詳細検索結果
以下の条件での結果を表示する: 検索条件を変更
クエリ検索: "バンリュー"
13件中 1-13の結果を表示しています
  • エベルの「メトード・ナチュレール」のポストコロニアルな転用に関する一考察
    *市井 吉興
    日本体育・スポーツ・健康学会予稿集
    2022年 72 巻 22-2201-03-02
    発行日: 2022年
    公開日: 2022/12/22
    会議録・要旨集 フリー

    本報告の目的は、国際オリンピック委員会と国際体操連盟がスケートボードやサーフィンに続くオリンピック公式競技への採用を目指すパルクール(Parkour)の文化的な特性を整理することにある。本報告は、まず、パルクール(Parcours / Parkour)のルーツとなっているジョルジュ・エベル(Georges Hébert) の「メトード・ナチュレール(méthode naturelle)」の要点を確認する。ここでの要点は、まず、パルクール(Parcours)とは障害物を配置した兵士の訓練場を意味する「パルクール・ドゥ・コンバッタント(parcours du combatant)」に語源的、かつ、実践的なルーツがある。つぎに、この訓練場でなされたことは「役に立つために強くあれ」というスローガンのもと、エベルが開発したメトード・ナチュレールという身体訓練方法を通じて、具体的な生活技能に優れ、その能力によって状況を克服する人間を形成することにあった。つぎに、パルクール(Parcours )がパルクール(Parkour)へと「進化」していく背景を、第2次世界大戦後、フランスの大都市の

    バンリュー
    (郊外)とそこに建設された(Sité)と称される公営住宅団地をめぐるカルチュラル・ポリティクスに注目し、その分析を試みる。
    バンリュー
    とは「郊外」を意味するフランス語ではあるが、牧歌的な環境に囲まれた大規模な一戸建て住宅といったアメリカ的なイメージとは異なっている。フランスにおいて
    バンリュー
    と言えば、「貧困地区」、「犯罪多発地区」、「同化政策への抵抗の場」という「スティグマ」が1980年代から現在にかけて強固なものとなっていく。パルクールの文化的特性を把握するためにも、そこに至る過程とその後、つまり、パルクールが世界中に広まっていく2000年代初頭までの
    バンリュー
    の歴史的な変遷とそこへの「スティグマ」を確認する。以上のことから、
    バンリュー
    やシテへのカルチュラル・ポリティクスや「スティグマ」に対する創意と自発性に満ちた若者たちの実践が、パルクール(Parcours)からパルクール(Parkour)への「進化」を可能にしたと結論づける。

  • Khaled Kelkal( ハレッド・ケルカル)」が意味するもの
    鶴巻 泉子
    日仏社会学会年報
    2017年 28 巻 17-34
    発行日: 2017/11/30
    公開日: 2020/03/13
    ジャーナル フリー

    En se basant sur l’approche constructiviste de « cadrages », cet article propose d’analyser les récits médiatiques sur Khaled Kelkal, auteur présumé d’attentats terroristes dont celui du RER Saint-Michel, en 1995. Une comparaison de deux périodes, celle de l’année 1995 et l’autre de 2015, fait ressortir un changement de cadrages contrasté. De jeune « Algérien de banlieues manipulé », Kelkal se transforme en « premier djihadiste made in France », ce qui lui fait assumer deux nouveaux rôles : Kelkal représente un prototype de « djihadistes », banlieusard et anciens délinquant, « grand frère » de la génération suivante, à savoir les Merah, Kouachi, Coulibaly... D’un autre côté, avec son réseau « islamiste étranger », il incarne l’embryon d’un terrorisme global contre l’Occident. Si, en 1995, les attentats impliquant Kelkal apparaissaient comme un mal « importé d’Algérie » par des Algériens, vingt ans après, la figure de Kelkal contribue plutôt à effacer les frontières, entre le risque extérieur (le terrorisme global) et l’ennemi de l’intérieur, renforçant ainsi la représentation de la catégorie de « djihadistes » d’aujourd’hui, racialisée et fixée par avance dans son origine sociale.

  • ZUSに秘する権力のスキーム
    *能代 透
    日本地理学会発表要旨集
    2014年 2014s 巻 502
    発行日: 2014年
    公開日: 2014/03/31
    会議録・要旨集 フリー
    I はじめに
     本研究はフランスのZUS(都市優先対策地区)空間の政策を批判的に論じるものである。 フランスの都市郊外での移民系若者と治安部隊との衝突とが「フランスのZUS政策」と深くかかわっている。 その底流に、ムスリム移民と向き合う「ポストコロニアリズム」と国民不可分性(単一性)を憲法に掲げる「共和制国民国家」と、それを揺るがせ多文化主義を促す「EU統合」の動きがあり、その狭間で「トリレンマ(矛盾)」を抱えるフランス共和国のリアリティを都市空間の側面から研究した。

    II フランス郊外(
    バンリュー

     郊外(
    バンリュー
    )はその特徴により言葉以上に特別の意味をもつ。 かつての城壁都市の周辺地帯に位置しており、フランス特有の経緯による都市構造を形成している。第二次大戦後の復興期の労働者用に1950年代後半から、グラン・アンサンブル計画で郊外に低家賃社会住宅(HLM)の高層住宅団地(通称シテ)群が均衡都市郊外に政策で大量建設された。しかし、交通網、商店街、企業誘致などの街づくりが伴わなかったため都心部(旧城壁内)から隔離され、シテは低所得者層が集住するようになった。 さらに1980年代から脱工業化で、工場閉鎖、大量失業者、産業空洞化が始まり、次第にマグレブ系労働移民者階級が集住する空間となり、年を経て多様性を失い、ホスト社会の差別とセグリゲーションを受けるマグレブ移民二世が集住し、イスラム教義に基づくコングリゲーション(防衛・互助・文化維持・抵抗)が進行し、ジハード(ムスリムの防衛戦)に向かうマグマが増殖する空間となった。 ヨーロッパ最大のムスリム居住国である現在のフランスにおいて、それは「共和制理念とイスラム教義」の観念の対立となり、都市の「危険な均衡」をもたらせている。

    III 監視・防諜の装置としてのZUS
     1995年、アルジェリア系「武装イスラム集団」が関与したとされる爆弾テロが、リヨンやパリで続発していた。 フランスに「同化」していたはずの移民二世が、この組織に加わっていたことが分かり、フランス社会に大きな衝撃を与えた。 マグレブ移民が集住する「郊外」は、イスラム過激派の温床とされ、フランス政府は1996年に都市再活性化協定法で国家権力が自治体との契約統治を超えて、各都市で直接介入できる特定区(ZUS)を郊外(
    バンリュー
    )のシテを重点的に指定した。ZUSは表向きには貧困地区対策であるが、監視・防諜装置として誕生し機能した。 そのことは入手したにフランス諜報研究センター(CF2R)の2005年9月付報告書で明らかにされた。1)        それによると、「フランス国内の630カ所の郊外地区(ZUS)の180万人の住民が、移民としての出自の文化や社会と強く結び付き、イスラム過激派が郊外の若者たちの組織化が進み、フランス社会に分裂の危機をもたらす危険性が高まっている」との報告がフランスの防諜機関である中央情報局(RG)から内務省に上がっていた。 これはZUSをムスリムの監視と防諜の装置としていた「証拠」である。 2005年10月、パリ郊外のクリシー・ス・ボアの団地で移民系少年と警官に衝突事件が発生した。 その後にボスケ地区のモスクで抗議集会中のムスリムたちに治安部隊が催涙弾を打ち込んだため、衝突が一気に拡大した。 彼らの精神と結束の拠り所であるモスクへの攻撃を彼らが許すことはなく、権力の治安部隊との衝突がフランス全土に広がった。  

    IV おわりに
     現在のフランスは、約500万人のムスリムが暮らしているが、彼らの「外に見える行為」を実践するイスラム信仰は、フランス共和国の世俗主義の観念になじまない。  移民二世・三世の重層的な空間への帰属意識がアイデンティティの不安定化を招き、フランスで生まれた移民子孫たちが差別を受ける中でイスラムに覚醒していく。 政府がその実態を把握しようとしてもフランスの国民不可分性の理念から一部集団への表立った調査ができず、中央情報局による防諜活動を必要とした。取り上げたZUSは日本でも差別・貧困・荒廃の社会問題として注目されることが多く研究も多いが、本研究ではそのZUSに関する政策・制度をフランス均衡都市の地理学的構造に着目して研究した。  


    1)   Centre Francais de Recherche sur le Renseignment、Eric Denécé LE DÉVELOPPEMENT DE L’ISALAM FONDAMENTALISTE EN FRANCE, ASPECT SÉCURITAIRES, ÉCONOMIQUES ET SOCIAUX  Rapport de recherché No.1 Septembre 2005, P7-9 「LA MONTÉE EN PUISSANCE DE L’ISLAM RADICAL DANS LES BANLIEUES FRANCAISES、
  • 森重 和久, 安治 敏樹, 木村 Julieta Y., 石井 明, 綿矢 有佑, 松田 彰, 上田 亨
    Japanese Journal of Tropical Medicine and Hygiene
    1988年 16 巻 4 号 317-325
    発行日: 1988/12/15
    公開日: 2011/05/20
    ジャーナル フリー
    L.donovani promastigote 2S-15M株を感染させたBALB/cマウスに対し, 3'-deoxy-inosineは100mg/kg, 1~2回おき5回, 静脈内投与で約63%の治療効果, c-c-inosineは100mg/kg, 1~2日おき5回静脈内投与で約92%の治療効果が見られた。しかし, c-c-inosineは100mg/kgの量では副作用が見られた。
    T.gambiense trypomastigoteを感染させたddYマウスに対し, 3'-deoxyinosineは200mg/kg, 腹腔内投与, 感染前日からの治療で, 少し治療効果を示したが, 有効と言えるまでには至らなかった。またc-c-inosine 200 mg/kg, 腹腔内投与は無効であった。
  • 山下 雅之
    日仏社会学会年報
    1993年 1 巻 78-87
    発行日: 1993/10/01
    公開日: 2017/06/09
    ジャーナル フリー
  • ―複数事例比較分析と再帰的民族誌―
    田中 研之輔
    日本都市社会学会年報
    2011年 2011 巻 29 号 143-159
    発行日: 2011/09/07
    公開日: 2012/12/19
    ジャーナル フリー
      Rethinking the methodology of the Chicago school of urban ethnography, this paper focuses on the research trends on the Berkeley school of contemporary urban ethnography. Berkeley school of the contemporary urban ethnography constructed five points of methodological renovation compared with the Chicago school. First, it develops the field method from single-case and single-place to single-case and multi-places [Sánchez-Jankowski, 1991 and 2008]. Furthermore, it proposes the multi-case method [Burawoy,2008] renovates the single case -multi-places method. Third, in Chicago school of urban ethnography, the duration of the field research go to from couples of years to few decades. Forth, epistemological and technical renovation that fieldworkers conduct the research style changes from the visit to the revisit. Fifth, it seeks to theoretically informed methodology. The role of theory in ethnography is not only to analyze the raw materials and to pretend to discover theory “grounded" in the field, but also to integrate the theoretical implications actively at every step in the construction of the object [Wacquant, 2002]. Finally, most importantly, it proposes the new dimensions of a reflexive model of science combined and reconstruct the positive science [Wacquant, 2002. and Burawoy, 2003].
  • ジュディ アンリ=ピエール, 田畠 佑実子
    日仏社会学会年報
    2012年 22 巻 39-53
    発行日: 2012/03/31
    公開日: 2017/06/09
    ジャーナル フリー
  • ―脱工業化,リスケーリング,ジェントリフィケーション―
    荒又 美陽
    経済地理学年報
    2020年 66 巻 1 号 29-48
    発行日: 2020/03/30
    公開日: 2021/03/30
    ジャーナル フリー

        本論は,東京,パリ,ロンドンが19世紀以降に実施してきたメガ・イベントとその開催地を手掛かりに,21世紀にこれらのグローバル・シティがオリンピックを招致した都市計画的な意味を検討する.19世紀中葉にはじまる万博は,国民意識の形成と労働者の教化を目的としており,都市においてはその近代化を内外に示すものであった.世紀転換期には植民地支配の正当性を示す展示も行われ,帝国主義的な意味合いを強めた.オリンピックは,当初は万博ほどの影響力をもたなかったが,スタジアムの建設などを通じて次第に都市におけるインパクトを強めた.第二次大戦前のオリンピックは,特に都市の郊外開発と軌を一にしており,戦後には郊外がさらに広がる巨大都市化との関係を読み取ることもできる.そこから近年の事例をみると,脱工業化の局面において,特に1990年代からの都市再生プログラムに連動する形でメガ・イベントの会場設定がなされていることを見て取れる.三都市は中心から半径10キロ程度の領域の再価値づけを共通して行っており,その範囲におけるジェントリフィケーションも進んでいる.それは,都市が投資を集中する範囲を定めたという意味でのリスケーリングであり,都市計画においてはグローバル企業を引き付けるための基盤づくりや観光化といった特徴を持っている.メガ・イベント招致は,三都市において,こうした政策の促進剤の役割を担っている.

  • ギャレラ マリア=クラウディア, 田畠 佑実子
    日仏社会学会年報
    2012年 22 巻 231-249
    発行日: 2012/03/31
    公開日: 2017/06/09
    ジャーナル フリー
  • 大野 達司
    法哲学年報
    2011年 2010 巻 116-128
    発行日: 2011年
    公開日: 2024/04/12
    ジャーナル オープンアクセス
  • ポンティウ伯領を素材に
    大浜 聖香子
    西洋史学
    2014年 255 巻 22-
    発行日: 2014年
    公開日: 2022/04/29
    ジャーナル フリー
  • 松尾 直
    高岡法科大学紀要
    2007年 18 巻 99-144
    発行日: 2007/03/20
    公開日: 2019/07/28
    ジャーナル フリー
  • 松尾 直
    高岡法科大学紀要
    2011年 22 巻 19-110
    発行日: 2011年
    公開日: 2019/07/28
    ジャーナル フリー
feedback
Top