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クエリ検索: "ジプシー男爵"
2件中 1-2の結果を表示しています
  • 井口 淳子
    音楽学
    2017年 62 巻 2 号 73-85
    発行日: 2017年
    公開日: 2018/03/15
    ジャーナル フリー
    A. ストローク(Awsay Strok)とは、1910年代から日本敗戦後にいたるまで、およそ30年にわたり上海に居住し、ヨーロッパ、ロシア、米国から演奏家、歌手、オペラ団、バレエダンサーなどを招聘し、日本公演を含む「アジアツアー」をプロデュースしたユダヤ人興行主である(1876年2月27日、ラトヴィア、ドヴィンスク Dvinsk 生、1956年7月2日、東京没)。
     「A. ストローク」の名は、演奏家の評伝や東アジアの洋楽受容に関する文献のなかに「impresario、インプレサリオ、興行主、ディレクター、マネージャー」として数多く見出せるものの、彼自身の経歴や活動についての本格的な研究はいまだなされていない。
     日本国内では、彼が企画した興行があたかも「日本のみを目的地」としていたかのように記述されがちであった。つまり、日本においては、ストロークは「世界的に著名な演奏家を、日本にはじめて招来した興行主」、との認識がなされてきた。しかし、彼が手がけた興行は、日本を目的地とするものではなく、広くアジアの諸都市、日本、中国、東南アジアの植民地都市を巡業(ツアー)する興行であった。そして日本と上海は一組のセットになってツアーに組み込まれていた。
     筆者は、上海で発行された英字新聞や仏語新聞にストロークの名前が公演広告や記事に数多く掲載されていることに着眼し、英字新聞データベース及び、それを補完する仏語新聞 Le Journal de Shanghai により、彼がプロデュースした上海公演を抽出し、その全体像を明らかにすることを試みた。
     その結果、ストロークは東京、大阪、上海で、ほぼ同時に同一のアーティストが公演を行う、国境をこえた演奏家、舞踊家のアジアツアーを1918年から1940年までの23年間にわたり、50回以上実施していたことが明らかになった。
  • ――〈働きかた〉〈暮らしぶり〉はどのように作られてきたのか――
    小野塚 知二
    社会政策
    2022年 14 巻 1 号 5-23
    発行日: 2022/06/30
    公開日: 2024/07/01
    ジャーナル フリー

     社会政策の基礎には,あるべき社会(=人間関係)についての規範が作用しているが,その規範は社会を構成する人間についての規範(=人間像)と関連している。共通論題では,近代末期(=19世紀末)と現代(=20世紀)の労働と生活の規範に注目して,それが誰/何を社会に包摂しようとし,誰を排除してきたのかを明らかにすることを試みた。本稿はその前提として,いまに先立つさまざまな人間像を概観する。

     前近代の主知主義的で非普遍主義の人間像に対して,近世以降,決定論的な主知主義への対抗として主意主義が登場し,また,「自然権」,「人権」,「自由」などの諸概念とともに,「誰もが,いつ,どこで,何をしてもよい」とする普遍主義が徐々に支配的な原理となった。また,近世末期からの人間像の転換(「強く逞しい人間」から「弱く劣った人間」へ)によって,成人男性と成人女性の本質的な相違を主張する根拠が失われたことも普遍主義の制覇に関与していた。

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