本論文は、増村保造の映画に現れる空間の特殊性を考察する。増村の映画には、男女間の非対称な権力構造を内包した閉ざされた空間が頻出する。これまでの増村に関する批評では、そのような空間の持つ閉塞性を打破する存在として、俳優、特に女性の身体に着目した論考が多かった。とりわけ、増村の多くの映画で主演として存在感を放った若尾文子が、増村映画を論じる際の重心として、論者の関心を引いてきた。本研究では、増村保造の映画における、男女を閉じ込める閉ざされた空間としての「閉域」に着目し、このような閉域が映画にどのようなかたちで現前しているのかを分析する。
まずは、『盲獣』(1969)の美術セットによる特異な「閉域」の存在に着目する。この映画と江戸川乱歩による原作小説との差異の分析を通して、映画においては閉域を満たす暗闇が強調されていることを明らかにする。また、やはり閉域の暗闇を胚胎する『音楽』(1972)においては、閉域の暗闇が、その外部空間へも拡張することを論証する。これらの映画を分析することによって明らかになるのは、増村の映画空間における暗闇の重要性である。最後に、増村保造の初期作品における暗闇の位置づけを分析することで、暗闇の「黒」という色彩が、封建的な家族制度や社会構造からもたらされた権力性を内包していたことを明らかにする。
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