1993 年 13 巻 p. 331-339
土木学会編集の日本土木史 (大正元年から昭和15年まで) の道路編に、「岐阜県舟津町の宝橋が、同じ頃スイスでマイヤールが好んで設計したアーチと同形であった。」として、「容姿簡明で飾る所がなく、まことに美しい設計である。」と紹介されている。また、内務省土木試験所「本邦道路橋輯覧」(1) には、宝橋の設計図や、工費、昭和10年の施工等の資料が一覧表に示されている。
郷土史家, 柴田袖水の「高原郷土史」(2) には、1936年 (昭和11年) 8月12日「宝橋の渡橋式」が行われ、県知事が土木課長を従えて臨席したと記されている。
宝橋は昭和初期に架設された本邦唯一のマイヤール型RCアーチ橋といえる橋である。富山県との県境に近い山中に、当時としては最先端の橋梁技術であるマイヤール型のRCアーチ橋が、何故架設されたか。何処がマイヤールの橋に似ており、何処が違うのか。設計、施工の背景や事情等について調査したのでその結果について述べる。