四六年の短編小説は、三部作のスケッチとしてのおおかたの見方は固まっているようである。しかし、この四作は、一人の人物の四つの相と見ることができる。そこで、その各相を見ていくことにより、語り手や語りの場の設定を、ベケット的有機的な発展として再確認することが本論の目的である。「初恋」における生と死の問題。またそれを語るベケット的には未熟な語り手。「追い出された男」の道化た態度と語り。「鎮痛剤」の肉体を持つ語り手の死と、語られた世界での復活。「終わり」の終わりなく読く語りの世界。このように捉えることによって、明確に三部作の橋渡しになるし、もともと四作をまとめて出版しょうとした意図が読み取れるのではないか。