山梨英和短期大学紀要
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蕪庵とその周辺の俳諧 四
白倉 一由
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2000 年 34 巻 p. 75-90

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抄録

清水彦貫と『旭露集』の刊行による蕪庵の俳語活動の究明である。彦貫については現高根町五町田一五一八-二番地にある「清水彦貫墓」の裏面に略歴が刻まれている。職業は酒造業であったが、俳語を好み蕪庵三世宗匠守彦について学び、蕪庵四世宗匠に成る。彼の俳語は八ヶ岳南麓の自然と人事の真相を詠んだ蕉風俳譜であった。句に彼の誠実・謙虚な心が表現されている。彦貫は誠実・温厚であり、師を尊敬し門人の指導には愛情深かった。自分の家を対岳楼と称して友を歓迎したので、多くの文人墨客が訪れ峡北の行脚問屋と言われた。『旭露集』には五八〇句・和歌二首・漢詩二首掲載されている。近郷近在を初めとして甲斐国の主要の俳人、北は松前から南は日向・薩摩までの全国の俳人が投句している。『旭露集』は守彦の追善俳語集であるが、「闌更仏」「可都里仏」「蟹守仏」のように闌更を初めとして闌更の門人、可都里を初めとした蕪庵の各宗匠を追善する姿勢がある。蕪庵の俳人は各宗匠を敬慕している。蕪庵の俳語は蕉風俳譜であるとする強い意識があり、それは闌更を始祖とし、その理念を伝統として厳守しようとする意志がある。その指導者の一人が彦 貫である。

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