日本の凍上研究の原点を顧みると,中谷宇吉郎に行き着く.今から80年ほど前の太平洋戦争直前に,北海道や満州(現在の中国東北地域)の寒冷地の鉄道では,列車の速度を夏期だけでなく冬期も高速に保ち,輸送力を増強したいという需要の高まりから,線路の凍上対策が切迫した課題であった.中谷はもち込まれたこの課題をどのような視点で捉え,どのように解決を図ったのか,その過程を論文や随筆から回顧した.学生時代,寺田寅彦の門下生であった中谷は,寺田から霜柱の現象の面白さを知り,現象をよく観察することの大切さを学ぶ.やがて同窓の友人・三石巌が指導した自由学園の霜柱研究の成果をみて絶賛する.後に地表の霜柱と凍上を起こす地下の霜柱・アイスレンズとは同じ現象であると考え,現場調査で現象をよく観察し,室内凍上実験でそれを再現し,満州の永久凍土調査で凍上量・沈下量を予測する.中谷の凍上研究の背景には,寺田の他に,門下生で物理学科の同級生・桃谷嘉四郎や,満州鉄道の保線責任者で高校時代からの友人・高野與作の存在が欠かせない.雪結晶の研究で世界的に有名な中谷宇吉郎であるが,凍上研究でも彼の偉大な研究者の側面が伺える.
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