素粒子の標準理論によると,素粒子の相互作用のあり方はゲージ原理で決まり,質量は対称性の自発的破れで作られる.標準理論は実に半世紀以上にわたる膨大な実験的,理論的努力によって検証され続け,そして確立したのである.標準理論最後の未発見粒子であった,対称性の破れを引き起こすヒッグス粒子がCERN(欧州原子核研究機構)のLHCで発見されてから早11年の歳月が流れた.しかし,LHCをはじめとする各種高エネルギー実験では,標準理論の予想を超える新しい素粒子や新奇な現象は未だ発見されていない.ヒッグス粒子の性質については,質量をはじめ,クォークやレプトン,光子やWボソン,Zボソンとの結合の強さ等が測られており,理論・実験の不定性の範囲で標準理論の予言と今のところコンシステントである.
標準理論の実験的成功にもかかわらず,多くの研究者が標準理論はあくまで暫定的な理論であり,将来は新しい理論に置き換わると信じている.理論的な観点からは階層性問題や強いCP問題,さらには相互作用の大統一やクォーク・レプトンの世代構造等が未解決である.実験的には標準理論で説明できない諸現象としてニュートリノ振動問題,宇宙バリオン数非対称問題,暗黒物質問題等の存在がよく知られている.標準理論の理論的な問題を克服し,かつ実験で確立している未解決の諸現象を説明するためには,標準理論を超える新しい物理理論が必要なのである.これまでに標準理論を超える物理模型は数多く提案されており,各種の実験で検証されつつあるが,決め手となる証拠は見つかっていない.
ヒッグス物理はこの状況を打開する新物理の窓として期待される.11年前のヒッグス粒子発見で新物理に迫る足がかりが得られた.標準理論では暫定的に1種類のヒッグス場が導入されるが,超対称性理論等が予言するように複数のヒッグス場がある可能性もある.そのような理論ではヒッグス粒子と他の素粒子の結合の強さに標準理論予想からのズレが現れる.将来の精密測定でこれらのズレが検出されると,その大きさから新粒子の質量が間接的に得られる.さらに様々な結合に現れるズレのパターンから新物理の模型を選別することも可能である.また,電弱対称性の自発的破れの本丸であるヒッグス場の真空凝縮のエネルギー構造(ヒッグスポテンシャル)は未検証であり,将来のヒッグス場の自己結合の強さの測定等によるヒッグスポテンシャルの検証によって,対称性の破れの背後の物理や宇宙初期に生じた電弱相転移の本質に迫ることができる.
ヒッグス粒子の精密測定による新物理探求において,計画中の国際リニアコライダー(ILC)は理想的である.最近の素粒子物理欧州戦略等でも示されたように,最優先の次期コライダー計画は衝突エネルギー250 GeV程度の電子・陽電子衝突型加速器(ヒッグスファクトリー)との認識が世界的に共有されている.特に線形加速器であるILCは,エネルギーの拡張性を有し,偏極ビームを活用することにより「ファインマン図を見るが如く現象を見る」ことを可能にする.ILC実験は,将来の高輝度LHC実験や各種フレーバー実験,宇宙重力波観測実験等と合わせてヒッグスセクターの物理を徹底的に解明し,そこから新物理理論に迫る研究の中心となる重要な実験である.
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