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クエリ検索: "中井喜太郎"
4件中 1-4の結果を表示しています
  • 北村 彌一郎
    工業化学雑誌
    1917年 20 巻 8 号 833-844
    発行日: 1917/08/05
    公開日: 2011/09/02
    ジャーナル フリー
  • ―日露開戦過程における対外硬派のメディア利用
    石川 徳幸
    出版研究
    2012年 43 巻 149-168
    発行日: 2013/03/20
    公開日: 2019/03/31
    ジャーナル フリー

    本稿の目的は,1901年に近衛篤麿によって発行された雑誌『東洋』に関して,この雑誌が果たした歴史的な役割について考察するものである.まず,雑誌『東洋』の発刊の目的を明らかにし,同雑誌に関与した東洋倶楽部と経緯社について詳らかにした.そして,『東洋』が日本新聞社の『日本週報』と合併した経緯を明らかにし,『日本週報』が日露開戦過程において果たした役割を考察し,これをメディア史の中に位置づけた.

  • 岩田 一正
    教育学研究
    1997年 64 巻 4 号 417-426
    発行日: 1997/12/30
    公開日: 2007/12/27
    ジャーナル フリー
    本論文は, 義務教育制度がその内実をほぼ完備し, 地域共同体が再編成されつつあった明治後期に, 少年たちが, 書字文化を媒介とした固有名の個人が集う公共圏をどのように構築していたのかを検討することを目的としている. 少年たちが雑誌への投稿者として共同性を構成する過程は, 自らを言葉を綴る主体として保つ近代に特有な方法を, 我々に開示してくれるだろう. 本論文が史料とするのは, 当時最も読まれていた少年雑誌であり, 明治後期の「出版王国」博文館によって発行されていた『少年世界』である. 『少年世界』に掲載された投稿文の分析を通して, 三つの観点が示されることになる. 第一に,1903年頃に『少年世界』の主筆である巌谷小波によって提示された言文一致体は, 天真爛漫な「少年」という概念を創出した. さらに, 『少年世界』編集部は投稿作文欄の規定を改正し, 少年たちは言文一致体で投稿するように要請された. その結果, 煩悶する「青年」と天真欄漫な「少年」が差異化され, 『少年世界』は後者のための雑誌となった. 第二に, 『少年世界』は, 少年に固有名をともなった他者とのコミュニケーションの場を提供した. しかし, その場は, 抽象的で均質な時空によって構成されていた. それゆえ, 少年たちは地域共同体からの切断に由来する, いまだかつて経験したことのない孤独を感じることになった. しかしながら, 投稿欄を利用することによって, その孤独を補償し, 他者との交歓=交感を享受するために, 少年たちは誰かに向かって何かを書こうとする欲望を生み出し, ある場合には, 同好のコミュニケーション・ネットワークを形成したのである. そして, この文脈において, 言文一致体は適合的な文体であった. なぜなら, 言文一致体は, 少年に見えざる他者の声を想像させることができるからである. また, 当時は, 国家的な郵便制度が確立したことによって, 文通によるコミュニケーションの制度的な基盤が整備された時期であった. 第三に, 少年たちは, 自らの手で雑誌を出版するようになった. ここで注目に値するのは, 活字で構成される一般の雑誌とは異なり, 少年が制作した雑誌は, 肉筆やこんにゃく版, 謄写版によって作られており, 手作りの感触を残していることである. 少年の雑誌制作は, 大正期以降の同人雑誌文化の基層を形成するものであり, この同人雑誌文化から, 数多くの文学作品が創出されることになる.
  • 張 賽帥
    出版研究
    2019年 50 巻 1-23
    発行日: 2019年
    公開日: 2020/10/30
    ジャーナル フリー

    日清戦争は近代日本における中国観激変の転換点ともいわれた.日清戦争後に設立された民間団体東亜同文会は,日中関係に多大な影響力を持ち,日本全体の中国観形成に重要な役割を担った.本稿は,同会が発行した雑誌『東亜時論』を対象とし,そこに見られる中国時局観について,特に,「中央政府」と「地方有力者」を分ける視点を軸に検討した.

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