(1)列島と韓半島との交流には古くから搬入土器を重視した九州北部での研究がある。今回は土器の模倣に重点を置き,出雲から北海道の間の日本海沿岸の交流も含めて考えたが,とくに出雲と韓半島との交流が注目され,伽耶との土器の編年関係を第1表にまとめた。
(1)その作業の中で塩町式土器のある器形に類似するものを嶺南北部で発見し,また,伽耶の低脚付き器種や円柱状脚部の高杯などが出雲を経由して列島に広がったと考えた。とくに庄内式の特色と見做された高杯は変容が著しいが後者が大和で展開したものであろう。
(3)韓半島と列島との間の以上のような親密な交流は当然,鉄の流通に及んだはずである。
(4)この前提で出雲からの考古情報を見直すと,同地域の二箇所の著名な青銅器埋納遺跡がこの鉄の流通に結びつくとの疑いを深めた。
(5)以上の4項目に出雲市西谷3号墳丘墓での発見を加えて『魏志倭人伝』のヒミコが出雲から擁立されたとの結論に達した。
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