戦後、古典教育の意義が揺らいだとき、時枝誠記は戦前の感化主義的古典教育を否定し、民族の「美」も「醜」もありのままの姿を受け入れて学ぶべきだと主張した。しかし、そのような国語教育は、現実にはその後実践されなかった。本論では、古典を批判的に学ぶことの可能性と意義を、古典の「定番教材」である『平家物語』の二章段において探った。
『平家物語』は、「愛の文学」として語られることがあるが、その実態について分析検討した。『平家物語』は、同じような構造、設定、表現を繰り返し用いて、愛について執拗に語る。しかし、必要に応じて語られる、愛を肯定する物語と妄念として愛を否定する物語とが交錯して、私たちを混乱させる。その結果、このテクストは、私たちに愛についての思考を促し、さらには、物語という虚構装置の外へと私たちを誘う力を持つことになったと論じた。
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