2025 Volume 145 Issue 7 Pages 617-628
Establishing a robust drug discovery ecosystem is seen as a key priority for enhancing Japan’s drug discovery capabilities. Globally, startups play a significant role in advancing drug discovery. The author’s research demonstrated that startups have recently expanded their role to late-entry drug discovery, the area where large pharmaceutical companies traditionally had strength, while maintaining their contribution to first-in-target drug discovery. Despite the growing importance of startups, Japan has faced challenges in fostering successful drug discovery startups, falling particularly behind in leveraging modality technologies. The development of promising startups requires the establishment of a robust startup ecosystem, as seen in the U.S. and certain European countries. Japan’s ecosystem for supporting drug discovery startups remains fragile due to factors such as low entrepreneurial activity, limited labor mobility, and insufficient investment capital. The author’s research has revealed that in Japan’s unlisted drug discovery startups, “being a corporate spin-off” and “having a leader in research and development with prior experience in corporate R&D” positively impact the startup’s valuation and total funding amounts. In Japan, large pharmaceutical companies still account for the majority of new drug discoveries, with a wealth of promising drug discovery seeds and experienced R&D talent accumulated within these corporations. Facilitating the creation of corporate spin-offs that utilize unexploited seeds within large companies and promoting the transfer of corporate talent to startups could strengthen Japan’s drug discovery ecosystem. This paper will also explore potential policy measures to encourage these developments.
政府は,2023年12月に「創薬力の向上により国民に最新の医薬品を迅速に届けるための構想会議」の開催を発表した.2024年7月30日には,岸田首相(当時)を始め産官学の関係者が参加して「創薬エコシステムサミット」が開かれ,構想会議の中間とりまとめを踏まえた政府方針と工程表が公表された.国は医薬品産業を今後の成長産業と位置付け,日本を「創薬の地」とすべく環境整備を進めている.1)生物の生態系から援用された言葉である「エコシステム」は,イノベーションの世界においては,大企業,スタートアップ,投資家,大学研究者,行政などを内包し,新企業や新製品の誕生を促進するプラットフォームがある状態を意味する.2)こうしたアクター間の関係性は国によって異なり,その国のイノベーションの特性に大きく影響するため,3)エコシステムはその国の環境に応じたあり方を考える必要がある.本稿では,筆者の最近の研究成果を基に,創薬における近年のグローバルな産業構造変化と日本の現状を論じたうえで,日本に適した創薬エコシステムのあり方について筆者のデータを紹介しながら具体的な方策についての提案を行う.
創薬は,大学等で研究された科学知識や技術を製品開発に高く活用する「サイエンス型」ものづくりの代表格として知られる.4)創薬標的分子やメカニズムの情報,医薬モダリティ技術やデリバリー技術などは,その多くがアカデミア研究からもたらされる.そのため,大学発を中心としたスタートアップが創薬シーズの実用化への橋渡しに大きな役割を果たす.創薬のもう一つの特徴は,製品開発の成功率(上市率)が極めて低く,かつ研究開発に長期の時間と多額の費用が掛かることである.創薬プロジェクトの成功率は臨床試験開始からapprovedまでが12.8%である.5)上市新薬の平均研究開発期間は11–14年であり,6)平均開発コストは$1.1 billionである.7)こうしたハイリスクな研究開発に,自社の戦略やポートフォリオを有して至近の利益を上げ続ける必要がある既存製薬企業が初期から幅広く投資することは難しい.むしろ,ブロックバスター新薬の創出によるハイリターンを期待する市場からの投資を活用してスタートアップが研究開発を行うモデルの方が合理的といえる.これらの理由から,世界的には創薬において大学発等のスタートアップが大きな貢献を果たしてきた.アカデミア技術の実用化への橋渡しという役割を考えると容易に理解できる通り,スタートアップは革新性の高い医薬品の創製に特に貢献してきた.1998年から2007年の間にUS Food and Drug Administration(FDA)が承認した革新的新薬のうち約半数は小規模なバイオ企業によって創製されていた.8)筆者の調べでは,2019年から2022年の間にFDAが承認したfirst-in-class新薬のうち62%は,世界医薬品売上上位50位に入っていない中小企業が創製していた.9) 2010年代以降にFDAに承認されたfirst-in-class新薬を分析すると,抗体医薬のGenmab, small interfering RNA(siRNA)医薬のAlnylam Pharmaceuticals, antisense医薬のIonis PharmaceuticalsやSarepta Therapeuticsのように,低分子以外の比較的新しいモダリティ技術に強みを有するスタートアップが高率にfirst-in-class新薬の創製に成功している.9) Coronavirus disease 2019(COVID-19)ワクチンとして初めて実用化されたmRNA医薬の創製を手掛けたのがModernaとBioNTechという2010年前後に設立された大学発スタートアップだったことも,革新的医薬技術の実用化における創薬スタートアップの重要性を再認識させる出来事だったといえよう.10)
2-2. 改良新薬でのスタートアップの存在感の高まりこのように,スタートアップの役割は革新的新薬創製においてクローズアップされてきたが,筆者の研究から,近年はスタートアップの貢献が改良新薬にも広がっていることが明らかとなった.11) FDAが承認したlate entry新薬(ある創薬標的に対して2番手以降に上市した新薬)のうち,世界医薬品売上上位50位に入っていない中小企業(small and medium-sized enterprise: SME)が創製した割合は,2012年から2015年の承認新薬では42%にすぎなかったが,2020年から2023年に承認された新薬では69%に達しており,その割合は有意に増加していた(Fig. 1).一般に改良型イノベーションは大企業が得手とされ,12)医薬品においても改良新薬の創製は大手製薬企業に強みがあった.13)本研究は,この産業構造が変化しており,革新的新薬のみならず,かつては大手製薬企業が得意としていた改良新薬においても主要な創製プレーヤーはスタートアップに変わってきていることを示している.世界の新薬パイプラインのうち,研究開発費$200M以下で売上高$500M以下のemerging biopharma companiesが研究開発している新薬候補は,2001年には全体の3分の1, 2016年には全体の50%以下だったが,2021年には全体の65%に達している.14)もはや,新薬はスタートアップが作る,という時代に突入しているといえる.
This figure was modified from Fig. 1 of Okuyama R., Drug Discov. Today, 29, 103866 (2024).11)
ではスタートアップが創製した改良新薬にはどんな特徴があるのだろうか.2020年以降に承認された改良新薬のうち,SMEが創製した新薬のモダリティの分布をみると,低分子が6割近くを占めていた[Fig. 2a)].低分子創薬は,創薬で長年研鑽を積んだメディシナルケミストの知識と経験に頼る部分が大きく,大手製薬企業内に蓄積されたノウハウが重要視されてきた.15)本データは,多くのスタートアップが低分子による改良新薬を創製できるようになっていることを示しており,大手製薬企業の低分子創薬における優位性は失われつつあることが示唆される.この理由は定かでないが,主に米国では製薬企業の合併・買収及び低分子からバイオ医薬へのトレンドの変化によって,2000年代以降に多くのmedicinal chemistが大手企業での職を失っており,こうした人材がスタートアップに移動した可能性や,16)インシリコ技術の発達17)などで低分子創薬自体がケミストの熟練度にあまり依存しない技術になりつつある可能性が考えられるかもしれない.一方で,スタートアップが創製した改良新薬には,低分子だけではなく抗体,タンパク・ペプチド,核酸と様々なモダリティが使われており[Fig. 2a)],多様なモダリティ技術がスタートアップに活用可能となっている現状がみて取れる.バイオ医薬技術は2010年代前半に成熟化のステージに入ったと言われており,18)技術の一般化によってスタートアップでも多彩なモダリティにアクセス可能となり,改良新薬創製の機会が高まったことがスタートアップの台頭を後押しした一因となっている可能性がある.
a) Distribution of modality. b) Approved timing after first-in-target drug approval. c) Distribution of differentiation points identified by the literature. Abbreviations: Abs, antibodies; ADCC, antibody-dependent cellular cytotoxicity; ADCs, antibody-drug conjugates; Fc, fragment crystallizable region; FIT, first-in-target. This figure was modified from Fig. 3 of Okuyama R., Drug Discov. Today, 29, 103866 (2024).11)
スタートアップが創製した改良新薬のもうひとつの特徴は,上市スピードよりも差別化を重視した創薬が行われている傾向がみて取れたことである.改良新薬は,first-in-class新薬から2年以内の遅れで市場投入することが売上の確保に大事といわれてきた.19)一方,2020年以降に承認された改良新薬では,SMEが創製した新薬の94%がfirst-in-class新薬より2年以上遅れて市場投入されていた[Fig. 2b)].各改良新薬には,薬物動態改善,標的特異性向上,阻害・活性化様式の変更を始めとした様々な差別化戦略が取り入れられており[Fig. 2c)],開発の速さよりも十分な改良を優先した創薬戦略を取っているものと思われる.スタートアップはリソースが限られるうえ,後期開発では大手製薬企業に導出や共同開発するケースが多いため,パートナー探索や契約等に時間を費やすことになる.また,各国とも新薬承認では付加価値を重視する傾向が強まっている.20)これらの要素を考慮すると,改良新薬を創製するスタートアップが,スピードを求めるよりも,後発でも市場を取れるしっかりした差別化を狙うのは合理的な戦略であると思われる.
2章で解説したように,世界では,新薬はスタートアップが作る時代になりつつある.その中で,日本はスタートアップによる創薬が進んでいない.筆者の研究では,2017年から2022年にFDAに承認された新薬のうち,米国企業が創製した新薬の74%,欧州では40%,日米欧以外の地域では72%を1980年以降に設立された新興企業が創製していたのに対し,日本はすべての承認新薬を1980年以前に設立された総合製薬メーカーが創製していた.21)日本メーカーが創製した新薬24個のうち21個は世界医薬品売上上位50位に入っている若しくは売上高が50位にわずかに及ばない製薬企業によって創製されており,歴史の長い大手企業が日本の新薬創製のほとんどを担っていることがわかる.21)評価額が10億ドルを上回る未上場スタートアップはユニコーンと呼ばれ有望企業とされるが,2023年5月時点で評価額の情報が入手できた日本の未上場創薬スタートアップを分析したところ,評価額が250億円を上回る企業はなく,全体の4分の3の企業は評価額が50億円未満であった.22)こうしたスタートアップの未成熟さが,わが国の創薬力低下をもたらしている一因と考えられる.2-1節に解説した通り,近年はモダリティ技術の強みが創薬の競争優位を生み出しており,アカデミアで開発されたモダリティ技術を創薬にトランスレートするスタートアップの役割は重要である.日本企業は抗体医薬を中心としたバイオ医薬品への参入が遅れ,2022年医薬品世界売上高上位100品目に含まれるバイオ医薬品45品目のうち,日本企業が創製したものは2品目しかない.23) 2020年時点の世界医薬品開発パイプラインの中で,日本企業が創製した新薬候補は抗体医薬で全体の3%,遺伝子治療で4%,細胞治療で1%しかなく,バイオ医薬品での出遅れは著しい.24)日本は,新モダリティを用いたCOVID-19ワクチンの研究開発でも世界で後塵を拝した.2020年末にグローバルで最も早く承認され,世界で多数接種されたCOVID-19ワクチンは,mRNAワクチンとアデノウイルスベクターワクチンという新規のモダリティを利用したものであり,創製したのはいずれも大学発スタートアップであった.10)日本は国内での迅速な創製ができずにこれらのワクチンを輸入に頼り,その調達費用が2022年4月時点で累計2兆4000億円に達している(https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220415/k10013583841000.html, cited 17 December, 2024).日本の医薬品貿易赤字は2022年単年で4兆5585億円に上っており,25)国際的にみたわが国の創薬力は強いとはいえない.2-2節に解説したように,スタートアップは革新的新薬のみならず,従来は大手製薬企業が得意としてきた改良新薬の創製でも大きく競争力を伸ばしており,スタートアップが未成熟な日本はこれからますます創薬の国際競争力を失っていくことが危惧される.日本における創薬スタートアップの活性化は,わが国の医薬品産業の衰退を回復させるための喫緊の課題であるといえる.
3-2. 未成熟な日本の創薬スタートアップ・エコシステムでは,日本で創薬スタートアップが十分に育たないのはなぜなのだろうか? スタートアップが成長するためには,それを支えるスタートアップ・エコシステムが必要である(Fig. 3).創薬スタートアップの設立と事業推進には,技術シーズを有して起業する起業家研究者,ビジネス面からスタートアップをけん引する起業家,スタートアップに参画する研究開発人材,資金を提供する投資家等が必要であり,起業家研究者や参画人材を輩出する大学や公的研究機関,人材輩出やアライアンスなどで関係する既存大企業,投資を行うベンチャーキャピタル,そして政策面や資金面からスタートアップを支援する国や自治体の役割が重要である.こうしたステークホルダー達が有機的に連携してスタートアップ・エコシステムが効果的に機能することが,有望な創薬スタートアップを生み出すのに不可欠となる.米国や一部の欧州国では,こうしたエコシステムが強固に構築されており,スタートアップの成長を支えている.COVID-19 mRNAワクチンの創製に成功したModernaとBioNTechの例をみてみよう(Table 1).
This figure was modified from Fig. 1 of Okuyama R., Vaccines, 11, 1737 (2023)10) by translating English text of the figure into Japanese and adjusting the positions of each element.
Type of Resource リソースタイプ | Moderna (Established in 2010) モデルナ社(2010年設立) | BioNTech (Established in 2008) ビオンテック社(2008年設立) |
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Technology seed/scientific background 技術シーズ/科学的背景 | –Pseudouridine discovery by Kariko et al. at University of Pennsylvania ペンシルバニア大Karikoらによるシュードウリジンの発見 –Rossi’s research of cell transformation by mRNA at Boston Children’s Hospital ボストン小児病院RossiによるmRNAを用いた細胞転換の研究 | –mRNA cancer vaccine research by Gilboaat Duke University デューク大GilboaによるmRNAがんワクチンの研究 –Cancer immunotherapy research by Şahin and Türeci at University of Mainz マインツ大ŞahinとTüreciによるがん免疫療法の研究 |
Entrepreneurial scientist 起業家研究者 | Derrick J. Rossi | Uğur Şahin, Özlem Türeci |
Entrepreneur 起業家 | Robert S. Langer | |
Investor 投資家 | Noubar Afeyan at Flagship Pioneering | Thomas Strüngmann, Redmile Group |
Incumbent company 既存企業 | AstraZeneca, Alexion, Merck | Pfizer |
Government agency 政府機関 | DARPA, BARDA, NIAID | |
Investment amount 投資額 | $450M (seed round, 2013) $870M (from AstraZeneca, Alexion, Merck, 2013–2018) $25M (from DARPA), $125M (from BARDA) | $180M & $270M (seed rounds, 2008 & 2018) $305M (from Pfizer) |
This table was modified from Table 2 of Okuyama R., Vaccines (Basel), 11, 1737 (2023)10) by adding Japanese text to the original table.
Modernaは,Karikoらのpseudouridineの発見に触発されたRossi(当時Boston Children’s Hospital)が2010年に設立したスタートアップである.著名な研究者でシリアルアントレプレナーでもあるLangerが参画し,ライフサイエンス投資で実績のあるベンチャーキャピタルであるFlagship Pioneeringが設立当初から多額の投資を行っている.Modernaは設立からわずか3年で$450Mを市場から調達し,その後はAstraZenecaやMerck等の大手製薬企業が共同研究開発等で資金を投入し,その額は2018年までで$870Mに上っている.Defense Advanced Research Projects Agency(DARPA),Biomedical Advanced Research and Development Authority(BARDA),National Institute of Allergy and Infectious Diseases(NIAID)といった政府機関も資金面と人材面で協業した.BioNTechは,がん免疫研究で実績のあったUniversity of MainzのŞahinとTüreciが2008年に設立したスタートアップであり,ドイツで著名な個人投資家であるStrüngmannやRedmile Groupなどのベンチャーキャピタルが初期から投資した.COVID-19発生以前からPfizerが連携しており,研究開発資金が提供されている.これらを合わせると,BioNTechはCOVID-19ワクチン開発以前に1000億円近い資金を調達している.Moderna, BioNTechともにこうした潤沢な研究開発資金を原資に,mRNA医薬に関する様々な技術開発と10本を超える臨床試験をCOVID-19発生前に既に実施しており,これがCOVID-19ワクチンの迅速な開発の成功につながった.26)両社ともにCOVID-19ワクチン上市以前には製品を有しておらず,上述した様々なステークホルダーの協力と莫大な資金調達がなければ,世界を救ったワクチンイノベーションは成し遂げられなかったであろう.
スタートアップ・エコシステムの構築には,人材の交流と流動性が必要である.米国でバイオ集積地として知られるボストンでは,1970年代から90年代にかけてアカデミア,スタートアップ,ベンチャーキャピタル,メガファーマが自発的に集積してエコシステムが構築された.1999年にはインキュベーション施設であるCambridge Innovation Centerができ,起業家,投資家,大企業,企業支援者らが集う交流の場として機能している.27)人材流動性に関しては,米国の労働市場は1980年代から流動性が高まって数ヵ月や数年以内での転職が一般的になっており,これがエコシステム内での人材移動を容易にしている.2)また,高学歴の研究人材にとって大企業の魅力は低下しており,ストックオプションのあるスタートアップでの仕事や自身での起業の方が魅力的になっているという.2)
日本でスタートアップ・エコシステムが十分育たないのは,上述したようなエコシステム構築のための必須条件が整っていないためである.まず,日本人の起業意識は,一人当たりgross domestic product(GDP)が高い国々の中で最も低い.28)企業と大学の間を移動する研究者は極めて少なく,2016年度のデータでは大学等研究機関から産業側に移動した研究者は大学等研究機関の研究者の0.08%,産業側から大学等研究機関に移動した研究者は産業側の研究者の0.9%しかいなかった.29)こうした起業マインドの低さ,投資の不活発さ,研究者の転職意識の低さといった課題は,日本の国民意識や商習慣,社会慣習に根差した問題であり,一朝一夕に解決することは難しい.2001年に大学発ベンチャー1000社計画が経済産業省より発表され,一時的にスタートアップが増えたものの,その数は2007年から頭打ちとなり,バイオスタートアップに関しては計画実施から10年で経済的に大きく成功した企業は存在しなかった.30)すなわち,米国等に追随したスタートアップ促進策を打っても,それだけで日本のスタートアップを活性化させることは難しい.日本には,日本のイノベーション環境や社会風土にマッチした「日本版」創薬スタートアップ・エコシステムを独自に作り上げる必要があるのである.加えて,スタートアップが不活発な日本では,産学連携による創薬やアカデミア創薬の取り組みも活発に行われてきた.31,32)こうした日本の現状を踏まえ,スタートアップ活性化だけに限らない,日本の特色を活かしたより包括的な日本版創薬エコシステムを構築・強化することが,日本の創薬力の向上に何より必要なことだと考える.では,どのようにしたら日本版創薬エコシステムが構築できるのだろうか.その一助となる筆者の研究を4章で紹介し,日本における創薬エコシステムのあり方と政策的方向性を論じたい.
筆者は,大企業内に埋もれている創薬・技術シーズや研究開発人材をスタートアップに活用することが,日本において有望な創薬スタートアップの育成を図るのに有効ではないか,と考えた.米国のバイオ産業では,基礎研究で高い業績を収めるアカデミア研究者がスタートアップ設立などを通じて実用化でも貢献しており,こうした「スター・サイエンティスト」の役割が重要視されてきた.33,34)一方,日本はスタートアップが成熟化しておらず,いまだに大企業が創薬の主要プレーヤーとなっている.日本のバイオ産業では,アカデミア研究者の知見やノウハウは,企業研究者がアカデミア研究にアクセスして企業内に持ち帰ることで応用や製品化に活用される,と言われており,35)実際に産学連携を通じた創薬は多く行われてきた.31)そのため,実用化に向けて橋渡しされる創薬シーズや技術シーズの多くは,大企業の研究開発部門に蓄積されていると考えられる.また,日本の創薬の国際競争力は強くないものの,2017年から2022年にFDAに承認された新薬のうち10%は日本創製であり,21)そのほとんどを国内大手製薬企業が創製していることを考えると,日本の企業研究所には有力な創薬・技術シーズが比較的豊富なはずである.人材に関しては,いまだ終身雇用が根強く転職が一般的ではない日本では,米国などのように,高い人材流動性の元で必要なスキルを有した人材がスタートアップに集まってくる,という環境にはない.大学院等で学んだ高度研究開発人材は,就職した大企業の研究開発部門で長く働き,その中で創薬の専門性を深めていく.したがって,創薬に必要な専門人材の多くは大企業内に存在していて,労働市場にはあまり出てこない,という状況にある.一方で,大企業が社内に蓄積したシーズや人材をすべて生かし切れるかというとそれは難しい.2-1節で述べたように,創薬プロジェクトは成功率が極めて低く,長期の研究開発と多額の資金を必要とするため,継続的な利益創出を求められる大企業はすべてを行うことが難しく,自社の戦略やポートフォリオに合ったプロジェクトを優先することになる.そのため,企業研究者が専門としていた領域や技術が社内で研究できなくなったり,自身の専門と異なる部署に配置転換になったりすることは,大企業内では日常的に起こる.こうした「大企業内に埋もれたシーズや人材」を「外部化」する,すなわち大企業内のシーズを基にして企業スピンオフによるスタートアップを設立したり,大企業の研究開発人材が転職して創薬スタートアップに参画したりすることを促進できれば,日本に有望な創薬スタートアップを増やせるのではないか,と考えたのである.
この考えを検証するため,日本の創薬スタートアップの網羅的データを用いて,「スタートアップが企業スピンオフであること」と「企業での研究開発経験を有する人物がスタートアップの研究開発をリードしていること」が,そのスタートアップの評価額と資金調達総額に正の影響を与える,という仮説を立て,多変量解析でその仮説の実証を試みた.36)スタートアップの評価額と資金調達総額は,その時点での投資家からのスタートアップに対する期待値を意味するため,企業由来のアセットや人材を活用する創薬スタートアップの有望度が高ければ,評価額と資金調達総額に反映されると考えられるからである.データソースとして,日本の技術スタートアップの情報を約18000社収載しているデータベースであるfor Startups Inc.のSTARTUP DBを用いた.STARTUP DBの2023年5月時点の情報から,事業内容として創薬が記載されており,かつ評価額の記載がある未上場スタートアップをすべてリストアップし(82社),リストアップ企業の評価額と資金調達総額をそれぞれ従属変数として重回帰分析を行った.重回帰分析に用いた従属変数,独立変数,コントロール変数の詳細はTable 2に,分析結果はTable 3に示した.分析に用いたデータを収集する過程で一部データが入手できなかったため,評価額を従属変数としたモデルでは79社,資金調達総額を従属変数としたモデルでは77社を分析に用いた.その結果,創薬スタートアップが企業スピンオフである場合は,そうでない場合に比べて有意にスタートアップの評価額(Table 3, Model 1a)と資金調達総額(Table 3, Model 2a)が高かった.また,創薬スタートアップの研究開発をリードする人物(chief technology officer, chief scientific officer, R&D headなど企業によって名称が異なるため,homepageの記載から役割を同定して選定し,chief executive officerが実質兼任している場合はその人物とした)が企業での研究開発経験を有する場合は,そうでない場合に比べて有意にスタートアップの評価額(Table 3, Model 1b)と資金調達総額(Table 3, Model 2b)が高かった.有意性は,評価額や資金調達総額に影響を与えうる複数の因子をコントロールしても保持された(Table 3, lower side).これらの結果から,「スタートアップが企業スピンオフであること」と「企業での研究開発経験を有する人物がスタートアップの研究開発をリードしていること」が,そのスタートアップの評価額と資金調達総額に正の影響を与える,という仮説はいずれも支持された.
Variable 変数 | Definition 定義 | Mean 平均 | S.D. 標準偏差 |
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Dependent variables (従属変数) | |||
1. Valuation (評価額) | Valuation of a startup as of May 1, 2023, in million Yen [2023年5月1日時点のスタートアップの評価額(100万円)] | 4227.74 | 4893.25 |
2. Total funding amount (資金調達総額) | Total funding amount of a startup from its inception, in million Yen [設立からのスタートアップの資金調達総額(100万円)] | 1982.44 | 2338.64 |
Independent variables (独立変数) | |||
3. Spin-off (企業スピンオフ) | Dummy=1 if a startup is spun-off from a company (ダミー変数,スタートアップが企業からのスピンオフの場合1) | 0.11 | 0.31 |
4. R&D lead from industry (研究開発リードの企業経験) | Dummy=1 if the R&D lead of a startup has previous R&D experience in an industry (ダミー変数,スタートアップの研究開発リード人物が企業経験を有する場合1) | 0.46 | 0.50 |
Control variables (コントロール変数) | |||
5. Previous startup management experience (スタートアップ経営経験) | Dummy=1 if a CEO of a startup has previous experience to establish a startup or work in a management team of a startup (ダミー変数,スタートアップのCEOが以前にスタートアップ設立やスタートアップ経営チームの経験がある場合1) | 0.19 | 0.39 |
6. Scientific degree of CEO (CEOの科学の学位) | Dummy=1 if a CEO holds an M.D. or a Ph.D. degree (ダミー変数,CEOが医学博士若しくは学術博士を有していれば1) | 0.65 | 0.48 |
7. Business degree of CEO (CEOのビジネスの学位) | Dummy=1 if a CEO holds an MBA degree (ダミー変数,CEOがMBAを有していれば1) | 0.16 | 0.37 |
8. Number of patents (特許数) | Number of patents filed by a startup (スタートアップが出願した特許数) | 4.05 | 7.46 |
9. Product development stage (製品開発ステージ) | Dummy=1 if a startup has pipeline under clinical trial (ダミー変数,スタートアップが臨床開発ステージのパイプラインを有していれば1) | 0.29 | 0.46 |
10. Business model: Internal drug discovery (ビジネスモデル:社内創薬研究) | Dummy=1 if a startup has its internal drug discovery program (ダミー変数,スタートアップが社内に創薬研究プログラムを有していれば1) | 0.73 | 0.45 |
11. Business model: Provision of platform technology (ビジネスモデル:プラットフォーム技術の提供) | Dummy=1 if a startup provides a technology platform used for drug discovery based on its own technology (ダミー変数,スタートアップが自社技術に基づく創薬技術プラットフォームの提供をしていれば1) | 0.30 | 0.46 |
12. Business model: Contract service (ビジネスモデル:受託サービス) | Dummy=1 if a startup conducts contract service related to drug discovery (ダミー変数,スタートアップが創薬関連の受託サービスを行っていれば1) | 0.21 | 0.41 |
13. Company age (創業年数) | Number of years since the establishment of a startup (スタートアップ設立からの年数) | 7.79 | 6.21 |
The definition, mean, and standard deviation of each variable used for multiple regression analysis are presented. This table was modified from Table 1 of Okuyama R., J. Risk Financial Manag., 17, 539 (2024)36) by adding Japanese text to the original table.
Variables (変数) | Dependent variable (従属変数) | |||
---|---|---|---|---|
1. Valuation (評価額) | 2. Total funding amount (資金調達総額) | |||
Model 1a | Model 1b | Model 2a | Model 2b | |
No control variables (コントロール変数なし) | ||||
3. Spin-off (企業スピンオフ) | 5200.55** (1639.43) | 2036.04* (799.58) | ||
4. R&D lead from industry (研究開発リードの企業経験) | 3385.18** (1061.28) | 1629.02** (502.87) | ||
Control variables included (コントロール変数を含む) | ||||
3. Spin-off (企業スピンオフ) | 5301.20*** (1487.16) | 1981.22** (745.66) | ||
4. R&D lead from industry (研究開発リードの企業経験) | 3268.91*** (948.15) | 1513.67** (459.77) | ||
5. Previous startup management experience (スタートアップ経営経験) | −1795.89 (1237.27) | −2597.62* (1286.64) | −696.81 (620.37) | −1024.32 (623.91) |
6. Scientific degree of CEO (CEOの科学の学位) | −578.57 (1008.22) | −915.65 (1046.06) | −73.02 (505.52) | −179.99 (507.25) |
7. Business degree of CEO (CEOのビジネスの学位) | 39.74 (1502.32) | 71.73 (1528.59) | −739.50 (753.27) | −677.44 (741.23) |
8. Number of patents (特許数) | 299.38*** (80.77) | 227.58** (80.46) | 128.68** (40.50) | 100.52* (39.02) |
9. Product development stage (製品開発ステージ) | 3736.44** (1353.71) | 4179.06** (1363.97) | 1976.77** (678.75) | 2147.71** (661.41) |
10. Business model: Internal drug discovery (ビジネスモデル:社内創薬研究) | −132.72 (1309.71) | 831.46 (1346.00) | −163.40 (656.69) | 281.94 (652.69) |
11. Business model: Provision of platform technology (ビジネスモデル:プラットフォーム技術提供) | 1629.54 (1292.42) | 1866.34 (1323.99) | 417.78 (648.02) | 549.51 (642.02) |
12. Business model: Contract service (ビジネスモデル:受託サービス) | 2201.67 (1424.83) | 2011.76 (1453.73) | 684.14 (714.41) | 561.22 (704.93) |
13. Company age (創業年数) | −238.04 (131.43) | −138.68 (132.44) | −79.57 (65.90) | −46.00 (64.22) |
Adj R-2自由度調整済み決定係数 | 0.35 | 0.35 | 0.28 | 0.32 |
N例数 | 79 | 77 | 79 | 77 |
Standard errors are in parentheses. ***p<0.001, **p<0.01, *p<0.05. This table was modified from Table 3 of Okuyama R., J. Risk Financial Manag., 17, 539 (2024)36) by adding Japanese text to the original table.
重回帰分析に用いたデータには,企業スピンオフは9社含まれており,このうち5社は2017年に武田薬品が行った研究開発再編の中で一部の創薬プロジェクトをジョイントベンチャーに移行させる措置を取ったことにより設立された企業群であった(https://asia.nikkei.com/Business/Takeda-transferring-some-drug-development-to-joint-venture, cited 17 December, 2024).このため,一過性の現象の影響を受けている可能性は否定できず,結果の一般化には注意を要する.しかしながら,今回の分析に用いたスタートアップの平均評価額が約42億円(Table 2,従属変数1のMean参照)であるのに対して,スタートアップが企業スピンオフであることは評価額を約52億円増加させる効果があり(Table 3, Model 1a 3.企業スピンオフの偏回帰係数を参照),スタートアップの有望度に与える影響は大きいと考えられる.今回のデータに含まれる9社の企業スピンオフは,すべて大企業内部のシーズを活用して設立された企業であることを確認しており(Ref. 36のAppendix A参照),日本の大企業が有するシーズのうち有望ではあるが企業内で研究開発を継続できないものについて,スピンオフ企業を作って実用化を進めることの意義が示されたものと考える.ただし,本データに含まれる企業スピンオフ9社のうち6社は2017年以降に設立されており,実際に新薬開発で成功を収める創薬スタートアップが企業スピンオフから高率で出現するかについては,今後の動向が待たれる.
スタートアップの研究開発をリードする人物が企業での研究開発経験を有するケースでは,1例を除いてすべての人物が企業で10年以上の研究開発経験を有しており,残り1例も6年の経験を有していた.企業での豊富な研究開発経験が創薬スタートアップの有望度を高める効果が期待される.人材流動性が低く,スタートアップに必要な人材が集まり難いと考えられる日本では,大手製薬企業等で経験を積んだ研究開発人材がスタートアップに参画する機会を増やすことで,有望な創薬スタートアップの育成につながると思われる.
本結果は,未上場創薬スタートアップで評価額データが利用可能なすべての企業のデータを用いたものであるが,例数が82社と少なく,データの一般化には今後更なるデータの上積みやケースの検証が必要である.また,創薬の成否ではなく企業の評価額を従属変数に用いているが,当然ながら投資家からの評価の高さが新薬創製の成功をダイレクトに説明する訳ではないため,その点も研究の限界である.一方,評価額が1位と3位の企業は企業スピンオフではなかったため,企業スピンオフ群に評価額が極端に高い外れ値があって分析に影響している可能性は低いだろう.日本には創薬スタートアップが少なく,新薬創製に成功したスタートアップはほぼ存在しないため,実証研究には限界があるが,日本で機能し易い創薬スタートアップのあり方を考察する一つの材料になり得る結果ではないかと考える.
4-2. 日本版創薬エコシステムの確立に向けた政策的可能性4-1節で紹介した研究より,大企業からのスピンオフによるスタートアップの設立を促進することと,企業で経験を積んだ研究開発人材のスタートアップへの移転を促進することが日本版創薬エコシステムの強化につながると考えられた.本項では,そのための政策的可能性について論じたい.まず,主に国内の大手製薬企業には,企業内で埋没した創薬・技術シーズを基にした企業スピンオフによるスタートアップの設立を強力に推進して欲しい.そのために,政府は企業スピンオフを創出した大企業への税制優遇や助成を行うべきである.また,大企業からスピンオフして設立されたスタートアップに対する税制優遇や,企業スピンオフに出資するファンディングスキームの策定を行うべきである.こうした施策によって,大企業側は自社のアセットを外部組織でインキュベートさせるモチベーションが高まり,企業スピンオフを設立したりそれに参画したりする大企業人材も増えるはずである.
企業における研究開発経験者のスタートアップへの移転を促進するには,熟練した創薬研究開発人材の大きなプールを持つ国内大手製薬企業をターゲットとして,企業の研究開発部門で十分な専門能力発揮の場を持てなくなった人材が,転職してスタートアップに参画するモチベーションを高めることが必要である.そのために,大企業からスタートアップへ転職した人材に対する税制優遇や転職奨励金の交付などを行うべきである.転職に伴う給与格差がハードルの一つになる可能性があるため,転職後一定期間給与の差額を補償するなどの大胆な制度の導入も望まれる.創薬スタートアップの成功事例を作り,ストックオプションの魅力を強調することや,成功者のモデルケースをアピールすることもスタートアップへの転職を促進するのに有効だろう.また,大企業とスタートアップの人材マッチングの促進や支援を進めるべきである.製薬企業の研究開発人材が情報を登録できる公的人材バンクを作り,スタートアップがスカウトをかけるなどの仕組みを整備するのもよいだろう.
税制優遇や助成といった金銭的優遇以外で,日本の雇用慣行や大企業中心のイノベーションシステムにおいて実装可能な方策を考えることも必要である.起業のリスクヘッジという意味合いでは,起業人材の雇用の受け皿を充実させることは重要と思われる.例えば,大企業が,企業スピンオフに挑戦した人材が希望した場合再雇用を認める出戻り制度の導入などは,大企業人材の起業マインド向上に有効かもしれない.米国では,サイエンスとビジネスの両方に専門性を有した科学行政官がSmall Business Innovation Research制度を介した技術スタートアップの成長に大きな役割を果たしており,日本で大企業とスタートアップ創業の両方を経験して研究と経営の両面を学んだ人材を,国がスタートアップ支援人材として雇い入れる制度の導入なども考えられるかもしれない.
日本人の起業意識の低さを考慮すると,失敗するリスクを担保しながら創薬スタートアップ的な活動ができる官製組織を作ることも,一つの選択肢であると思われる.すなわち,大学や既存企業の創薬・技術シーズを創薬応用につなげる活動に特化して研究開発を行う国の機関を作るという発想である.自身のシーズを実用化につなげたいが起業には尻込みするアカデミア研究者や,所属企業でお蔵入りとなったシーズを自身の手で進めたい企業研究者,そうした活動に参画したい研究開発人材が集い,公的機関での身分保障を受けながら創薬スタートアップと同様の活動を行えるようにするのである.その中からブロックバスター新薬が生まれ,その利益を国庫に還元することで次の原資を生み,自走化を実現できれば,日本の環境に合う持続可能な創薬の仕組みになり得るのではないかと考える.筆者は,このアイデアを2021年にシンポジウムで提案した.37)類似のアイデアが2023年12月に内閣府からなされており,これは「先端創薬機構」という医薬品発見・臨床開発に特化した国の機関を創設する提案であった.38)本提案の進捗は不明だが,国は2025年1–2月頃に一般社団法人「創薬力強化機構」を設立し,創薬シーズの研究開発力強化のためのファイナンスの仕組み導入や海外からのアクセラレーター人材の雇用などを行うと2024年12月に発表した(https://nk.jiho.jp/article/195132, cited 17 December, 2024).本機構の詳細は本原稿執筆時点で不明だが,日本版創薬エコシステムの構築を目指す取り組みとして注視したい.
本稿では,スタートアップが以前にも増して存在感を高めている世界的な創薬の産業構造変化の中で,日本がその流れに乗り遅れて競争力を低下させている現状をレビューし,日本の創薬エコシステム強化の重要性を唱えた.一方で,大企業が長年研究開発をリードし,起業意識と人材流動性が低く,投資マネーが少ない日本のイノベーションシステムにおいて,米国式のスタートアップ促進策は効果が薄く,日本の環境や国民気質にマッチした日本版創薬エコシステムの構築が必要なことを述べた.その一つの解になり得る知見として,筆者の最近の研究では,「スタートアップが企業スピンオフであること」と「企業での研究開発経験を有する人物がスタートアップの研究開発をリードしていること」が,日本の創薬スタートアップの評価額と資金調達総額に正の影響を与えることを示した.大手製薬企業内のアセットを活用した企業スピンオフによるスタートアップの設立と,企業内創薬研究開発人材のスタートアップへの移転を促進することが日本の創薬エコシステム強化に有効と考えられ,その推進のための政策アイデアを論じた.国に根付いたイノベーションシステムを変えることは容易ではないが,小さな打ち手を積み重ねて創薬スタートアップ活性化の道筋を追求することが肝要であろう.かつてものづくり大国であった日本の産業競争力は,IMDが発表する世界競争力ランキングで1989–92年に1位だったのが2024年には38位まで落ち込み,その中でも多額の貿易赤字を計上している医薬品産業は日本衰退の象徴のひとつである.その一因は,国の研究開発を終身雇用制の大企業がけん引するモデルから長年脱却できず,国の経済発展に必要不可欠なスタートアップを育成してこられなかった日本のイノベーションモデルにある.日本の社会環境や商習慣を考慮しつつ,国の創薬力の向上を図れる日本版創薬エコシステムの確立は待ったなしの国家課題であり,本稿がその推進の一助になれば幸いである.
本稿のFig. 1及びFig. 2のオリジナル版は,Okuyama R., Drug Discov. Today, 29, 103866, Copyright Elsevier(2024)に公表されている.両図の改変はElsevier社の確認の下に行った.
スタートアップのデータを御提供頂いたfor Startups Inc.に感謝いたします.
奥山 亮は,国立研究開発法人日本医療研究開発機構(Japan Agency for Medical Research and Development: AMED),九州大学学術研究・産学官連携本部,鹿児島大学大学院理工学研究科のアドバイザーとして活動している.また,九州・沖縄圏大学発スタートアップ・エコシステム(Platform for All Regions of Kyushu & Okinawa for Startup-ecosystem: PARKS)及び九州大学QUICK大学発医療系スタートアップ支援プログラムのファンディング審査員を務めている.また,for Startups Inc.より学術研究目的でのデータ提供を受けた.