以上述べた事柄を要約すると,(1) 今次大戰の罹災者は,關東大地震の罹災者の5.7倍に上り,量的には大都市の被害が大きかつたが,罹災峯では地方都市が特に深刻であつた.(2) 終戰當時,都市の人口は一般に減少の傾向を示したが,特に,敗戰の影響の甚大であつた大都市や奮軍港,奮軍需都市は,罹災率にか玉わりなく人口の減少が見立つたが,(3)その反面,戰災の被害が少なかつた衛星都市や地方混成都市の中には,同様の機能を持つた非職災都市と同様に:人ロの堰加の見られた都市が若干見られた.(4) 終戦後5ヵ年間には,職災非職災都市の別なく一様に増加の傾向も示したが,初期には,地方の混成,商業,公務自由業及び衛星都市の人口の増加が目つたが,(5)後牛になると,市域擴張が行われたにもか玉わらず都市の人口増加は頭打ちになり,(6)逆に,人口の減少都市すら現われるに至つた。(7) 從つて,終職後,まず地方小都市が,綾いて地方の主要都市が相次いで罹災前人口を上廻るに至つたが,(8) 敗戰の影響が深刻であつた都市ほど,職災の有無や被害の大小にか玉わりなく,人口の復元が後れていて率より遙かに1小さいので,職前なみの都市生活の恢復さえ容易でない。小論をまとめるに當つて多大の便宜を計つていた〓いた,神戸を始めとする六大都市,姫路の各市の統計課の方々,建設省都市計書課,淺野事務官及び,御教示を賜つた東京教育大學地理學教室の方々に深謝する次第である.
抄録全体を表示