近年,近代化遺産の再評価が活発に行われており,これまで保存・活用されてこなかった近代化遺産に注目が集まっている。2007年6月に「石見銀山遺跡とその文化的景観」が世界文化遺産に登録された。また,同年11月には,経済産業省により「近代化産業遺産群33」が地域活性化のために公表され,その動きは日本全体に及ぶものとなっている。しかし,齋藤(2011)が指摘するように,鉱山関係者の減少が避けられない中でいかにして産業遺産とその意義を後世に継承するかが大きな課題となっている。
研究対象地域は,愛媛県新居浜市における
別子銅山
関連遺産群である。
別子銅山
のある新居浜市は,愛媛県東予地域に位置する人口約12万人の都市である。
別子銅山
は,江戸・明治・大正・昭和の4時代,283年間にわたる長い間,終始住友一企業によって採掘されてきたという特徴をもつ鉱山であり,閉山は1973年である。
別子銅山
関連遺産は新居浜市の広範囲に多数分布している。
別子銅山
を近代化遺産として保存・活用しようとする動きは,他の地域と比較しても早く,全国に先駆けて2000年に新居浜市で「近代化産業遺産活用全国フォーラム」が開催された。これを契機として,近代化産業遺産の保存・活用の動きは全国に広がりをみせている。
このように,近代化遺産の保存・活用に先駆的な役割を果たしてきた新居浜市であるが,その要因の一つとして,
別子銅山
関連遺産群のもつ近代化遺産としての意義が,早い段階から次世代へと継承されていた点にある。
別子銅山
の意義を次世代に継承するための取り組みが,様々な主体によって行われてきたため,保存・活用の機運が高まりやすい環境であったと考えられる。
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