太平洋戦争中,雑誌は経済統制と物資不足で統廃合,廃刊が続いた。「薬学雑誌」は抄録だけのものが定期発行を許され,昭和20年にはガリ版刷りとなり,戦後の発行もなかなか正常化しなかった。「科学」は,戦争が終わると原爆,原子力の時代を告げる一方,登呂遺跡や昭和新山など戦時中の発見を遅れて掲載している。そしてローマ字書きの巻頭言が現れ,国語はなるべく簡潔にしようという運動を支持する。また,戦後すぐに創刊された「医学のあゆみ」は海外雑誌の翻訳記事が主体で,紙不足に苦しみながらも,戦争中に進展したサルファ剤の研究,また新たに発見されたペニシリン,ストレプトマイシンの情報を,世界から取り残されていた我が国の読者に紹介していた。
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