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クエリ検索: "六重奏曲" ベートーヴェン
4件中 1-4の結果を表示しています
  • 山口 真季子
    音楽学
    2018年 63 巻 2 号 78-93
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/03/15
    ジャーナル フリー
      指揮者ヘルマン・シェルヘンは、シェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》の初演ツアーでデビューを果たし、新ウィーン楽派の音楽をはじめとする多くの同時代作品を積極的に演奏したことで知られている。彼に関する研究においては、彼の「現代音楽」に対する理解や、ラジオや音響実験に対する取り組みが着目されてきたが、彼の古典作品に対する態度を検討したものはほとんど無い。
      しかし、シェルヘンが未完、未出版のまま残した原稿の中には、シューベルトの交響曲ロ短調D759「未完成」及びハ長調D944について論じた一連の原稿(「シューベルト・ブック」)が存在する。本論は、このベルリン芸術アカデミー・ヘルマン・シェルヘン・アルヒーフに残された「シューベルト・ブック」を基に、シェルヘンのシューベルトの音楽に対する解釈を明らかにしようとするものである。
      シェルヘンはシューベルトの交響曲を、来るべきものへと突き進む
    ベートーヴェン
    の交響曲とは対照的なものとして、すなわち一瞬の中にすべてを内包しようとするような音楽として捉える。彼の考えによれば、それは多様なシンメトリー、音楽構造の意味を明らかにしていくような表現記号の役割、そして動機操作ではなく和声や音色の変化による主題の変容によって実現される。
      興味深いのは、シンメトリー構造や形式における平面構成、音空間の音色における開拓など、シェルヘンが指摘する音楽的特徴が、彼と同時代の作曲における問題意識に通じている点である。シェルヘンは、シューベルトの音楽が20世紀の作曲に対してアクチュアリティを持つものとして示そうとしたのである。そしてそのことが、シェルヘンをしてシューベルトの音楽を新たな側面から照らし出すことを可能にしたといえる。
  • 佐野 旭司
    音楽学
    2018年 64 巻 1 号 31-48
    発行日: 2018年
    公開日: 2019/10/15
    ジャーナル フリー
      本稿では、シェーンベルクの「発展的変奏」の概念に基づく作曲技法が彼の作品の中でどのような変遷を遂げているかについて、特に《浄夜》Op.4(1899)から《3つのピアノ小品》Op.11(1909)までの作品に焦点を当てて考察する。
      発展的変奏とはシェーンベルクによる用語であり、主題や動機の発展のあり方に対する自らの理念を表したものである。そしてその理念とは、主題やその部分動機は常に多様に変形しそれにより外見の大きく異なる新動機が導き出されるべきである、ということが彼の言説から読み取れよう。
      ではそのような理念は作曲技法として作品にどのように反映され、さらにその技法はどう変化しているか。まず《浄夜》、《ペレアスとメリザンド》Op.5(1903)、《弦楽四重奏曲第1番》Op.7(1905)では動機を段階的に発展させる、すなわちある動機の発展により新たな動機が作られ、さらにその新動機からまた別の動機が順次生成されていく手法が中心となる。一方《室内交響曲第1番》Op.9(1906)では手法が変化し、ほとんどの動機が冒頭動機から直接発展している。それにより冒頭動機を中心とする統一性がより強くなった。そして《3つのピアノ小品》第1曲では無調になるとともに発展的変奏の手法も、従来のあり方が継承されながらも本質的に変化し、発展の関係も動機そのものの形象よりもより根源的な音程の要素に依るところが大きくなる。
      上記の過程には、動機の発展を強化させていく方向性が窺えよう。この基本的傾向は、垂直的な動き(和音の進行)よりもむしろ動機変容の水平的な動き(旋律ないし音程)を重視するというシェーンベルクの音楽観の現れでもあるが、その方向性は結局無調に向かう方向とも一致している。最初の無調作品Op.11-1の変奏技法における音程要素の著しい役割は、後の12音技法に代表される音列思考への方向を萌芽的に指し示すものでもある。
  • 宮沢 昭男
    年報社会学論集
    1991年 1991 巻 4 号 117-128
    発行日: 1991/06/15
    公開日: 2010/04/21
    ジャーナル フリー
    The nationalism in A. Dvorak's music has been already pointed out in the music history. This paper clarifies the social background of his nationalism and its meaning in the Habsburg Empire. In order to resolve the problem, I propose to conceptualize his works in the 1870s and 1880s as his middle works and consider the national theater movement of that time. The consideration will contribute to the study of the relation between music and the society.
  • 吉野 幸男
    國學院女子短期大学紀要
    1985年 3 巻 A95-A128
    発行日: 1985/03/03
    公開日: 2018/07/19
    研究報告書・技術報告書 フリー
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