抄録
和辻哲郎は『人間の学としての哲学』において倫理学の再把握によって、存在論の転換を図ろうと試みた。倫理こそが存在論的な根柢であるというその画期的な主張は、しかし、全体と個の循環的な運動の理念によって体系的な思想として完成させられたが、じつはそこでは和辻の着想の画期的意義は損なわれてしまっている。人間存在への根本の問いを新たにすることの出来るこの着想は、他者の倫理的意味が、他者から自己へのふるまいの視点を介して転化され自己を形成するという運動として理解するときに初めて、現代的な意義が存するのである。