第一次世界大戦時、約1千名のドイツ兵俘虜(=捕虜)が収容されていた徳島県の板東俘虜収容所(1917〈大正6〉年4月9日開設、1920年4月1日閉鎖)では、所長の理解と協力のもと、体育・スポーツをはじめ多彩な文化活動が繰り広げられた。またそれらの活動を通して、ドイツ兵俘虜たちは、多方面にわたり地元徳島の人々との交流を深め、地元の発展に寄与した。四国霊場一番札所の地であり、「お接待」のこころが浸透している板東の人々と風土もまた彼らを温かく迎え入れ、国境や立場を超えた友好の絆が結ばれたのであった。今日、俘虜たちが居住していた兵舎の遺構や水上スポーツを行っていた溜池、彼らが建てた慰霊碑などが遺る収容所跡地一帯はドイツ村公園として整備され、当時の面影を今に伝えている。今年2018年は、その板東俘虜収容所が開設されて101年、そして、アジア初演とされる、俘虜たちによるベートーヴェンの「第九」交響曲演奏から100年を迎え、徳島では、彼らが遺した貴重な資料の「
世界の記憶
」(UNESCO)登録をめざして気運が高まっている。ここでは、板東の俘虜たちの足跡を追いながら、彼らの活動を現代において考察することの意義を考えてみたい。
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