本研究は,1980年代以降イギリスで発展したロカリティ研究を援用し,東京都田無市と保谷市の合併における社会経済的・政治的要因について明らかにした.両市は高度経済成長期において急速にベッドタウン化し,都市基盤整備が遅れた.このため,田無市は1980年代以降,大工場からの税収を基に,田無駅北口再開発などの都市基盤整備を推進した.さらに,1990年における田無市長の発言により,同再開発の推進を目的とした両市の合併問題が浮上した.これを受けて,財政基盤の脆弱な保谷市では,青年会議所などが合併推進活動を展開させたが,田無市民の合併への関心は低かった.しかし,その後の景気低迷により,同再開発は田無市への大きな財政的負担となった.さらに,田無市の大工場では生産規模が縮小し,それに伴い,田無市の法人地方税収も減少した.こうして,共に財政状況の悪化した両市は,財政基盤の強化を目的として合併したのである.
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