現代において、「心霊」は「科学」の対極に置かれ、「科学」の名の下に疑われ、公の場から排斥されるものとなっている。こうした思考は大正期に刊行された変態心理学の専門雑誌『変態心理』において既に確立していた。従来の研究では、『変態心理』が変態心理学の「専門家」としての立場から、在野の心霊研究家や大本教のような「非専門家」を批判し、「知」の線引きを行う役割が指摘されてきた。本研究では『変態心理』が相対していたもう一つの「非専門家」である読者の視点から両者が主張する「科学」を捉え直すことで、これまで前提とされてきた「心霊研究(サイキカル・リサーチ)」と「心霊主義(スピリチュアリズム)」という二項対立では見えてこない共通点を指摘した。
一つ目は、死後霊魂に対して肯定的、あるいは否定的という根本的な立場を異にしながら、共に「科学」に依拠し、「心霊学」や「心霊研究」を自称していたことである。この意味で、「心霊研究」は変態心理学者の専売特許ではなかった。もちろん、両者が掲げる「科学」は同義ではなく、肯定論者の場合はオリバー・ロッジの影響を受けた「科学」という名の思想に依拠していた。他方で『変態心理』が依拠する科学もまた、「虫の知らせ」に対してはSPRの研究をもとに「精神感応」という科学的な粉飾を施しながら、その神秘性を容認してしまった。そのため、両者には合流地点が生じ、そこに神秘的なものを希求する人々が集う、という状況が大正期になって起こる。
ここに二つ目の共通点がある。すなわち、いずれも当時の大衆文化に立脚していた点である。それまで知識人によって専有されていた「知」が『変態心理』のような雑誌によって拡散し、それが他の新聞や雑誌によって消費されるという特異な状況が起こっていた。『変態心理』や変態心理学における心霊に関する「知」そのものが、こうした「知の大衆化」と不可分の関係にあったのである。
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