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クエリ検索: "今尾橋"
4件中 1-4の結果を表示しています
  • 小柳 彌, 八幡 敏雄
    農業土木研究
    1953年 20 巻 5 号 308-313
    発行日: 1953/03/30
    公開日: 2011/02/23
    ジャーナル フリー
    この調査を通じ
    1. 旱天(若干のにわか雨の日を含む)がつづいて河川流量が減少すると, 外海の潮位は大差なくとも, 濃度の濃い監水がだんだん上流に遡上すること。(表5, 表6)
    2. 上流にゆくに從つて満干の起時が, 河口よりもおくれること。
    3. すべてその地點の満潮の頃に, 監分温度の最大が起ること。
    4. 監分濃度の垂直分布から, あげ潮の時でも常に明瞭な楔形がみられるとは限らないこと。
    5. 感潮部の流量は同一水位であつても, 引き潮にかかる時とあげ潮にかかる時とによつて, 相當變化するのではないか。從つて感潮部におて流量を測定することは, 時間を極く短く制限しないと危險であること。等がわかつた。
    尚調査の結果から次のことが云えると思う。
    1. 表6にみるように七取地先に水源を求めることは監分濃度が水稻の枯死限界に近くなることからみて危險と考えられる。
    2. 7月雨量の多かつた1951年でさえ
    今尾橋
    流量は, 毎秒0數トンにすぎない。(30日の觀測値を除くとしても)
    3. 從つて傳えられる如く毎秒7~8トンの水をこの中から汲みあげることは更に監分の遡上をうながし, 盆々危險性をはらむものと想像される。
  • 昭和初期におけるマルヤール型RCアーチ橋
    山根 巌
    土木史研究
    1993年 13 巻 331-339
    発行日: 1993/06/01
    公開日: 2010/06/15
    ジャーナル フリー
    土木学会編集の日本土木史 (大正元年から昭和15年まで) の道路編に、「岐阜県舟津町の宝橋が、同じ頃スイスでマイヤールが好んで設計したアーチと同形であった。」として、「容姿簡明で飾る所がなく、まことに美しい設計である。」と紹介されている。また、内務省土木試験所「本邦道路橋輯覧」(1) には、宝橋の設計図や、工費、昭和10年の施工等の資料が一覧表に示されている。
    郷土史家, 柴田袖水の「高原郷土史」(2) には、1936年 (昭和11年) 8月12日「宝橋の渡橋式」が行われ、県知事が土木課長を従えて臨席したと記されている。
    宝橋は昭和初期に架設された本邦唯一のマイヤール型RCアーチ橋といえる橋である。富山県との県境に近い山中に、当時としては最先端の橋梁技術であるマイヤール型のRCアーチ橋が、何故架設されたか。何処がマイヤールの橋に似ており、何処が違うのか。設計、施工の背景や事情等について調査したのでその結果について述べる。
  • 地理学評論
    1968年 41 巻 2 号 140-150_2
    発行日: 1968/02/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
  • 地理学評論
    1963年 36 巻 12 号 736-747
    発行日: 1963/12/01
    公開日: 2008/12/24
    ジャーナル フリー
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