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クエリ検索: "上神氏"
2件中 1-2の結果を表示しています
  • 大越 勝秋
    人文地理
    1967年 19 巻 4 号 419-436
    発行日: 1967/08/28
    公開日: 2009/04/28
    ジャーナル フリー
  • 大越 勝秋
    地理学評論
    1962年 35 巻 9 号 443-451
    発行日: 1962/09/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
    本研究の目的は享保12年 (1727) から明治4年 (1871) まで144年の問,和泉国における1万石大名およびその家臣の治所,陣営,居住地として典型的な伯太陣屋村について区域,規模,構造などを明らかにしようとするにある.研究の方法として陣屋趾の位置,地形,景観の観察による現地調査に基づいて陣屋村の立地条件を明らかにした.次に筆者編集の小字名を集めた和泉町地名集(未刊),筆者製作の3000分の1の和泉町地籍地割全図,伯太陣屋村小字区画などの資料により伯太陣屋区域を明らかにすることにつとめた.さらに伯太藩史料の探索につとめ伯太藩直接吏料は散逸してなかつたが,旧藩士などの所蔵の向山家文書,向山家保管文書(旧今井家文書),片山家文書,太田家文書,岸和田高校蒐:集文書などの史料により陣屋村の規模(面積と戸数の変遷),構造(陣屋村絵図の比較研究)を明らかにすることにつとめ,さらに現存している武家屋敷として向山秀二宅,安沢松治郎宅などの調査により武家屋敷の特色を明らかにする方.法をとつた.その結果今までに得られた成果として伯太陣屋村は要害景勝の地で,陣屋村全体が自然的要塞をなして立地条件のすぐれていることがわかつた.享保元年入代将軍徳川吉宗が紀州家より江戸に入城した直後に,伯太藩所領集中地域の大庭寺から伯太に陣屋村を移した歴史的事情から考えて,徳州氏が譜代大名である岸和田城主岡部氏に対して,その背後から監視と牽制につとめさせた政治的配慮を見逃せない.陣屋村の規模として面積17町3反,最大戸数162戸,陣屋村の構造として城郭はないが,藩主邸宅兼政庁,牢獄,民政所,組部屋などの支配機関があつた.職人および商人の町家はないが作事小屋はある.神社2, 寺1で寺社は少ない.道路は枡型,鈎型,屈曲が多く,武家屋敷に特殊な望楼を設けるなど城の天守閣の展望に代る役貝のものもみられ,銃座など防御に留意したあとがうかがわれる.町家がない武士団の消費生活など不明な点も将来解明しなければならない課題の1つであろう.
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