山梨英和短期大学紀要
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34 巻
選択された号の論文の7件中1~7を表示しています
  • 小菅 健一
    原稿種別: 本文
    2000 年 34 巻 p. 1-12
    発行日: 2000/10/10
    公開日: 2020/07/20
    ジャーナル フリー
    〈演劇〉関係の理論的・実践的な講義を担当する機会を与えられたことによって、教材の選択や教授方法といった実際的な問題に対しての試行錯誤から、表現文化としての存在意義やその位置付けといったことの考察における悪戦苦闘の経験がベースになって、〈演劇〉が様々な表現文化のエッセンスが複合的に絡み合った、他に例の見られない特殊な芸術として、興味深い様相を呈していることを、その表現構造から見出すことができる固有性、つまり、観客の眼前において、リアルタイムで上演されることによって作り出される、不可逆的な時間の流れという時間芸術性と、役者という生身の肉体を様々に駆使して演じられる、ライブ感に溢れた〈芝居〉という身体表現の集積、そして、観客の存在が融合することによって成立する劇場空間という空間芸術性が、相乗効果を発揮しているという事実関係に基づいて考察している。これまで、各論的に論じられることが多かった〈演劇〉を、総論として、つまり、様々な表現文化の複層的存在として、一つ一つの文化に内包されている表現としての可能性について、それぞれの文化を語るのにふさわしい〈ことば〉で論じていくことを提唱している。
  • 荒井 直
    原稿種別: 本文
    2000 年 34 巻 p. 13-27
    発行日: 2000/10/10
    公開日: 2020/07/20
    ジャーナル フリー
    (一)で、「表現文化」と「ギリシアの演劇」とを関連づける課題を示す。 (二)では、(1)「表現」は実体としてあるのではなく、人間の主体的享受過程を媒介にした現象として成立すること、(2)「文化」の「表現」には直示・共示が重層していることを例示する。 (三)では、「表現」・「文化」を軸にして何らかの現象を扱う場合、(1)「表現文化」はその対象の大きさゆえに原理的に基礎論や方法論が整備され得ないため、「ディシプリン」として研究・教育が不可能だろうという問題点が予想されること。しかしその反面で、とくに(2)「表現」という概念は、研究の伽になっているような不要な概念を再検討するため、また従来の専門の枠を超えて自由に対象にアプローチするため、有効に機能する可能性があること。この二点を論じた。 (四)において、ポリス・アテナイの「民主政につよく規定された文化」のなかに、ドラマ上演という「表現=行為」を位置づけるというアプローチが、ドラマのもつ文化=政治的アスペクトの理解において有効であること管見する。 (五)には、いささか主観的な考えを述べた。
  • 川口 清泰
    原稿種別: 本文
    2000 年 34 巻 p. 29-59
    発行日: 2000/10/10
    公開日: 2020/07/20
    ジャーナル フリー
    ノースロップ・フライの『批評の解剖』中の喜劇を扱った「春のミュトス 喜劇」には、西洋の喜劇におけるプロットや登場人物に関する約束事が網羅されている。その約束事の主要な箇所が、シェイクスピアの喜劇『ヴェニスの商人』および筆者の喜劇『公園で生れた恋』にいかに適用されているかを見る。これにより、二千年を越える喜劇というジャンルの息の長さ、作品間の類似性が理解できる。最後に『公園で生れた恋』の前半を掲載する。
  • 川島 秀一
    原稿種別: 本文
    2000 年 34 巻 p. 61-73
    発行日: 2000/10/10
    公開日: 2020/07/20
    ジャーナル フリー
    『三四郎』『それから』『門』のいわゆる前期三部作を起点として、そこに表現される〈男と女〉の物語を読み解きながら、〈漱石〉というテクストに立ちあらわれて-る《女》の身体とその〈言葉〉の意味について考察する。例えば、女たちの言葉は〈結婚という制度〉に探く拉致され、抑圧され、閉ざされているようにみえる。しかし、晩年の作品に至り、女たちの言葉は鋭く反転し、それまで閉ざされつつづけてきた男たちの制度や社会の根源にむかって激しく異議申し立てをおこなっている。そこでは、自己を支えるべきいかなる根拠をも見いだし得ないという空虚感こそがその〈女たち〉の〈言葉〉の先端を洗っているのであり、そこに紡がれる〈女〉の〈言葉〉はまた、男たちが紡ぎだしてきた《近代》という《物語》そのものを激しく拒絶している。
  • 白倉 一由
    原稿種別: 本文
    2000 年 34 巻 p. 75-90
    発行日: 2000/10/10
    公開日: 2020/07/20
    ジャーナル フリー
    清水彦貫と『旭露集』の刊行による蕪庵の俳語活動の究明である。彦貫については現高根町五町田一五一八-二番地にある「清水彦貫墓」の裏面に略歴が刻まれている。職業は酒造業であったが、俳語を好み蕪庵三世宗匠守彦について学び、蕪庵四世宗匠に成る。彼の俳語は八ヶ岳南麓の自然と人事の真相を詠んだ蕉風俳譜であった。句に彼の誠実・謙虚な心が表現されている。彦貫は誠実・温厚であり、師を尊敬し門人の指導には愛情深かった。自分の家を対岳楼と称して友を歓迎したので、多くの文人墨客が訪れ峡北の行脚問屋と言われた。『旭露集』には五八〇句・和歌二首・漢詩二首掲載されている。近郷近在を初めとして甲斐国の主要の俳人、北は松前から南は日向・薩摩までの全国の俳人が投句している。『旭露集』は守彦の追善俳語集であるが、「闌更仏」「可都里仏」「蟹守仏」のように闌更を初めとして闌更の門人、可都里を初めとした蕪庵の各宗匠を追善する姿勢がある。蕪庵の俳人は各宗匠を敬慕している。蕪庵の俳語は蕉風俳譜であるとする強い意識があり、それは闌更を始祖とし、その理念を伝統として厳守しようとする意志がある。その指導者の一人が彦 貫である。
  • 井草 清志
    原稿種別: 本文
    2000 年 34 巻 p. 140-124
    発行日: 2000/10/10
    公開日: 2020/07/20
    ジャーナル フリー
    我国のODAは1991年から9年連続で世界一であり、昨年は1兆7000億円以上の巨額の経済支援を実施した。日本の経済援助は発展途上国の経済発展に大きく貢献しているといえるが、他方さまざまな問題を引き起こしているのも紛れもない事実である。わが国のODAはダムや道路などの社会資本整備がその中心を占めるが、そうした公共投資型のODAは経済成長率をアップさせるのには有効であるが、ODAのおおきな目的である貧困撲滅には有効とはいえない。各国政府や国際機関が公言しているように貧困撲滅がODAの最大の目標であり、途上国の自立的経済発展を望むなら、従来の公共投資型のハード中心の経済援助から、人材育成のための教育投資などのソフト中心の援助政策に転換すべきである。
  • 窪内 節子
    原稿種別: 本文
    2000 年 34 巻 p. 108-94
    発行日: 2000/10/10
    公開日: 2020/07/20
    ジャーナル フリー
    短大生における教育実習前後での教師イメージの変化を見ることで、教育実習の意味や効果の検討を試みた。そこで、森谷(1986)の提案した方法である九分割統合絵画法を用いて、本学の教職課程を履修した3年間の学生88名に対して、実習前と実習後に実験を行った。描かれた描画内容を実習前後でその頻度数を集計し、統計的処理を行った。その結果、描画内容が実習前後で大きく変化することが分かった。実習前では、教師イメージがあいまいであったり、教師を嫌な人と捉えていることが多かったが,実習後には、単なる物体のイメージの数は減り,教育実習での体験のイメージが有意に増加した。また、教育実習前後での教師イメージ変化を「絵よりも言葉に表れたもの」、「絵の内容が豊富になることに表れたもの」「筆圧の変化に表れたもの」の3つの事例から、教育実習が学生に与える影響を個別的に検討した。
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