越後地方では, 江戸時代中頃より奉公人や大工・木挽等の職人としての出稼ぎが行われていた。奉公人出稼ぎは文化・文政の頃を過ぎると徐々に衰退して職人出稼ぎにが盛んとなった。江戸時代末から明治・大正になると, 職人出稼ぎのうち屋根屋出稼ぎや酒造業出稼ぎが盛んになった。屋根屋出稼ぎは大正から昭和の10年代が最も隆盛であり, それが第二次世界大戦後も続き, 昭和50年代に入ると著しく衰退した。屋根屋出稼ぎの多い地域は, 頸城, 魚沼, 三島, 野積, 東蒲原, 下越の6つに分けられる。頸城のうち, 中頸城の屋根屋は主として信州に出, 東頸城からは上州に出たが, 両地域の屋根屋の中には, 信州と上州を掛け持ちする人もあった。魚沼と三島の屋根屋は上州に多く出た。野積の屋根屋は他の地域の屋根屋と異なり, 夏は県内を得意場とし, 冬は酒造業出稼ぎをする人もあった。東蒲原の屋根屋は冬に福島県の中通り等に出, 夏は会津盆地に出た。また下越の屋根屋は秋の収穫後に小国地方の屋根を葺き, その後福島県北部へ出稼ぎをしていた。
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