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クエリ検索: "レゲトン"
6件中 1-6の結果を表示しています
  • ―「フィエスタ・パトリア」をめぐる在日ペルー人の音楽的実践―
    エリカ・ロッシ
    ラテンアメリカ研究年報
    2008年 28 巻 1-30
    発行日: 2008年
    公開日: 2022/05/18
    研究報告書・技術報告書 フリー
  • 椿山 學人
    地学雑誌
    1901年 13 巻 7 号 434-440
    発行日: 1901/07/15
    公開日: 2010/10/13
    ジャーナル フリー
  • 後藤 捨男
    素粒子論研究
    1958年 17 巻 1 号 1-19
    発行日: 1958年
    公開日: 2017/10/02
    ジャーナル フリー
    ポルキングホーン・サラムのように4次元のイソ空間から出発し,相互作用の強弱と理論の対称性の高低とが相対応するように相互作用の現象論をつくりレプトン過程をこの形式の中に包含することを試みる。吾々その際従来とられてきた荷電粒子と電磁場との普遍的相互作用を,レプトンの質量準位の問題に関連させて吟味する。こゝで述べられる相互作用の,場の理論的立場からの考察は他の場所に於て論ぜられる予定である。
  • 安全工学
    1973年 12 巻 5 号 336-352
    発行日: 1973/10/15
    公開日: 2018/07/31
    ジャーナル フリー
  • 沼野 雄志
    安全工学
    1975年 14 巻 2 号 89-107
    発行日: 1975/04/15
    公開日: 2018/06/30
    ジャーナル フリー

    この許容濃度度はAmerican Conference of Govemmental Industrial Hygienists(ACGIH)の1974年度空気汚染物質許容濃度委員会(1974 TLV Airborne Contaminants Committee)の発行した ,Threshold Limit Values of Airborne Contaminants for 1974をACGIH の Secretary-Treasurer William D.Kelly氏の許可を得て翻訳転載したものである.原本では有害物質を特に分類せずに化学名,商品名なども混用してアルファベット順に並べてあるが,本表では検索の便を考慮して有害物質を無機ガス,有機ガス,一般粉じんなど,鉱物性粉じんに分け,それぞれ50音順に配列した.有害物質の名称はできるだけ日本化学会編「化学便覧」の命名法によったが,他の名称が一般的に用いられている場合にはそれも併記し,いずれからでも検索できるようにした.許容濃度の原語Threshold Limit Valueは本来,閾値(いきち)というような意味の語であるけれども,その意義は前文に述べられているように,Maximum Allowable Concentration,Maximum Permissible Concentration(最高許容濃度),Permissible Limit(怒限度)と同じであるので,ここでは許容濃度というもっとも使い慣れた言葉を使用した.今年の許容濃度委員会で最も議論の集中したのは,今年初頭より発がん性の問題が取上げられた塩化ビユルについてであったが,結局労働省の規制を待つ形でこの表の中では未定とされた.そのほかの発がん性物質に関して新しい知見が加えられ,昨年変更予告の形で登場したA1a,A1bの分類が今年度から正式に採用された.また有機溶剤について大幅な見直しが行なわれベンゼンが10ppmとなったのをはじめ,イソホロン,オクタン,ブチルアルコール,ヘキサン,ペンタン等の許容濃度が引下げられた.有機溶剤以外ではカドミウム粉じん,ヒューム,ホスゲン等が大幅に引下げられた.今年は許容濃度委員会の決定が遅れ,原文の印刷の校正不十分のためか誤りが多く,特に付録に誤りの個所が目立ったが,これらは翻訳の際に再検討し,できる限り訂正してある.

  • ボリビア・フォルクローレ音楽家の孤独とつながり
    相田 豊
    文化人類学
    2022年 87 巻 3 号 480-498
    発行日: 2022/12/31
    公開日: 2023/04/21
    ジャーナル フリー

    現在、英語圏の人類学において「ポスト関係論」と呼ばれる一連の議論が次第に潮流化しつつある。そこでは、人類学者が関わりあいやつながりに注目するあまり、フィールドの中の「つながりたくてもつながれない人々」、「つながりをあえて拒否しようとするふるまい」が見えにくくなっていること、主題化されなくなっていることが問題化されている。確かに音楽に関する人類学的研究においても、音楽を「他者とつながるため」のものとして捉え、そのつながりを肯定的なものとして価値づける傾向が存在してきた。本稿では、こうした「関係論的」な音楽観にあえて抗して、「他者に抗する音楽」、「うまくひとりになるための音楽」という音楽観を提示することを目的とする。具体的には、ボリビア・フォルクローレ音楽の事例を取りあげ、2人の音楽家のライフヒストリーを通じて、そこに音楽に関する固有の思考を取り出すことを試みる。2人の音楽家は、いずれもフォルクローレ音楽の黎明期に活躍したものの、時代の流れの中で次第に没落し、再起を図る音楽家である。本稿では、彼らがいかにボリビアの親族関係や、同業者関係、時代に抗い続けてきたか、それがボリビアにおける力としての音楽観といかに重なっているかを示しつつ、その思考を孤独の希求というテーマのもとで論じる。

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