立原道造は、詩人として本格的な出発を果たす以前の昭和六年、前田夕暮主宰の短歌結社白日社(機関誌『詩歌』)に入会し、一年ほど自由律短歌の創作を試みている。こののち立原は、短歌から身を引くのと踵を接する形で詩作に専念し、周知のように昭和詩史の上に清らかな独自の航跡を残してゆくのであるが、小稿は、立原の文学的生涯の中で初期の『詩歌』時代がいかなる意味を有するのか検討を加えたものである。当時の立原は、前田夕暮の散文集『線草心理』を耽読したと想像される。その『緑草心理』の感覚の美しさが若き立原にいかなる影響を与えたのかという点に焦点を据えて考察し、それをふまえた上で立原の自由律短歌作品の特質を分析した。死と虚無感の揺曳、夢と現(うつつ)のあわいを縁どる少年性といったモチーフをはらむ立原の文学世界を、現実的社会的側面を重視しがちな当時の短歌界の潮流や、さらにモダニズムの大きなうねりと対比させつつ考察を進めた。