが侵害されている。
さらに深刻さを増しているヘイトスピーチについては、2016年のヘイトスピーチ解消法では不十分であり、人種差別撤廃委員会(2014)、女性差別撤廃委員会(2016)、自由権規約委員会(2022)が繰り返し、反差別法の制定を勧告している。国際人権の観点からは、表現の自由の名のもとにヘイトスピーチ規制が出来ないのは理由にならないことが述べられている。
ジェンダーに関する第6章では、望まない性行為は性暴力であるというグローバルスタンダードと、性犯罪に対する偏見が明らかにされる。また、女性差別撤廃条約には個人通報制度が設けられているが、日本政府は度重なる勧告にもかかわらず、選択議定書を批准していない。
第7章では、入管収容の問題が取り上げられている。国連は恣意的拘禁を禁止しているが、入管は逃亡の危険性がなくても収容が可能であるという全件収容主義を取ってきた。入管法を国際人権基準に合致した内容にする勧告が国連から再三出されているが、いまだ実現していない。
本書で取り上げられている問題はどれも深刻である。2021年の日本の貧困線(等価可処分所得の中央値の半分)は127万円であり、貧困線に満たない世帯の割合(相対的貧困率)は15.4%であり(厚労省、2022)、日本の貧困率は先進国で最も高い。子どもの貧困は11.5%であり2018年と比べると改善されつつあるが、2023年の調査では子どもがいる世帯で「生活が苦しい」と答えた世帯は、2022年の54.7%から65.0%に急上昇している(厚労省、2023)。著者が指摘するように貧困の背景には社会権の軽視があり、欧米では政府が適切な生活水準と社会保障を確保する義務を怠ってきたことが貧困と不平等の拡大につながり、Brexitやトランプ政権の誕生に結びついてきた。貧困は人権侵害であるとの認識に立ち、政策アジェンダとして主流化されるべきである。
次に、ビジネスと人権の広がりは私たちにとって身近なところにも影響を及ぼしている。東京 2020オリンピック・パラリンピック競技大会においては「持続可能性に配慮した調達コード」が定められ、組織委員会が調達する物品・サービス及びライセンス商品のすべてのサプライヤーに対してコードの遵守が求められた。また、2023年のBBCの報道に端を発した故ジャニー喜多川による性加害問題に対して最も迅速に対応したのは、日本政府でも当該ジャニーズ事務所でもなく、国連ビジネスと人権の作業部会であった。作業部会は2023年に訪日調査を行い、記者会見の様子はニュースやYouTubeで配信され、報告書を出版している(OHCHR、2024)。
情報と表現については、報道の自由度ランキングで日本はG7で最下位の70位であり、ジャーナリストは政府や企業からの圧力を受けており、責任を追及する役割が十分に果たせていないとされている(RSF、2024)。
ジェンダーについては2024年に、女性差別撤廃条約委員会による日本政府の第9回報告書に対する審査が行われ、総括所見が発表された。女性の再婚禁止期間の廃止や性的同意年齢の引き上げなどの改正を評価する一方で、選択的夫婦別姓に対する4度目の勧告や緊急避妊薬へのアクセス、複合差別の問題などに取り組むことが強く求められている(ヒューライツ大阪、2024)。
入管収容については、難民認定に対するハードルの高さに加え、収容中の自殺やハンガーストライキ、医療へのアクセス、さらには入管法改正をめぐる問題などもあり、国際人権基準に沿った対応が必要である。外国人に対するレイシャル・プロファイリングや差別に対する対応も遅れていると言わざるを得ない。
最後に、今後の展望を述べたい。第1に、これまでの国連の勧告の中で実現したものとしなかったものの分析である。例えば、女性差別撤廃条約の批准により国籍法は男女両系主義に改正されたが、選択的夫婦別姓は4回の勧告にもかかわらず、法改正には及んでいない。国際人権条約の国内化にはそれぞれのダイナミズムが見られることから、そこにはどのような政治プロセスが働いているのだろうか。
第2に、国際人権を実現する原動力は何かということである。日本政府も企業も国際社会の一員として、国際人権のグローバルスタンダードを遂行しなければ、日本の経済活動は衰退し、留学生にも外国人労働者にも選ばれない国になろう。
国際人権は国際社会が創り上げた国際規範であり、国際協調を掲げる日本は、誠実に遵守することが求められる。私たちひとりひとりが国際人権を使いこなす能力と知識を身に着けることが、多様性を尊重する包摂社会を築く第一歩になるであろう。