YAKUGAKU ZASSHI
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Reviews
Development of Methods for the Early Detection of Chemical Hazard and the Prevention of Pre-disease, Focusing on Environment, Food, and Health
Hideko Sone
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2025 Volume 145 Issue 3 Pages 201-221

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Summary

Based on the perspectives of the environment, food, and health, this review reflects on previous research examining stem cells for the early detection of chemical hazards and the development of preventive health tools. The risks posed by endocrine-disrupting chemicals in the environment are investigated, including studies on 2,3,7,8-tetrachlorodibenzo-p-dioxin (TCDD), phthalate esters, and bisphenol A. Building on the findings of these studies, this review identifies emerging challenges in the field of endocrine-disrupting chemical research. Moreover, this paper explores innovative testing methods aimed at accurately evaluating the impact of chemicals on human health. The key topics covered include the implementation of developmental neurotoxicity testing methods, the species-specific effects of methylmercury, nanomaterials and the application of human pluripotent cells to assess the effects of low-dose radiation. Additionally, this review highlights transformative approaches in chemical health impact assessment that integrate cell science and artificial intelligence, and addresses challenges related to the application of multi-omics technologies in environmental health and toxicology.

1. はじめに

銅が異常に蓄積するラットモデルの研究から,私の本格的な研究者人生は始まった.しかし,実際にはそれ以前,21歳の春に遡る.当時,東邦大学薬学部の生化学研究室に所属していた私は,後藤佐多朗先生から『絶食条件下でのポリリボゾームRNAの解析』という研究テーマを与えられた.この経験を通じて,ゲノムの神秘に魅了され,生命科学の道を歩み始めた.その後,薬理学の世界に足を踏み入れ,副交感作動神経のアセチルコリン遊離を抑制する薬剤のメカニズムや,(6)-ショウガオールとカプサイシンの血管標本に対する自律神経系に対する生理作用の比較,五味子成分ゴミシンJ及び類縁リグナン類化合物の平滑筋に対する薬理作用及び抗アレルギー作用のメカニズム研究などの研究に従事した.さらに,国立がん研究センター研究所の長尾美奈子先生,若林敬二先生の下で行った研究をまとめ加熱食品中のヘテロサイクリックアミンの1種8-ダイメチル-3H-イミダゾ[4,5-f]キノキサリン(MeIQx)の肝細胞がんのメカニズムの研究で博士の学位(薬学)を取得した.13その間,ウイルソン病治療薬のトリエンチンの有効性を評価し,4希少薬の開発を経験した.そして,「銅の発がん性評価」に関する研究で,当時の国立環境研究所で科学技術庁特別研究員のポストを得て,青木康展先生の指導の下に,銅蓄積ラットモデルにおける発がんメカニズムの研究を開始した.この研究では,lacZのモニター遺伝子を導入した銅蓄積ラットモデルを作成し,過剰の銅蓄積による酸化ストレスの亢進が招くモニター遺伝子の変異をゲノムDNAの配列解析を行うことで変異の頻度,種類,型を詳細に調べ,酸化ストレスで生じるDNA付加体や脂質の過酸化の測定とともに,ヒドロラジカルで生じるDNA傷害性の影響の大きさを明らかにした.57国立環境研究所から横浜薬科大学と,研究所から大学のおおよそ30年間は,環境・食・健康の領域を軸に,環境中及び食品中の有害化学物質の影響解析を中心とした研究を行ってきた.すなわち,環境や食品に含まれる化学物質は,人々の健康に様々な影響を与える可能性がある.これらの影響を未然に防ぐためには,早期検出と予防が重要であると考えている.ここでは,これまで私が幹細胞を利用して開発してきた新しい影響評価手法と,化学物質によるケミカルハザードの早期検出を目指した取り組みを紹介する.

2. 環境中の有害物質に関する研究

2-1. 環境中の内分泌かく乱化学物質のリスク問題

endocrine-disrupting chemicalsという用語が内分泌を阻害する化学物質を明確に指すようになったのは,Colborn, vom Saal, Sotoの3名による1993年の論文が最初である.8生体影響の多様さ,化学物質の種類の多様性という点で,この問題は,それ以前の公害問題とは異なっていた.日本では,井口大泉先生や森 千里先生がいち早くワークショップや研究会を開催し,内分泌かく乱物質の生体影響の解明に取り組んだ.また,国立環境研究所の森田昌敏先生が中心となって環境ホルモン学会を設立し,現在は「日本内分泌撹乱物質学会」と名称を変更して活動を続けている.

WHOは,2012年に内分泌かく乱物質を「内分泌系の機能に変化をもたらし,その結果として生物,子孫,又は個体群に有害な健康影響を引き起こす外因性の物質又は混合物」と定義している.9この定義を踏まえて,化学構造,生物学的反応性や用途などから,内分泌かく乱物質は,概ね8種,1)ダイオキシン類,2)dichloro-diphenyl-trichloroethane(DDT),dichlorodiphenyldichloroethylene(DDE)などの塩素系農薬,3)フェノール類(ジエチルスチルベストロール,ビスフェノール(bisphenol A: BPA),ノニフェノール,パラベンなど),4)フタル酸エステル類,5)有機スズ類,6)水酸化PCB類,7)臭素系難燃剤(polybrominated biphenyl: PBB, polybrominated diphenyl ether: PBDE, hexabromocyclododecane: HBCD, tetrabromobisphenol A: TBBPA, 2,4,6-tribromophenol: TBP),8)その他(ネオニコチノイド系農薬,無機ヒ素,水銀,前項目以外の化合物や低線量放射線)に分類される.9ダイオキシン類から有機スズまでは,共通の作用機序として核内受容体を介した転写活性化による細胞内のシグナル伝達の変化,物質代謝酵素の誘導や抑制による変化が生体影響の第一出発点とという理解が得られている.6)水酸化PCB類と7)臭素系難燃剤も核内受容体ファミリーの分子に作用するとの報告があるが,十分な理解はまだ得られていない.「8)その他」に分類されているネオニコチノイド系農薬,水銀,化合物や低線量放射線は,核内受容体に直接作用するメカニズムと異なる作用様式で生体の恒常性バランスを乱すことが報告されている.内分泌かく乱物質問題の議論は,今日においては,生命の持続可能性という観点により重点が置かれ,“生体システム・生命維持のためのシステムに及ぼす目に見えない微妙な調節の変化”の重要性に焦点を据えるという点では,それらが内分泌かく乱物質の範疇に入ると議論されている.すなわち,内分泌かく乱物質の問題点の一つは,母親を介した周産期曝露による子供や実験動物の仔に現われた様々な変化は,これまでの衛生学,薬理学や毒性学で考えられてきた「低用量での化学物質の健康への影響は高用量でみられる影響から直線的に外挿することができる」という概念を打ち砕くものである.この内分泌かく乱化学物質の問題では,2,3,7,8-tetrachlorodibenzo-p-dioxin(TCDD),フタル酸エステル,ビスフェノールについて行った研究を順次紹介し,更に低用量での化学物質の健康への影響は何か?弱い影響を検出する意義は何か?という観点からの新たな課題について議論を述べる.

2-2. ダイオキシン類,TCDDの研究

ダイオキシン類のうち最も毒性の強い化学物質TCDDについて,動物実験での肝臓腫瘍の誘導や,神経行動異常の原因と考えられる発達脳構造や,自然発症乳腫瘍の抑制と相反するメカニズムを明らかにする研究を行った.TCDDを始めとするダイオキシン類は,転写因子であるアリールハイドロカーボン受容体(arylhydrocarbon receptor: AhR)に結合することによって,AhRの活性化を促し,細胞内で特定の遺伝子発現を誘導する.これにより,ダイオキシンの発がん性が発現する.動物実験や疫学研究から,肝臓や呼吸器系の腫瘍は増加するが,自然発生の乳がんは減少することが知られていた.10しかし,TCDDで誘導される薬物代謝酵素以外の発がんの促進や発生に影響を示すメカニズムは不明のままであった.そこで,転写因子がどのようにして毒性反応を媒介し,化学物質の影響を調節するかを明らかにするために,AhRシグナルとエストロゲン受容体(estrogen receptor: ER)αシグナルの相互作用を検討した.雌ラットの肝臓でTCDDによって誘発されるAhR応答タンパク質,CYP1A1発現に対するエストロゲンの影響を調べた.11 300 ng/kg体重のTCDDを経口投与された妊娠した母ラットの肝臓では,CYP1A1の誘導と酵素活性が観察された.さらに,TCDD投与の無傷及び卵巣摘出ラットの両方に5 µg/kg体重の7β-エストラジオール(E2)を投与すると,TCDDによるCYP1A1の誘導は有意に増強された.このことから,エストロゲンがAhR–TCDD複合体の形成後にCYP1A1遺伝子の活性化に関与している可能性が示唆された.同時期に,ほかの研究者によって,ダイオキシンが,細胞周期調節異常や,げっ歯類の子宮内曝露後の学習及び記憶障害などの悪影響を及ぼすことが報告された.12,13そこで,妊娠7日目の妊娠C57BL/6N及びp27−/−マウスに20 µg/kg体重TCDDを経口投与した.その結果,マウスの子宮内ダイオキシン曝露により,神経前駆細胞の分化パターンが変化し,非GABA作動性ニューロン数の減少と大脳新皮質深層の菲薄化が起こった.この減少は,神経前駆細胞の核におけるサイクリン依存性キナーゼ阻害剤p27(cyclin dependent kinase inhibitory protein 1: Kip1)の蓄積によって引き起こされ,p27(Kip1)を欠損したマウスは,子宮内ダイオキシン曝露の影響を受けないことが考えられた.14

ヒトがん細胞株を用いた研究では,TCDDへの曝露により,3つの細胞株すべてでCYP1A1遺伝子が誘導された.MCF-7及びRL95-2細胞は,LNCaP細胞と比較して高いethoxyresorufin-O-deethylase(EROD)活性の誘導を示した.ERαとTCDD応答性レポータープラスミドの共発現は,RL95-2及びLNCaP細胞でのTCDDに対する応答性を増加させた.DNAメチルトランスフェラーゼ阻害剤AZA-Cによる処理は,LNCaP細胞でのEROD活性を増強した.TCDDは,3つの細胞株すべてにおいてE2又はテストステロンによるレポーター遺伝子活性を阻害し,これらのホルモンもTCDD誘導EROD活性を阻害した(Fig. 1).15エストロゲン応答性遺伝子をスポットしたcomplementary DNA(cDNA)マイクロアレイを使用して,TCDD曝露によって変化したエストロゲン応答性遺伝子をスクリーニングした.MCF-7及びRL95-2細胞をTCDDに曝露し,遺伝子発現を分析したところ,32個の遺伝子で有意な変化がみられた.リアルタイムRT-PCRにより,27個の遺伝子のmRNA発現レベルを検証した.そのうち,IGFBP5遺伝子発現がエストロゲン状態の影響を受ける可能性が示唆された.16テロメラーゼの活性化はエストロゲンによって刺激され,TCDDとエストロゲンの組み合わせがテロメラーゼ活性を増加させた.E2とTCDDはBeWo細胞におけるhuman telomerase reverse transcriptase(hTERT)の転写活性化因子c-Mycを誘導したが,c-Myc-null細胞ではテロメラーゼ活性を誘導しなかった.これらの知見は,TCDDがAhRシグナル及びER非依存性c-Mycシグナルを介してテロメラーゼ活性を誘導することを示唆している(Figs. 2 and 3).17

Fig. 1. Testosterone-mediated Inhibition of TCDD-stimulated CYP1A1 mRNA Expression and Ethoxyresorufin-O-deethylase (EROD) Activity

LNCaP cells were incubated with TCDD or testosterone (Testst) alone or in different combination for 24 h and then processed for RT-PCR analysis of CYP1A1 (A) and EROD activities (B). Results are means±S.D. of three independent experiments, each performed in triplicate. * p<0.001 as compared to the TCDD treated group. Adapted from Jana N. R., et al., Mol. Cell. Biol. Res. Commun., 4, 174–180 (2000).15)

Fig. 2. Representative Flow Cytometric Data Showing the Effects of E2 and TCDD on BeWo Cells

The first peak (left) indicates the percentage of cells in the G1/G0-phase; the middle peak (diagonal) indicates the percentage of cells in the S phase; and the third peak (right) indicates the percentage of cells in the G2 phase. BeWo cells were starved of serum for 24 h; treated with either E2, TCDD, or E2/TCDD in the presence of 10% charcoal-stripped serum; and grown for 24 h prior to harvesting. The cells were then fixed with ethanol and stained with propidium iodide. Adapted from Sarkar P., et al., Int. J. Oncol., 28, 43–51 (2006).17)

Fig. 3. Induction of c-Myc by E2 and TCDD in BeWo Cells

The cells were treated with agents for 24 h as described in Fig. 1 and then harvested. Proteins in the total cell lysate (50 µg) were resolved by 12% sodium dodecyl sulfate–polyacrylamide gel electrophoresis (SDS-PAGE) and transferred to Polyvinylidene difluoride (PVDF) membranes, and immunoblotting analysis was performed for c-Myc. Images are representative of three experiments. Graphs present the pixel density of the average of each band±S.D. (n=3). Adapted from Sarkar P., et al., Int. J. Oncol., 28, 43–51 (2006).17)

これらの研究で最も意義深いことは,TCDDがエストロゲン及びエストロゲン応答性遺伝子に与える影響を通じて,神経発達と発がんにどのように影響するかを明らかにした点である.すなわち,エピジェネティックな修飾がTCDDの毒性や遺伝子発現に与える影響を理解するための重要な手がかりや,TCDDの影響を監視するためのバイオマーカーの開発が可能となる点である.加えて,これらの発見は,TCDDがエストロゲンシグナルと相互作用し,神経発達と発がんの両方に影響を及ぼすメカニズムを解明するうえで重要である.したがって,環境汚染物質としてのTCDDの健康へのリスクを評価し,適切な対策を講じるための科学的基盤を提供し,化学物質のリスク評価や安全性評価において,転写因子の役割を重要視すべきと考えられた.

2-3. フタル酸エステルとビスフェノールAの研究

化学物質の登録,評価,認可,制限について規制しているRegistration, Evaluation, Authorization and Restriction of Chemical(REACH)管理の下,欧州化学物質庁(European Chemicals Agency: ECHA)が健康と生態影響に対する高懸念物質の候補を毎年登録している.2024年2月現在の高懸念物質候補は,240物質に達している.このうち,内分泌かく乱影響が懸念されている物質は,のべ30種類(ヒト健康に影響があるもの14物質,環境が16物質)となっている(Fig. 2参照).このうちフタル酸エステル類,そのなかでも,di-(2-ethylhexyl)phthalate(DEHP)は,動物実験の結果と疫学研究のデータから,2008年には人の生殖機能に影響を示すものとして認識された.DEHPの第1相酵素による体内代謝物mono-(2-ethylhexyl)phthalate(MEHP)も,DEHPと同じく核内受容体ペルオキシソーム増殖因子活性化受容体(peroxisome proliferator-activated receptor: PPAR)αあるいはPPARγリガンド結合ドメインに結合することが示されている.1820その影響の作用メカニズムも,PPARα/γ受容体の転写活性化による脂質・コレステロール代謝,アルドステロン分泌への関与による男性ホルモンテストステロン分泌の異常による結果,動物と人にいて,男児生殖器と肛門距離の短縮やホルモン分泌細胞のライディッヒ細胞の変化が起こると示唆されている.しかし,その後の研究では,フランスの2つの大規模出生コホート内での症例対照研究で,母親の尿中DEHP代謝物に関連した出生時の尿道下裂又は停留精巣のリスクの上昇は観察されていない.21 Sathyanarayanaらも,4つの医療センターの大規模出生コホートの男児で,尿道下裂及び停留精巣のリスクと妊娠第1期の母親の尿中DEHP代謝物の上昇は確認していない.22しかし,母親の尿中DEHPレベルの上昇は,陰嚢水腫又はすべての男性生殖器異常を合わせたリスクの上昇と関連していた.最終的には,ATSDRの評価書では,入手可能な疫学データの体系的なレビューに基づき,胎児のDEHP曝露とヒトの尿道下裂との潜在的な関連性を評価するにはデータが不十分であると結論付けている(Table 1).21

Table 1. Key Events in the Mode of Action of PPARα in Mice

Chemical/TargetKE1 PPARα activationKE2 Alteration of cell growth pathwaysKE3 Perturbation of cell growth and survivalKE4 Clonal expansionApical endpoint liver tumors
WY-14643 in micexxxx
DEHP in micexxxx
Humanized PPARα in micexNCxNCNC

x indicates that the chemical was found to lead to the KE/endpoint. NC (no change) indicates that the chemical did not change the KE/endpoint. Adapted from Kawano M., et al., Toxicol. Lett., 228, 235–240 (2014).24)

一方,主に脂肪酸の酸化とエネルギー代謝を調節し,エネルギー不足時に活性化されるPPARαの欠損マウスを用いた研究では,PPARα依存性シグナル伝達を介した総胎児数と生存胎児数の影響が示され,DEHPの毒性にはマウス及びヒトmouse/human PPAR(m/hPPAR)α発現が必要であることが示唆されたが,ミクロソームトリグリセリド転送タンパク質の調節を介して血漿トリグリセリドレベルを変化させることは,mPPARαマウスでは重要であるが,hPPARαマウスでは重要ではない可能性が示唆されている.23筆者らの雌マウスの卵巣に関する研究では,3世代のSv/129野生型(WT, +/+)及びPPARα(−/−)ノックアウトマウスで,DEHPへの曝露が卵巣のERα(Esr1)及びアロマターゼ(Cyp19a1)の発現に及ぼす影響を調査したところ,対照群と比較すると,WTマウスのF0(0.56倍,p=0.19),F1(0.45倍,p=0.023),及びF2(0.35倍,p=0.014)世代ではDEHP治療に対する反応として卵巣のEsr1遺伝子発現が減少したが,PPARα欠損マウスでは減少しなかったことを明らかにした(Fig. 4).24筆者らのデータは,DEHPによる卵巣Esr1遺伝子発現の世代間抑制がPPARα依存性経路によって媒介されていることを示した.生殖過程におけるPPARαとEsr1シグナル伝達のクロストークの根底にあるメカニズムを解明するには,更なる研究が必要である.実際,いくつかの化学物質や高脂血症治療薬は,PPARαを活性化することで,ラットやマウスの肝臓腫瘍を引き起こす.PPARα活性化剤がげっ歯類の肝臓がんを誘発する分子及び細胞イベントは,最初にPPARα活性化[key event(KE)1],次に細胞増殖経路の変化(KE2),肝細胞増殖及び生存の乱れ(KE3),前がん病巣細胞の選択的クローン増殖(KE4),及び肝細胞腺腫及び肝細胞がんの頂点イベント増加(KE5)である.さらに,同時に発生する多数の分子及び細胞イベントは,キーイベントではないものの,げっ歯類の肝臓がんを増加させるPPARα活性化因子の能力を変化させる可能性があるため,調節因子として分類されている.これらの調節因子には,酸化ストレスの増加やnuclear factor-kappa B(NF-κB)の活性化が含まれる.PPARα活性化の下流のKEの反応における生物学的差異のため,PPARα活性化因子がヒトの肝臓腫瘍を引き起こす可能性は低いと主張している研究者がいる.マウスやラットではなく,ヒトの代替として適している種(ハムスター,モルモット,カニクイザル)では,ヒト初代培養肝細胞における細胞成長経路及び肝細胞増殖への影響が非常に小さく,あるいは全くみられないこと,更に成長経路,肝細胞増殖,及び腫瘍に変化がみられないことに基づいている.しかしながら,この議論はいまだ,結論が出ていない.25

Fig. 4. Effect of DEHP on Ovarian Esr1 Gene Expression in WT and PPARα Knockout Mice

Gene expression levels were normalized to GAPDH and values are reported as mean±S.D.. Results are means±S.D. of three independent experiments, each performed in triplicate. p Values indicate the comparison with the control group of the same genotype. Adapted from Kawano M., et al., Toxicol. Lett., 228, 235–240 (2014).24)

BPAは,ポリカーボネート樹脂,エポキシ樹脂の原料として,その使用用途は家電,自動車・機械部品,医療機器,食品容器,金属の防蝕塗装,建材などに多用されてきた物質である.BPAのヒトに対する予測最大総曝露量は,0.076 µg/kg体重/日また,一般環境大気予測最大曝露(吸入)は,0.0003 µg/kg体重/日となっている.26動物モデルで子宮重量の増加を指標としたBPAの用量は,数–数百mg/kgと,実際のヒトや野生動物が曝露されていたレベルとに1万倍から100万倍もの開きがある.27これまでに先述してきたフタル酸エステルの生体影響の問題点,すなわち動物実験とヒト疫学データとの違いに横たわる種差の問題,DEHPの分子標的は何で,その後のシグナル伝達の下流の変化はどのようなストリームなのか?このことは,BPAの問題でも同様の構図があてはまる.内分泌かく乱物質の分子標的は何で,その後のシグナル伝達の下流の変化はどのようなストリームなのか?このストリームのどの過程に動物の種差があるのか?この疑問が解明できれば,BPAの議論に終止符を打つことができると考えられる.ヒト乳がん細胞,卵巣細胞及び肝細胞の結合実験や転写活性実験からBPAは,ERαと結合し,細胞の種類によって反応性が異なっているということが再確認された.28しかし,Molecular dockingの解析からは,ERαとの会合状態が女性ホルモンであるエストラジオールと異なっていた.29このことは,リガンド–シグナル受容体会合後のシグナル伝達が明らかに異質な経路をたどる可能性があることを示している.

筆者の研究では,最初に高濃度のBPAを投与して,エストロゲンシグナルとの関連分子を見い出す研究を行った.BPAは,マウスに投与すると,エストロゲン誘発の子宮重量が更に増加することが知られていた.そこで,エストロゲンシグナル伝達の下流遺伝子を同定する目的で,抗ERα抗体を用いたクロマチン免疫沈降法により,E2で処理したMCF7細胞から回収したDNA断片のプールから,リガンド受容体ペアである骨形成タンパク質7(BMP7)とアクチビン受容体IIB(actRIIB)を同定した.30両遺伝子のE2応答性は,MCF細胞とマウス子宮で確認した.E2による反復処理により卵巣摘出マウスの子宮におけるactRIIBとBMP7 mRNAの発現が減少し,BPAの単回経口投与により,発情の前期・初期においてマウス子宮の管腔上皮におけるactRIIBとBMP7の発現及びアポトーシスが阻害されることを明らかにした.BPA投与によるこの減少は,ER拮抗薬によって回復したことから,ERを介していることが示唆された.これらの結果は,E2とBPAがactRIIBとBMP7のダウンレギュレーションを通じて子宮内膜上皮細胞のエストロゲン依存性アポトーシスを抑制することを示唆している.この研究は,リガンド受容体ペアであるBMP7とactRIIBはアポトーシスシグナル伝達経路の調節に関与しており,環境エストロゲンが女性の生殖器官に及ぼす影響の新しいバイオマーカーになる可能性を示した(Fig. 5).30

Fig. 5. BPA Inhibits Apoptosis in Endometrial Epithelial Cells in Mice

Nine-week-old female mice in diestrus (or early proestrus) first received a subcutaneous injection of ICI182780, an ER antagonist and, 30 min later, were orally administered 50 or 200 mg/kg BPA. The mice were euthanized 8 h later. ICI182780, an ER antagonist, was injected subcutaneously 30 min before BPA treatment. Apoptotic cells were detected using the TUNEL method on paraffin-embedded uterine sections. TUNEL-positive cells, indicated by arrows, were observed in the luminal epithelium. A: Vehicle-treated uterine transverse section; B: 50 mg/kg BPA-treated uterine transverse section; C: 200 mg/kg BPA-treated uterine transverse section; D: 200 mg/kg BPA and 20 mg/kg ICI182780 co-treated transverse section; E: 20 mg/kg ICI182780-treated transverse section; F: Higher magnification of an area from section A. Values are means±S.D. (n=6–8). The statistical significance of differences from the control is indicated by *, *** (p<0.05, p<0.001, respectively). Adapted from Kusumegi T., Biochem. Mol. Toxicol., 18, 1–11 (2004).30)

また,BPAは,遺伝毒性や変異原性はないが,エストロゲン依存性乳がん組織,細胞株,げっ歯類の研究において成長を刺激する原因となり,ヒトにおいてもエストロゲン依存性の発がんにいわゆるプロモーター様作用による影響を示しているのではないかという懸念が高まっていた.そこで,BPAの発がん誘発活性を,ヒト乳腺上皮細胞(human mammary epithelial cell: HMEC)におけるBPAの細胞増殖と老化への影響を調べた(Fig. 6).31継代8の初期段階で1週間BPAに曝露すると,継代16までの後期段階でHMECの増殖と球体サイズが増加した.これは,BPAが乳腺上皮細胞の細胞増殖を調整する能力を持っていることを示唆した.興味深いことに,老化のマーカーであるヒトヘテロクロマチンタンパク質1γ陽性細胞の数も,BPA処理細胞で増加した.これらの発見と一致して,それぞれ細胞老化を誘発し,増殖を促進することが知られているp16とサイクリンEの両方のタンパク質レベルが,BPAに曝露されたHMECで増加した.さらに,BRCA1, CCNA1, CDKN2A(p16), THBS1, TNFRSF10C, TNFRSF10Dなど,ほとんど又はすべての腫瘍タイプの発達に関連する遺伝子のDNAメチル化レベルが,BPAに曝露されたHMECで増加した.HMECモデルでの私たちの発見は,BPAによる遺伝的及びエピジェネティックな変化がHMEC機能を損傷し,細胞増殖と老化に関連する複雑な活動をもたらし,乳腺がんの発生に役割を果たしている可能性があることを示唆している.31

Fig. 6. Effects of BPA Exposure on Colony Formation of HMEC

Cells were treated with BPA or E2 at passage 8 (7 d period). A: Morphology of colonies derived from HMEC at passage 13. Cells were stained with β-tubulin and F-actin antibodies. Cells were also counterstained with Hoechst, and the merged images and differential interference contrast (DIC) images are also shown. B: Statistical analysis of sphere count, size and volume of colonies derived from HMEC at passage 13. * p<0.05 vs. the dimethyl sulfoxide (DMSO) control. Adapted from Qin X.Y., et al., Cancer Biol. Ther., 13, 296–306 (2012).31)

さらに,小児尿道下裂(hypospadias: HS)患者及び由来のヒト包皮線維芽細胞(human foreskin fibroblast: hFFC)を使用してゲノムワイドスクリーニングを実施し,低用量BPA曝露の新たな標的を特定した.10 nM BPA, 0.01 nM E2,及び1 nM TCDDの24時間曝露による遺伝子発現プロファイルを解析した.32これら試験物質の曝露によって発現が変化した遺伝子のネットワーク生成及びパスウェイ解析を実施したところ,BPAに特異的に応答して発現変化した遺伝子は,43個あった.このうち,特に興味深いのは,発達と正常な生理機能のよく知られたエフェクターであるマトリックスメタロペプチダーゼ11[matrix metalloproteinase(MMP)11]の発現が,BPAによって阻害されたことである.この研究は,HSの病因におけるBPAの関与がMMP11のダウンレギュレーションと関連している可能性があることを示唆した.この研究で特定された新しい標的遺伝子の生殖結節の発達中の機能を更に解明する研究により,低用量のBPA曝露が人間の生殖健康に及ぼす影響を明らかにできる可能性がある.

アリール炭化水素受容体核移行因子2(aryl hydrocarbon receptor nuclear translocator: ARNT2)は,内分泌関連がんの発症や治療反応に関与している可能性のあるエストロゲンシグナル伝達経路などの様々な生理学的プロセスで重要な役割を果たしていると考えられている.そこで,ヒトがん細胞株において様々な代表的な外因性エストロゲンの曝露が,ARNT2発現によって制御されるかどうかを調べた(Fig. 7).33 BPA,ベンジルブチルフタレート(benzyl butyl phthalate: BBP),及び1,1,1-トリクロロ-2,2-ビス(2-クロロフェニル-4-クロロフェニル)エタン(o,p′-DDT)は,E-CALUXバイオアッセイによってBG1Luc4E2細胞に対してエストロゲン性であることが再確認できた.ARNT2発現は,ERα陽性MCF-7細胞及びBG1Luc4E2細胞では用量依存的にBPA, BBP, o,p′-DDTによってダウンレギュレーションされたが,ER陰性LNCaP細胞ではダウンレギュレーションされなかった.異種エストロゲンで処理した細胞でのARNT2発現の低下は,特定のESR1拮抗薬である1,3-Bis(4-hydroxyphenyl)-4-methyl-5-[4-(2-piperidinylethoxy)phenol]-1H-pyrazole dihydrochloride(MPP)の添加によって完全に回復した.結論として,MCF-7乳がん細胞では,ARNT2発現がESR1依存メカニズムによって異種エストロゲンによって調節されることを初めて示した.

Fig. 7. Modulation of ARNT2 mRNA Expression by Xenoestrogens in MCF7, BG1Luc4E2, and LNCaP Cells

Cells were treated with DMSP or increasing concentrations of E2 (A), BPA (B), BBP (C), or o,p′-DDT(D) for 24 h. All the data are expressed as the fold induction relative to the vehicle control (DMSO) treatment. Each value is the mean±S.D. of a representative experiment performed in triplicate. Adapted from Qin X. Y., Toxicol Lett., 206, 152–157 (2011).33)

以上に示したBPAに関する研究は,BPAがエストロゲン様活性を持ち,複数の生理学的及び遺伝的メカニズムを介して細胞増殖,老化,及び発がんを促進する可能性があるということ,生殖健康に影響を及ぼしエピジェネティックな変化が生じる可能性があることを示している.

2-4. 内分泌かく乱化学物質の新たな課題

先述したように,“生命維持のためのシステムに及ぼす目に見えない微妙な調節の変化”の重要性に焦点を据えるという点に,関心が高まっている.言い換えれば,内分泌かく乱物質の問題点の一つは,母親を介した周産期曝露による子供や実験動物の仔に現われた様々な変化は,これまでの衛生学,薬理学や毒性学で考えられてきた「低用量での化学物質の健康への影響は高用量でみられる影響から直線的に外挿することができる」という概念を打ち砕き,新たな概念を導入する必要性を提示したことである.そのため,低用量における生体応答性が,どのように高用量曝露の場合と異なるのかを明らかにする必要がある.このような観点から,内分泌かく乱物質メカニズムの整理,化学物質と影響の情報を格納したデータベースや,新しい試験法の開発が必要になっている.

このような背景のもと,Smithらは,体系的な文献検索を実施し以下の10の主要な特性を用いて関連するエンドポイントに焦点を当てた新しいアプローチ法「Key Characteristics(KC)approach」を提唱した.具体的には,薬剤(化学物質)が1)直接又は代謝活性化後に求電子剤として作用する,2)遺伝毒性がある,3)DNA修復を変化させる,又はゲノム不安定性を引き起こす,4)エピジェネティックな変化を誘発する,5)酸化ストレスを誘発する,6)慢性炎症を誘発する,7)免疫抑制性がある,8)受容体を介した効果を調節する,9)不死化を引き起こす,10)細胞増殖,細胞死,又は栄養供給を変えるという特性に基づいて,特定されたメカニズム情報を分類する方法である.34一方,筆者は,U.S. Environmental Protection Agency(EPA)やNational Institutes of Health(NIH)が支援するGetting to know cancer(GKC)プロジェクトに参加し,異なる経路に作用する個々の(発がん性のない)化学物質の累積効果,及び様々な関連するシステム,臓器,組織,細胞が共謀して発がん性の相乗効果を生み出す可能性があることを示した.35この仮説の利点を更に進めるには,発がんに関する追加の基礎研究と化学物質混合物の低用量効果に焦点を当てた研究を厳密に追求する必要がある.そこで,筆者は,「低用量混合物の曝露影響評価と環境健康予防に関する国際カンファレンス」を2017年に主催し,Smithらのグループと,GKCプロジェクトのグループの主導者LoweとGoodsonらを日本に招待し,環境中の発がん物質とその予防と,環境化学物質混合物のヒト健康影響に関する将来アプローチについて議論した.36

内分泌かく乱化学物質は,ホルモンの作用を阻害する外因性化学物質であり,がん,生殖障害,認知障害,肥満など,多様な健康への悪影響のリスクを高める.メカニズム研究の複雑な文献は,この30年間に多くのendocrine disrupting chemical(EDC)曝露の危険性に関する証拠を提供しているが,これらのデータを統合してEDCの危険性を特定するのに役立つ,広く受け入れられている体系的な方法はいまだ報告されていない.筆者は,KC approachを使用して発がん性物質の危険性の特定を改善する作業に触発され,GKCプロジェクトの主要研究者とともに,共同でホルモンの作用とEDCの影響に関する知識に基づいて,EDCの10のKCを開発した(Fig. 8).37化学物質をEDCとして評価する際に,これらの10のKCを使用してメカニズムデータを識別,整理,及び使用する方法について検討し,このアプローチを説明するために,ジエチルスチルベストロール,ビスフェノールA,及び過塩素酸塩を例に挙げた.ビスフェノールAについてあげると,ヒトの表現型では,現在,BPAと肥満,糖尿病,女性不妊,男性性機能障害,出生体重減少,子供の非定型神経行動などの悪影響との関連を示す疫学研究が100件以上ある.動物の表現型では,げっ歯類において,BPAの低用量でも脳,雄と雌の生殖管,内分泌制御下の乳腺と代謝組織の発達を妨げる可能性があることが実証されている.BPAは乳腺と前立腺の前がん病変やがん病変を引き起こすこともある.メカニズムデータによると,種類のKCのうち9種類について実質的な証拠がある.さらに,独立した専門家による発がん性の危険性の科学的レビューと評価に厳格な手順を適用している国際がん研究機関(International Agency for Research on Cancer: IARC)が作成するモノグラフは,体系的なレビュー方法論の強化とともに,発がん性物質の主な特性に基づくメカニズム的証拠をこれまでより大きく重視されることとなった.疫学研究の批判的評価において,曝露評価方法を含む品質と情報性をより重視すること,様々な証拠ストリームの評価基準の調和を改善することに加えて,人間のがん,実験動物のがん,及び総合評価に至るメカニズムに関する証拠を統合する単一ステップのプロセスを行うこととなり,このアプローチで,in vitroメカニズム研究の重要度が増したと考えられる.38

Fig. 8. Ten Key Characteristics of the Endocrine-disrupting Chemicals

Adapted from La Merrill M. A., et al., Nat. Rev. Endocrinol., 16, 45–57 (2020)37) with partial modifications.

3. 化学物質の正確なヒト健康への影響評価を目指した新しい試験法の開発

私たちの身の回りの環境は年々大きく変わってきており,その変化に応じて環境中の様々な化学物質に私たちは曝されている.そのため,環境中にある化学物質が私たちの健康や生物などに,悪影響を及ぼしているのではないかという懸念が長い間続いている.39 1960年代に公害問題がクローズアップされ,限られた地域で特定の化学物質に高濃度で曝露された人々の健康被害が問題になった.しかし,現代では低濃度で多様な化学物質に曝されている多くの人々の健康状態に関心が向けられている.子どもでは発達障害やアトピー性皮膚炎,ぜんそくなど,高齢者では認知症やがんなどの疾病が増加しており,生活環境中の化学物質がこれらの疾病の発症に関与していると考えられている.特に胎生期にある種の化学物質に曝されると,その後の成長や発達に影響を与えると考えられている.そのメカニズムを明らかにするには,細胞の分化や組織の発達が観察できるヒト組織由来の胚性幹(embryonic stem: ES)細胞や人工多能性幹(induced pluripotent stem cell: iPS)細胞を用いることが有望視されている.筆者は,国立環境研究所時代に,で2009年より文部科学省の許可を受けてヒトES細胞を使用した研究や,ヒト組織由来の細胞を用いた化学物質の影響評価を行った.本項では,新しい試験法の開発に関する研究を紹介する.

3-1. 発達神経毒性試験法の開発:メチル水銀影響の種差

化学物質のヒトへの影響を評価するため,動物実験のデータが使われているが,ヒトと実験動物ではその影響には種の違いによる差があり,問題になっている.なかでも胎児性水俣病の原因物質であるメチル水銀(methylmercury: MeHg)は,哺乳動物でも毒性の種差が大きいことが知られている.この問題を解決するために,ヒトES細胞を使って,ヒトにおける胎児期の影響を迅速に予測する方法を開発した.先述したように,肉や魚などの食品を加熱したときにできるヘテロサイクリックアミン類の発がん性を評価した経験から,動物を用いた評価と実際のヒトへの評価では大きな差があることがリスク評価を困難にしていると感じていた.

多能性幹細胞を用いて胎児期の影響を調べる場合には,2種類の細胞を使用することが多い.その一つであるES細胞は,胚体内のすべての細胞に分化できる幹細胞のことを多能性幹細胞といい,哺乳類の胚盤胞の内部細胞塊などに由来し,完全な1個体を生み出す能力がある.iPS細胞も,ES細胞のように多分化能を持つ幹細胞で,体細胞へ複数の遺伝子を導入することによって人工的に作られる.分化に向かうES/iPS細胞は,胚様体を経て,外胚葉・内胚葉・中胚葉の三胚葉に分化し,その後,様々な臓器へと分化する.40

動物への投与量とヒトへの曝露量には差があるため,この方法で毒性を評価することへの疑問がよく議論される.化学物質の安全性研究では,動物実験の結果をどこまでヒトへの影響に適用できるかが重要な課題である.水俣病の原因になったメチル水銀や子供の奇形を引き起こしたサリドマイドの場合,動物実験では毒性を予測できなかった.未然に毒性を検出できていればあのような悲劇は起こらなかった.メチル水銀は哺乳類の間でも毒性の種差が大きく,多くの実験動物ではヒトと同じような毒性が発現しない.実験動物としてよく使われるラットやマウスなどでは腎毒性や末梢神経に対する毒性が強く,ヒトの水俣病のような中枢神経毒性はあまり強くない.脳に蓄積された水銀が半減するまでの期間もヒトの方が長く,ラットでは脳への吸収の速さ,移行も異なるために,結果として脳組織における存在量に10倍の差がある.これらが,ヒトでは中枢神経への影響が大きい原因であると考えられている.41動物とヒトで毒性に種差がみられる例として,ダイオキシンが挙げられる.ダイオキシンによる症状が,ヒトと同じように現れたのは霊長類のみで,ラットやマウスにはみられなかった.また,最小毒性量(毒性試験の結果から求められた有害影響の発現する最も低い用量)も大きな開きがある.そこで,ES細胞を用いた実験を開始した.2005年の初めにヒトのES細胞が樹立され,ES細胞の自己複製のメカニズムが解明され始めた時期であった.動物実験に代わる手法としてES細胞が発生や発達の毒性評価に利用できるのではないかと考え,まずは,マウスのES細胞を用いて実験を開始した.

環境化学物質の神経発達毒性を評価するために,マウス胚性幹細胞(mouse embryonic stem cell: mESC)の神経分化プロトコルを開発した.この研究では,mESCの神経分化に関連する特定の遺伝子セットを同定するため,多変量バイオインフォマティクスアプローチを試みた.胚様体形成中のmESCをレチノイン酸(retinoic acid: RA)に曝露し,形態学的解析及びゲノムマイクロアレイ解析を行った(Fig. 9).42 ①文献ベース,②自己組織化マップと主成分分析,③エンリッチメント解析を用いて,それぞれ3つの遺伝子セットを選択作成し,ベイズ統計を用いて各セットの遺伝子ネットワーク解析を実施した.43その結果,RAは神経スフィア,神経細胞,グリア細胞の大きさを増加させ,特定の遺伝子がRA存在下で顕著にアップレギュレーションされることが示された.このプロトコルは,神経発達期間中の環境化学物質毒性のスクリーニングに有用であることが示唆された.

Fig. 9. Gene Selection Strategies for Extracting Features from Expression Profiling Due to Chemical Exposure, Derived from Gene Expression Analysis Using DNA Microarrays, to Effectively Perform Bayesian Network Analysis

Three matrices display the gene interaction networks derived from gene expression values analyzed in each of the three gene sets. Adapted from Akanuma H., et al., Front. Genet., 3, 141–151 (2012).42)

さらに,筆者らは胎児プログラミングモデルとしてmESCの神経分化を用いた発達神経毒性試験(developmental neurotoxicity: DNT)の体系的なアプローチを確立した(Fig. 10).44 mESCを12種類の化学物質に曝露し,全ゲノムマイクロアレイ解析を行った.神経発達及び神経疾患に関連する遺伝子セットを選び,神経表現型パラメータをハイコンテンツイメージアナライザーで決定した.ベイジアンネットワーク解析により,初期イベントと後の影響との関連を示す包括的なネットワークが生成され,これにより胎児プログラミングを検出し,発達上の神経毒性化合物を予測するための有用なツールが提供されることが明らかになった.

Fig. 10. PCA Based on Bayesian Network Parameters

PCA was applied to the Bayesian network parameters based on phenotypic and global gene expression profiling to evaluate the neurotoxicity of 12 environmental chemicals. Score plots based on gene sets related to A: Alzheimer’s disease; B: autism; C: Parkinson’s disease; D: axon guidance; E: pluripotent; F: neural development; and G: oxidative stress. Adapted from Nagano R., Int. J. Mol. Sci., 13, 187–207 (2012).44)

次に,MeHgがmESC及びhESCの神経分化に与える影響を調べた.45 mESC及びhESCはマイクロデバイスを使用して胚様体を形成させ,神経性のスフィアに成長したのちに,オルニチンラミニンでコーティングされたプレートで更に神経分化を促進させた.細胞はMeHgに曝露され,細胞生存率アッセイにより生存率の減少が観察された.形態学的評価では,hESC誘導体の神経突起長と分岐点が低濃度のMeHgに対してより敏感であることが示された.定量的RT-PCR分析とベイジアンネットワーク解析により,MeHgがhESCの分化マーカー遺伝子に直接影響することが示唆された.本研究は,hESCモデルがメチル水銀曝露に対して特定のエンドポイントでmESCモデルよりも敏感である可能性を示すものであり,実験動物の結果をヒトのリスク評価に外挿する際の問題を解決する可能性がある.

3-2. 発達神経毒性試験法の応用例:ヒト多能性細胞を用いた低線量放射線の影響評価

慢性的な低線量放射線が人間の健康に与える影響は十分に確立されておらず,低線量の健康問題は,人々の高い関心が続いている.46そこで,未熟細胞は一般に放射線感受性が高いため,ES細胞から誘導された培養ヒト神経前駆細胞(human neural progenitor cell: hNPC)に対する慢性低線量放射線の影響を調査した.47 72時間あたり31, 124, 496 mGyの低線量の放射線をhNPCに照射した.その影響を,マイクロアレイ解析による遺伝子発現プロファイリングと形態学的解析によって推定したところ,遺伝子発現は放射線によって線量依存的に変化した.具体的には,31 mGyの放射線によって,インターフェロンシグナル伝達と細胞接合に関与する炎症経路が変化した.124 mGyの放射線によってDNA修復と細胞接着分子が影響を受け,496 mGyの放射線によってDNA合成,アポトーシス,代謝,神経分化がすべて影響を受けた.この研究は,慢性的な低線量放射線によって引き起こされる神経発達障害の臨床的及び潜在的な症状の解明に貢献すると考えている.

網膜を含む視神経の健康について,未分化細胞が低線量放射線に曝露された後,発達中の網膜細胞への影響を予測することに高い関心が寄せられている.先述の研究に続いて更に,筆者らは,低線量放射線下における未熟なヒト網膜細胞を含む神経オルガノイドの遺伝子発現特性を分析し,その変化を予測した.ヒト人工多能性幹細胞(induced pluripotent stem cell: iPSC)から生成された発達中の網膜細胞を,発達の4–5日目に24時間,30又は180 mGyで照射した.ゲノム全体の遺伝子発現は35日目まで観察し,知識ベースのパスウェイ解析アルゴリズムにより,Rhoシグナル伝達及びほかの多くのパスウェイの変動が明らかにした.1ヵ月後,眼の発達に必須の転写因子のレベル,ペアボックス6(paired box 6: PAX6)陽性細胞の割合,網膜神経節細胞(retinal ganglion cell: RGC)特異的転写因子POUクラス4ホメオボックス2(POU domain, class 4, transcription factor 2: POU4F2)陽性細胞の割合が,30 mGyの照射で増加した.対照的に,180 mGyの照射後には減少した.180 mGy後の「ニューロンの発達」経路の活性化は,ほかの神経細胞の脱分化と発達を示していた.この研究は,低線量放射線被曝後の変動する影響が発達中の網膜細胞がストレスに反応してホルミシスと脱分化のメカニズムを採用していることを示唆し,慢性的な低線量放射線が人間の神経細胞や網膜細胞の発達に与える影響を探ることに重要な意義と価値があることを示した(Fig. 11).48すなわち,これらの研究は,低線量の放射線が未熟な神経細胞や網膜細胞の発達に与える影響について,具体的なメカニズムを提供し,将来的には低線量の放射線被曝が健康や発達にどのように関与するかを理解し,適切な防護策や治療法の開発につながる可能性があるものと考えている.また,これらの研究結果は,低線量の放射線が神経発達障害にどのように関連しているかを理解するうえでの基盤を提供すると考えられる.例えば,新しい戦略の検討,放射線に対する安全基準や規制の見直しなど,将来の研究や政策決定に貢献すると考えている.

Fig. 11. Growth Suppression of EB and Altered Gene Expression by Low-dose Radiation

A: Doses and time course of the exposure experiment. On day 0, iPSCs were placed into 96-well culture plates. After EB formation, the cells were irradiated from days 4 to 5. The doses (dose rates) were 30 mGy (0.021 mGy/min) and 180 mGy (0.125 mGy/min). On day 10, the cells were transferred to 48-well flat bottom culture plates coated with iMatrix-511. On days 0, 3, 6, 10, 17, and 35, RNAs were analysed. B: Growth suppression by low-dose radiation. EB sizes are shown. Data are presented as the mean and standard deviation of 10 EBs. Experiments were repeated three times on different days. *** p <0.001, ** p<0.01 (Student’s t test). Error bar: average deviation of three experiments. C: Cluster heatmap of altered “Diseases and functions.” Comparison between the effects of different radiation doses (0, 30, or 180 mGy) on days 6, 10, 17, and 35. The IPA-calculated p value and Z score for each “functions and diseases” pathway differ by more than 2 in –log (p value) in RNA-seq. D: Network of altered genes, as determined from the list of altered genes in “Development of retina” and other genes selected on day 35. Adapted from Katsura M., Sci. Rep., 13, 12888 (2023)48) with partial modifications.

3-3. 発達神経毒性試験法の応用例:ナノマテリアルの影響評価

ポリアミドアミン[poly(amidoamine): PAMAM]デンドリマーは,脳への遺伝子,薬物,及びイメージング剤の送達システムとしての生物学的用途の可能性を秘めており,安全性評価の必要性が高まっていた.筆者らは,ヒト胚性幹細胞由来の神経前駆細胞を用いて,様々な表面官能基と複数世代を持つPAMAMデンドリマーの神経分化への影響を調査した.49アミン(NH2)表面基を含むPAMAMデンドリマーのみが,10 µg/mLの濃度で,アミン末端のないデンドリマーと比較して,細胞生存率と神経分化を著しく低下させた.世代(G)3, G4, G5, G6, 及びG7のPAMAM-NH2は,5 µg/mLの濃度から細胞生存率を著しく低下させ,神経分化を阻害ししたが,G0, G1, 及びG2デンドリマーはこの濃度では影響はなかった.表面基修飾の違いによる細胞毒性の強さは,同じG4世代の4種[G4-C12N-(2-ヒドロキシドデシル表面基で修飾),G4-OH(アミドエタノール表面基で修飾),G4-OS(トリメトキシシリル表面基で修飾),G4-SC(カルボキシレートナトリウム表面基で修飾)]を比較した.1 µg/mLのPAMAM-C12が,酸化ストレス関連遺伝子ROR1, CYP26A1, 及びDNA損傷応答遺伝子であるTGFB1の発現レベルを変化させ,細胞毒性が最も強かった.この結果は,PAMAMデンドリマーへの曝露が表面電荷に依存して神経分化に悪影響を及ぼす可能性があり,その影響は神経細胞の発達中の酸化ストレスとDNA損傷に関連している可能性があることを示した.さらに,PAMAMデンドリマーを脳疾患の治療薬キャリアとして使用する場合の安全性を,小児の発達モデルとして,ヒトES由来の神経オルガノイドであるニューロスフィアを用いてG4世代のPAMAM-NH2を評価した.G4-PAMAMあるいは,蛍光標識デンドリマーを0.3, 1, 3, 10 µg/mLの濃度で72時間,ニューロスフィアに曝露したところ,PAMAMデンドリマーナノ粒子がニューロスフィア上の表層細胞を介してニューロスフィアに浸透できることを示し,ニューロスフェアの成長を阻害した.一方,表面基の異なるPAMAM-SCは阻害できなかった.マイクロアレイによる遺伝子発現解析では,32個のデンドリマー毒性関連遺伝子が示され,ネットワーク解析では選択された遺伝子ターゲットの3つの独立したネットワークが示された.誘導性即時初期遺伝子である早期成長応答遺伝子1(Egr1),インスリン様成長因子結合タンパク質3(insulin-like growth factor-binding protein 3: IGFBP3),組織因子経路阻害剤(tissue factor pathway inhibitor 2: TFPI2),及び副腎メデュリン(adrenomedullin: ADM)が各ネットワークの主要遺伝子であり,これらの遺伝子の発現は大幅にダウンレギュレーションされた.これらの知見は,ニューロスフェアをPAMAM-NH2デンドリマーにさらすと,Egr1, IGFBP3, TFPI2, 及びADMによって制御される経路を介して,細胞の増殖と遊走に影響を与えることを示唆した(Fig. 12).50

Fig. 12. Experimental Time Schedules for PAMAM Exposure, Proliferation, and Differentiation

(A) Cells were seeded on day 0 to form neurospheres and exposed to different PAMAM dendrimers on days 2–5. Gene expression analysis was conducted using total RNA from neurospheres on day 5, followed by a proliferation assay on days 5–8. The differentiation assay was performed on days 5–10. (B) Cell morphology from the neurosphere assay showing the proliferation and differentiation of hNPCs. (C) Effects of PAMAM dendrimers on the migration and proliferation of neurospheres. Adapted from Zeng Y., Toxicol. Sci., 152, 128–144 (2016)50) with partial modifications.

4. 化学物質の健康影響評価の変革

4-1. 細胞科学とartificial intelligence(AI)との融合

2002年にヨハネスブルグで開催された持続可能な開発に関する世界サミットにおいて,2020年までに化学物質の著しい悪影響を最小化するという化学物質規制の目標が設定された.これを受けて,先進国では,様々な対応が進められたが,2024年6月現在,その目標は達成されていない.化学物質などの環境外的要因に曝されて健康の悪影響を引き起こす生体の応答経路を「毒性発現機構」という.この毒性発現機構,すなわち,毒性発現経路(adverse outcome pathway: AOP)を指標にして,毒性を評価し予測する新しい試みが,2007年に米国科学アカデミーより「21世紀の毒性試験」として提唱された.51今日では,この新しい毒性試験法は,AOPをベースにしたアプローチに発展している.このアプローチは化学物質の構造をコンピューターで解析して,類似構造を持つ化合物の探索や分類,特定の遺伝子やタンパク質に特異的に結合するかどうかの探索などのコンピューターの中で行うインシリコ手法による評価(ステップ1)に始まり,各種のインビトロ試験による用量反応解析(ステップ2)や体内での代謝動態の予測,曝露量の推計(ステップ3)の一連の流れを示す概念である.この新しい方式によって健康リスクを迅速に評価し,よりよい予測をすることが期待できる(Fig. 13).52

Fig. 13. General Workflow for the Construction of Data and Mechanism-driven Models for Chemical Toxicity

Adapted from Ciallella H. L., Chem. Res. Toxicol., 32, 536–547 (2019)52) with partial modifications.

幹細胞又はその派生組織を使用した予測毒性学は,生物医学及び製薬研究においてますます重要になっている.筆者らは,当時の京都大学iPS細胞研究所藤渕博士のグループらとともにhESCシステムに基づいて分類された20種類の化学物質からのqRT-PCRデータを使用するサポートベクターマシン(support-vector machine: SVM)による毒性カテゴリーの予測が,ノイズの多いqRT-PCRデータで正確な予測ができない場合にネットワークエッジの重みが特徴ベクトルとして追加される遺伝子ネットワークの採用によって改善されることを示した(Fig. 14).53神経毒(neurotoxin: NT),遺伝毒性発がん物質(genotoxic carcinogen: GC),非遺伝毒性発がん物質(non-genotoxic carcinogen: NGC)の3つの毒性カテゴリーで,そのシステムの精度は,97.5–100%であった.分類されていない2つの化学物質,BPAとペルメトリンについては,BPAはNGCとして分類され,ペルメトリンはNTとして分類された.両方の予測は最近発表された論文によって裏付けられた.この研究には,2つの重要な特徴がある.①従来の定量的構造活性相関(quantitative structure–activity: QSAR)を使用せずに遺伝子ネットワークをSVMの入力データとして使用し,ヒトES細胞検証システムで毒性ゲノミクスデータを分析する最初の研究として,遺伝子間相互作用の追加情報を使用することで,ノイズの多い遺伝子発現データの予測精度を大幅に向上させたこと.②未分化ヒトES細胞のみを使用する本研究は,胚発生中に発生する異常を含む,後発性の化学毒性を予測する大きな可能性を秘めていること.

Fig. 14. Schematic of the Process from Data Generation to SVM Prediction, Using qRT-PCR and BN Data from 22 Toxic Chemicals to Predict Toxicity Categories

Adapted from Ciallella H. L., Chem. Res. Toxicol., 32, 536–547 (2019).53)

ヒト疾患の動物モデルへの影響の翻訳可能性は,対照となる化学物質が医薬品,化粧品成分,食品成分など状況によって制限されるため,ヒト特有の毒性を確実に予測する代替モデルが必要である.先述の研究のように,筆者らは未分化ヒトES細胞の遺伝子ネットワークに基づいて,発達毒性を正確に予測する方法を開発した.次に,この手法を発展させて,6つのカテゴリー(神経毒,心臓毒,肝毒,2種類の腎毒,非遺伝毒性発がん物質)の24種類の化学物質の成人毒性を予測し,すべてのカテゴリーで高い予測精度(area under the curve: AUC=0.90–1.00)を達成した(Fig. 15).54さらに,ES細胞の遺伝子ネットワークの転移学習を使用してiPS細胞の遺伝子ネットワークに基づいて毒性を予測するiPS細胞株をスクリーニングし,4つのカテゴリー(神経毒,肝毒,糸球体腎毒,非遺伝毒性発がん物質)の毒性を高い性能(AUC=0.82–0.99)で予測した.この手法は,パーソナライズされたiPS細胞を使用したテーラーメイドの安全性評価に活用できる.この二つの研究成果は,ES細胞やiPS細胞などのヒト多能性幹細胞は,洗練されたバイオインフォマティクス手法と組み合わせることで,発達段階の化学物質の毒性を予測する強力なツールとなることを示している.細胞分化が不要なため,これらの細胞はコスト効率の高いアッセイを容易にし,様々な化学物質の毒性評価のための実用的なシステムを提供する.これらの研究の革新的な点は,毒性化学物質のqRT-PCR,遺伝子ネットワーク,分子記述子などの様々な種類のデータに機械学習技術を適用する方法と,これらのデータを統合して毒性カテゴリーを予測する包括的な方法である.興味深いことに,NT, GC, NGCの20の化学物質データを使用して,構造活性相関の手法や,階層的,k-meansなどのパターン分類と比べて,遺伝子ネットワークを入力として使用することで,最も優れた堅牢な予測パフォーマンスが得られることがわかった.また,qRT-PCRと分子記述子は特定の毒性カテゴリーに寄与する傾向があることも確認した.

Fig. 15. PCA of 24 Chemicals in Six Toxicity Categories at Two Time Points

A: NT, neurotoxin; B: HT, hepatotoxin; C: CT, cardiotoxin; D: GT, glomerular toxin (nephrotoxin); E: TT, tubular toxin (nephrotoxin); F: NGC, non-genotoxic carcinogen. Adapted from Yamane J., et al., iScience, 25, 104538 (2022).54)

4-2. 化学物質のハザード評価におけるマルチオミックスの活用に向けた課題

胎児期の化学物質によるDNAメチル化の調節異常は,発達障害の一因となったり,その後の人生で特定の疾患のリスクを高めたりすると考えられている.そこで,DNAメチル化の調節異常を誘発する化学物質の検出のため,蛍光標識されたメチルCpG結合ドメイン(methyl-CpG-binding domain: MBD)を発現するマウスとhiPS細胞を使用した検出系を開発した.mES細胞を用いた実験では,メチルCpG結合タンパク質と融合した強化緑色蛍光タンパク質を導入した細胞を使用して,イミダクロプリド,カルバリル,o,p′-DDT等の農薬の影響を調べた.55これら農薬の曝露により,核内の顆粒の蛍光強度が増加し,全体的なDNAメチル化効果が示された.しかし,局所のメチル化領域では,細胞周期関連遺伝子であるCdkn2a, Dapk1, Cdh1, Mlh1, Timp3, Rarbなどの上流域のDNAメチル化プロファイリングがイミダクロプリド処理で減少し,DNAメチル化パターンが細胞分化に影響を及ぼす可能性があることが示唆され,このアプローチを使用して,殺虫剤がDNAメチル化を通じて発達毒性のリスクをもたらすことを示した.hiPS細胞を用いたアッセイをiGEM検出アッセイと名付け,心毒性及び発がん性が知られている135種類の化学物質について,エピジェネティック催奇形性物質/変異原のハイスループットスクリーニングを行った(Fig. 16).56その結果,DNAメチル化の核空間分布/濃度の程度を反映するMBD信号強度に従って,試験物質を分類し,ゲノム全体のDNAメチル化,遺伝子発現プロファイリング,知識ベースのパスウェイ解析を統合した機械学習解析による更なる生物学的特性評価を行うことができた.過剰に活発なMBD信号を持つ化学物質は,DNAメチル化及び細胞周期と発達に関与する遺伝子の発現への影響に強く関連していることが明らかになった.これらの結果は,この研究で開発したMBDベースの統合分析システムが,エピジェネティック化合物を検出し,持続可能な人間の健康のための医薬品開発のメカニズムに関する洞察を提供する強力なフレームワークであることを証明した.

Fig. 16. Machine Learning-based Physiological Characterization Integrating MBD Fluorescence Parameters from Our Data and Biological Assay Data from PubChem

Box plots of the distributions of MBD fluorescence parameters in chemicals with active, inconclusive, and inactive carcinogenicity, CAR antagonistic activity, and H2AX phosphorylation activity. Adapted from Otsuka., S., Sci. Rep., 13, 6663 (2023).56)

5. おわりに

化学物質のリスク評価研究は,主に三つの目的を持っていると考えられる.第一に,健康被害が現れる前に化学物質の潜在的なリスクを早期に検知することである.これにより,未病の段階での対応が可能となる.第二の目的は,検知されたリスクに基づいて適切な予防策を講じ,健康被害を未然に防ぐことである.そして第三に,ヒト,動物及び細胞を用いた影響評価手法を確立し,化学物質のリスク評価をより精度高く行うことが挙げられる.化学物質のリスクに関する研究の背景では,環境や食品中に含まれる化学物質が低濃度でも長期間にわたって健康に悪影響を及ぼす可能性があることが指摘されている.現行の検出方法では特定の化学物質に対する感度が低く,時間と費用がかかる課題があるが,前項で示した幹細胞はその多能性から様々な細胞に分化し,化学物質の影響を総合的に評価することができる可能性がある.

今後のヒト健康に対する化学物質のリスク評価において,ヒト由来の幹細胞を用いて特定の化学物質を曝露し,その影響を直接観察する手法が,極めて重要な鍵を握ると考えられる.幹細胞が分化する過程やその形態的・機能的変化を評価し,得られたデータを解析することで化学物質のリスクを定量化することが可能となる.この期待される成果は,ケミカルハザードの早期検出により健康被害を未然に防ぐことが可能になる点や,幹細胞を利用した新しい影響評価手法の確立により,より正確で包括的なリスク評価が実現されることが挙げられる.また,これにより環境・食・健康の分野でのリスク管理が向上し,全体的な健康増進に寄与することが期待される.さらに,研究成果を基に実用的な未病検知ツールの開発と普及を目指すことや,医療,食品安全,環境保護など多岐にわたる分野での応用を検討することが重要であると考える.

謝辞

現役の研究者を続けさせて頂いた横浜薬科大学の諸先生方,学生の皆さん,大学の運営支えておられる皆様に感謝いたします.振り返って,最初に配属し,また,博士の学位取得におきましてお世話になりました後藤佐多朗先生を始めとする東邦大学生化学教室の皆様に感謝いたします.また,薬理学の道や製薬業界の厳しさを指導してくださいました当時の高柳一成教授を始めとする東邦大学薬学部薬理学教室の皆様に感謝いたします.また,研究にあたり,当時の国立がんセンター研究所の皆様,独立行政法人国立環境研究所の皆様.米国国立環境健康科学研究所の皆様,東京大学総合アイソトープ研究所の皆様,さらに,共同研究でお世話になりました世界中の研究者の皆様にあらためて感謝申し上げます.最後に,これまで研究を続けられたのは,家族や友人が私の研究に対する姿勢を理解し,支援を続けてくれた賜物であると,感謝しております.

利益相反

開示すべき利益相反はない.

Notes

本総説は,2023年度退職にあたり在職中の業績を中心に記述されたものである.

REFERENCES
 
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