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クエリ検索: "アクターズスクール"
5件中 1-5の結果を表示しています
  • 銘苅 純一
    人間生活文化研究
    2012年 2012 巻 22 号 109-132
    発行日: 2012年
    公開日: 2012/10/12
    ジャーナル フリー
      本稿では、目取真俊「虹の鳥」の初出本文と初版本文の異同を調査した。その結果、2004年に『小説トリッパー』(冬号、朝日新聞社)に掲載された初出と、2007年に単行本化された『虹の鳥』(影書房)には、多くの異同が見られた。異同の総数は469箇所で、そのほとんどは初出と初版の読者層の違いによるルビの削除や、若干の加筆修正であった。しかし、特筆しべき点として、姉・仁美が米兵にレイプされるという設定が加筆されていること、仁美・マユ・1995年の少女暴行事件の被害者が重なりをもって描かれることの二点が挙げられる。これは初出の書評などで述べられた、「人間らしく」描かれる仁美が目取真の思想の変化を示唆するといった指摘への反駁によるものと推察される。すなわち、「人間らしさ」を維持した仁美に希望を託すといった安易な評価は、仁美へのレイプという加筆によって拒絶される。
  • ポピュラー音楽研究
    2000年 4 巻 102-128
    発行日: 2000年
    公開日: 2009/10/29
    ジャーナル フリー
  • ――観光化とそのプロセスを通して――
    澤田 聖也
    年報カルチュラル・スタディーズ
    2020年 8 巻 101-125
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/10/09
    ジャーナル オープンアクセス
     本論文では、沖縄の民謡クラブ(復帰前)と民謡酒場(復帰後)のコミュニティに注目し、両者のコミュニティがどのように変化してきたのか、そのプロセスを明らかにする。一般的に、現在の民謡酒場は観光芸術の文脈で語られ、観光客が期待する「沖縄らしさ」を演出したものになっている。しかし、民謡酒場の歴史を辿ると1960年代に民謡酒場の前身である民謡クラブから始まり、そこでは、地元の演奏者と客の相互コミュニケーションを通した強いコミュニティが形成されていた。民謡クラブには、観光芸術とは無縁の空間が広がっていた。だが、1972年に沖縄が本土復帰を果たすと、沖縄には、観光客が訪れるようになったことで、民謡クラブの客層が徐々に地元民から観光客に移り、それに伴いながら民謡クラブのシステム、音楽、環境なども変化していった。
     復帰前の民謡酒場が、「演奏者―客」の連帯感が強い相互コミュニケーションがあったコミュニティに対し、復帰後は、「演奏者―客」の連帯感が弱いコミュニティーになった。それは客層の変化も大きく関係しているが、それ以外にもコミュニティの紐帯を強固にしたり、緩めたりする要素が含まれている。コミュニティの形成には、人と人の関係性だけでなく、モノと人の関係性も重要であり、ANT の視点も入れながら、本論文では、復帰前後のコミュニティの変化のプロセスを明らかにする。
  • 民謡クラブ・民謡酒場という『場』に着目して
    澤田 聖也
    島嶼地域科学
    2020年 1 巻 95-114
    発行日: 2020年
    公開日: 2020/09/12
    ジャーナル フリー
    現在,唄者は沖縄民謡の担い手として,テレビ,ラジオ,レコードなどのメディアやフェスティバルやイベントなどの出演,民謡酒場での演奏など多岐にわたる活動をし,人々から高い支持を得ている。しかし,唄者の歴史を沖縄戦前後まで遡ると,現在の唄者のイメージや役割と大きく異なり,世間一般的に高い評価を得るような存在ではなかった。唄者のイメージは時代を下ることにプラスになり,それに伴い唄者の役割も変化していった。  本論文では,1945年から2000年代における民謡クラブと民謡酒場の専属唄者の活動を通して,第一に唄者に対するイメージの変化,第二に唄者の役割の変化を明らかにすることを目的としている。
  • ポピュラー音楽研究
    1998年 2 巻 70-92
    発行日: 1998/11/30
    公開日: 2009/10/29
    ジャーナル フリー
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