1 はじめに:南部アフリカのザンビア-ジンバブウェ国境に位置するカリバ湖は、1950年代後半に
カリバダム
の建設にともない誕生した人造湖である。カリバ湖の主要な商業漁業資源のひとつに、カペンタ(Limnothrissa miodon)と呼ばれるニシン科の小魚がある。塩干加工された魚は、両国に広く流通し、人々の重要なタンパク源となっている。カペンタは、ザンビア-タンザニア国境に位置するタンガニイカ湖の在来種であり、1960年代にカリバ湖に導入された。現在、カリバ湖沿岸では、ディーゼルエンジンを搭載した鉄製の双胴船により、敷き網漁が行われている。これは、起源地であるタンガニイカ湖の漁法(船外機つきボートと木造カヌーを組み合わせた巻き網漁)とは異なるものである。また、アフリカ他地域と比較しても、カリバ湖の商業漁業は人数や方法、漁具等の面で近代化している。そのため、その成立の背景を明らかにすることはアフリカ漁業文化の多様性を検討する上で重要である。 本研究では、カリバ湖におけるカペンタ漁の漁法が成立した過程を明らかにし、その背景を環境・人為両面から考察することを目的とする。
2 方法:現地調査は、ザンビア南部州シアボンガおよびジンバブウェマショナランドウェスト州カリバを対象に2012年から2015年まで断続的に行った。両調査地はカペンタ漁の拠点として発達した地方都市である。現地調査では、カペンタ漁に携わる漁業者、造船業者と船大工への聞き取り・参与観察を行った。また、両国における漁業の発達や制度に関する歴史資料の収集を行った。
3 結果と考察:調査の結果、カリバ湖にカペンタが導入されてから現在の漁法が確立されるまで、ザンビア・ジンバブウェ両国において実験や試行錯誤が繰り返されてきたことが明らかになった。ザンビア側では1969年にタンガニイカ湖の漁法を模倣した実験が行われたが、十分な漁獲量を得ることができなかった。一方、ジンバブウェ側では植民地政府主導により1971年に漁法の実験が行われ、集魚灯を用いた夜間の巾着網漁と敷き網漁の有効性が示唆された。1973年、ジンバブウェ側で南アフリカ企業に試験的な商業漁業のパーミットが与えられ、大規模な巾着網漁が行われた。しかしその後参入した他の白人個人事業者らは規模が小さくても十分な漁獲量が得られる夜間の敷き網漁を選択した。ザンビア側で本格的にカペンタ漁が開始されたのは1980年以降であった。既にジンバブウェの白人事業者らの間で敷き網漁が定着していたことから、ザンビア側の白人事業者らはそれを模倣して漁に参入した。その後、両国では1980年代半ばごろから黒人層の参入が増加した。白人事業者のもとでの労働経験や、情報交換により、黒人事業者も同様の漁船・漁法により漁を行ってきた。また、漁船の形状についてみると、人造湖であるカリバ湖には水中に枯死木が残存することや、強風や嵐が頻発するという環境要因により、強度の高い形状が好まれてきたことが明らかになった。カリバ湖の造成以前も、ザンベジ河沿いでは地元住民による小規模な漁撈が行われていた。しかし、商業目的で導入されたカペンタ漁に関しては、両国の入植者支配の歴史のなかで、関連省庁と研究者、そして初期の担い手であった白人企業家らが主体となって効率的な漁法を考案してきた。以上の結果から、カリバ湖の商業漁業に用いられている漁法は、カリバ湖の人造湖としての特性や植民地化の経験、黒人層による受容によって成立してきたと考えられる。
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