1930年前後の横光利一を考える際、「新心理主義文学」という〈モード〉とあわせて、伊藤整は横光の近くにしばしば位置づけられてきた。しかし、こうした認識は戦後伊藤が横光文学を語るなかで提出した文学史的な見取り図に引き寄せられているように思えてならない。本稿は1930年前後の若い文学者たちが、〈翻訳〉という営為を軸に結びつくなかで形成された同時期の〈文学者ネットワーク〉の一部を整理し、そのうえで伊藤と横光の小説実践の比較をとおして両者の「心理」をめぐる認識の相違を考察した。事後的に「新心理主義文学」という枠組みに押し込められる両者の関係性の近さと遠さの一端を明らかにした。