本論文は,現在の北海道新聞社の前身である北海タイムス社が発行した『北海タイムス』に掲載された記事に基づき,大正11年(1922)における同社による自由画教育に関する取り組みを明らかにするものである。北海タイムス社で美術部員であった澤枝重雄は,大正11年2月,紙上で二回目の「自由画私見」を発表した。その目的は,小学校教員に自由画について知らせ,北海タイムス社の主催による二回目の自由画展覧会を成功させることにあった。大正11年,北海タイムス社は公募型の自由画展覧会を主催したほか,当時東京女子高等師範学校で図画科を担当していた岡田秀を講師とする講演会の開催を後援した。余市町にて町内の北海タイムス販売店が主催した自由画展覧会は,北海タイムス社の図画教育に関する取り組みが地方に与えた影響の表れと捉えることができる。そこで澤枝は応募作品の審査を担当し,会場で自由画に関する講演を行った。