本稿では、山梨英和女学校一代目校主・新海栄太郎の弟であり、二代目校主であった新海祐六について、彼の生い立ちに沿い、特に14 歳から学んだ同志社在学時代に焦点を絞り、論を進める。彼は1886 年から在学した同志社時代に校祖である新島襄をはじめ同志社初期の師友との交わりの中で、会衆派主義の精神と生き方に触れる。そして、1889 年には同志社教会牧師であった金森通倫より洗礼を受けクリスチャンとなる。祐六がクリスチャンとしてのアイデンティティーを確立し深めながら数年を過ごした同志社は、会衆派の特色が色濃く、彼は意識しないままに、それゆえに彼の精神と生き方の深い部分で、会衆派の影響を強く受けることになる。このことは、のちに山梨英和女学校と関わる中で、校訓のひとつである「自修」という言葉に結実していくことになったと思われる。
抄録全体を表示